『叱られて 泣く妹を 庇う兄』
■はじめに
類推とは普段の会話にはあまり出てこない言葉ですが,意味は何となく見当が付きますね。確かめるために,辞書を引いてみましょう。手元にある「新明解国語辞典」には,「既得の知識を応用して,同じ条件にある未知の物事について多分そうではないかと判断を下すこと」と解説してあります。
子育てにおいて,類推はママにとってごくありふれたことなのですが,おそらくほとんど意識はされていないでしょう。炎天下の車に乗り込むときのあの強烈な暑さを知っているから,同じ状況にある車中に子どもを閉じこめたら多分危険だと判断するはずです。それが類推です。類推する力が備わっていないと,酷いことが起こります。
重い荷物を持ってバスの中で立っていたときの辛さを知っているから,立っている人は辛いだろうなと判断できます。それが思いやりの端緒になります。心優しい子どもに育てようと願うなら,類推する力を育てておかなければなりません。
一を聞いて十を知る,利発さを表す言い方ですが,その秘密は類推能力なのです。頭の回転,的確な判断,創造など,あらゆる知的な活動のベースは類推だということを知っておいてください。意識化された類推は,きっといろんな場面で役に立つはずです。
日常の暮らしの場では単純に「推察」しているはずです。察しがいいとか,言いますね。結果的には同じことですが,人がものを考えるプロセスに着目すると「類推」の方が正確です。子育ての場では,大切なキーワードになります。
【質問8-08:あなたのお子さんは,類推をしていますか?】
《「類推する」という内容について,説明が必要ですね!》
〇類推するのは誰でしょう?
子どもは親の後ろ姿を見て育つと言われますね。ママが目を離した隙に,子どもはいろんな冒険をします。していいことかどうかは関係なく,同じことを真似します。ママがどうしていたかを覚えていて,自分も同じようにしたらできるだろうと思うからです。
ママの振る舞いに自分を重ねているのは,もう一人の自分です。自分がママと同じように動けているかどうかをずっと確認している自分がいなければ,まねをすることはできません。ママは傍にいるときにはつい手を出したくなりますが,子どもは決まって「だめ,自分でする」と拒みます。もう一人の自分が自分をコントロールしたいのですから,無理もありません。
幼児がキャラクターのマネをするとき,「ママ見て見て」と,ことさらにして見せようとしますね。面倒がらずにつきあってやってください。もう一人の子どもは自分がちゃんと真似できていると思ってはいますが,今ひとつ自信がありません。そこで,ママに確認して欲しいのです。「上手ね」と言ってもらえたら,もう一人の子どもが「これでよかったんだ」と自信を持つことができます。
子どもにとってはちゃんとマネができたことがうれしいのですが,育ちという面から見れば,自分にちゃんとマネをさせることができたもう一人の子どもが合格点をもらったという意味を持っています。得意そうな笑顔を見せるとき,それはもう一人の子どもの「ヤッター」という歓声なのです。
類推とは,もう一人の自分が既に持っているメモリーと今の自分の状況とを重ねて,こうすればこうなるはずだと判断することです。もちろん,幼いうちは単なるマネから入りますが,その体験を十分に積むことで,類推をもっと広く使いこなせるようになるはずです。
・・・類推するとは,もう一人の自分がいるからできることです。・・・
〇どこで類推すればいいのでしょう?
小学4年生で習う「積んだ」という漢字があります。先日の新聞紙上で報じられていましたが,文部科学省国立教育政策研究所による「読書教育に関する調査」で,この積んだという漢字の書き取り問題の正答率が,小学生で35%,中学生39%,高校生54%であったそうです。読書をしないせいで漢字が書けなくなっているようです。
ところで,ママも漢字をど忘れして思い出せないことがあるでしょう。そんなときはどうしていますか? 辞書を引っ張り出してきますか? 傍にいる人に尋ねますか? どちらもダメなときは? パソコンの変換を使う! その手がありました。あいにく出先でそれもダメなときは? またまた忘れていました。携帯電話がありましたね。どうもママを追い詰めようとしても,無理なようですね。
いまどき,漢字を書けなくても困ることはないということです。読めさえすれば,変換候補の中で「これ」と分かりさえすれば,用は足ります。これでは子どもに漢字の書き取りをさせようという気力は湧きませんね。字を書けなくても大して困らないかもしれませんが,実際のところは知的な得を取りこぼしているのです。
「積」の字を見つけるには? 新聞を持ってきて株式欄を開きます。確か積○なんとかという会社があったっけ。探してみるとありました。ほんの一例ですが,類推を働かせると,株式欄を辞書変わりに利用することができます。最近の若者は機転が効かないと言われ,「もっと頭を使え」などとお小言をもらっています。小言を言うくらいなら,どうすればいいのかを具体的に教えてやることが大人の役割です。類推の例を提示してやればいいのです。
手元に何もないからどうしようもない,そう思いこんだら行き止まりです。いったんは切羽詰まった場合でも,何か代わりになるものはないか,全く無関係に見えるものの中から必要なものを引き出せないか,そう考えていくと必ず手がかりは見つかります。類推を広げていく癖をつけていると,簡単にあきらめない姿勢が身に付きます。
・・・類推するとは,不備な状況で総合力を発揮する仕掛けです。・・・
〇どんなときに類推すればいいのでしょう?
ちまたに溢れている知恵は概して後知恵です。人の知恵は反省から生まれるものだからです。先人の失敗を後世の人は繰り返さないという形で,社会の進展が実現されて来ました。しかしながら,先輩からの知恵のバトンタッチは100%できるわけではありません。だから,同じような失敗を繰り返してしまいます。でも,人は万能の神様ではないのですから,ゆっくりと失敗を減らす努力を続ければいいのです。
知恵は言葉として蓄積されます。暮らしの知恵として,「人のモノは盗んではいけない」という条文が合意の上で採用されています。そのことは大事な知識として必ず後世に伝えられています。子どもも知っています。でも,窃盗をする子どもは増加しています。なぜなのでしょう?
窃盗する者は自分のモノが窃盗されたら,窃盗した者に対して怒りの気持ちを向けるはずです。人から恨みを買うような行動をしでかしているという立場の逆転による類推ができていません。ママが教えている「盗られた人の気持ちを考えなさい」という言葉は悲しさ,悔しさを想定しているでしょうが,類推を教えているという点では同じなのです。
妹からオモチャを取り上げて,妹が大泣きした経験があるでしょう。人からモノを取り上げたら相手はどんな風に悲しむか,きょうだい間の小さなトラブルを経験していたら,盗むことがどういう状況を生み出すか類推できるはずです。自分の体験をその他のケースに拡大できる力,それが類推力であり,単なる知識を知恵に味付けできるのです。
万引きぐらい,そんな緩んだ気持ちが蔓延っています。万引きはよその家(店)から盗み出すのですから紛れもなく泥棒なのです。言葉の上で単純に万引きと泥棒を区別して罪悪感を逃れようとしていますが,盗むという類で推し量れば同類になります。
同じような,似たような状況を一つのことと見極めること,それができたら一つの知恵はいろんな時に有効に働いてくれるはずです。繰り返し教えることが必要ですというアドバイスは,あのときも,このときも,同じなんだよという類推を育てることになるという意味を持っているのです。
・・・類推するとは,経験知を多方面に適用するときに生かされます。・・・
〇類推すると何が得られるのでしょう?
人に迷惑を掛けないように気配りをするのが普通の暮らしぶりです。子どもは無邪気に傍迷惑をかけます。自分の行為が他人に及ぼす効果を類推できないからです。育てなければなりませんが,どうすればいいのでしょう?
自分が迷惑を受けた経験をしていないと,迷惑ということの不快さが実感として類推できません。「静かにしなさい」と言われておとなしくしていると,ちょっとぐらいいいじゃないかと自分勝手な判断をします。そこには迷惑という相手の立場が具体的に想定されていないからです。
子どものうちは,人が騒ぐから自分も騒ぐという悪乗りをするものです。みんながしているから,という理由は強かです。スピード違反でねずみ取りに引っかかったり,駐車違反で切符を切られるドライバーはそう思っています。大人でも思うのですから,子どもはなおさらです。でも,子どもには大人にない素直さが期待できますから,少しは救われます。
「騒ぐな」と注意するより,「聞こえないから静かにしてね」と迷惑をしていることをはっきりと伝えることから入るといいでしょう。子どもがテレビに見入っているとき,ママがおしゃべりをすると子どもが「うるさいな」という顔をすることがあります。そのことを覚えておいて,子どもが騒いだときに思い出させてやってください。あなただってうるさいと迷惑したでしょ?
迷惑だけではありません。パパやママにしてもらってうれしかったこと,その体験があれば,人を喜ばせる類推が自然にできるようになります。兎角この世は住みにくい,自分の思い通りには運ばないものです。そこには嫌な体験もうれしい体験もちりばめられているはずです。それが種になって人に対してしてはいけないこと,した方がいいことの類推ができるようになります。
甘やかされて思い通りになる育ち方をした子どもは,わがままが当たり前と思っているので,迷惑とかうれしいとかの他者との関係を思い描く手がかりを持てないために,人としての生き方の基本を見失うことになります。
・・・類推するとは,自分の喜び哀しみを他者に重ねる能力です。・・・
〇なぜ類推するのでしょう?
子どもたちは,「なぜ勉強しなければならないのか」という疑問を持ちます。教わっている内容は,およそ子どもの暮らしには関係がありません。音符を知らなくても,カラオケは歌えます。絵を描くことなど滅多にありませんし,インスタントカメラで撮影すれば済みます。方程式などどこにも見あたりません。必要のないものを知ったからといって,それだけのことであり,興味のある人だけが勉強すればいいのでは?
そんなことを言ってたら,高校に行けませんし,大学にも入れません。人生の切符を手に入れるためには,仕方のないことです。そういう声も出てきそうですね。それでいいのです。理由は何であれ,勉強することが大切です。自分を高めるために勉強するという立派な志(?)を持つのは,もっと深い勉強をした後のことです。高校時代までの入門編でしかない学校での勉強は,欲得ずくでやっても内容に差が出てくるものではありません。
以前に,勉強とは頭脳の神経ネットワークの配線工事であると書いておきました。教材という建設機械を使って工事をします。神経ネットワークが完成すれば,建設に使った教材は片づけられます。インターネットに接続するためにいろんな設定をされたはずです。でもいったん接続ができたら,設定の方法など忘れてしまっているでしょう。普段は必要がないからです。勉強も設定作業だと考えてください。
インターネットへの接続は当初アダルトサイトを見たいという不純な動機で広まりました。でも,いったん接続すれば当初の動機は消えて,新しい世界が開けていきました。勉強してできあがった神経ネットワークの可能性を広げることが大切なのです。
頭に敷設された音楽ネットワークに自分の気持ちを重ねたら,オリジナル曲が生まれます。国語ネットワークには共感を求める素直な散文が張り付けられます。理科ネットワークからは健康食メニューがはじき出されてきます。勉強で経験した例題を暮らしの場に応用すること,それが類推になります。似たようなことをかつて勉強したような気がする,その下地ができているから,ごく自然に類推に入っていけるのです。類推も,無い袖は振れません。
・・・類推するとは,似た例題をこなしているからできるのです。・・・
〇どのように類推させればいいのでしょう?
子ども向けのお話には動物をはじめいろんなものが擬人化されています。シルクハットを被った猫がお澄まししてしゃべっています。子どもにものごとの道理を教えようとするとき,例え話が効果的です。大好きな動物たちが教えてくれることだから,子どもには素直に伝わります。類推の種を子どもの心に植え付けることができます。
意地悪で欲深なおばあちゃんは必ず酷い目に遭います。それが社会というものの仕組みだということです。その刷り込みが心の歯止めになります。若いママたちは子どもに教え説得しようとする傾向があります。説明を聞いて子どもは分かってくれるかもしれませんが,それだけのことです。決して納得しているわけではありません。例え話はその隙間を補ってくれます。
子どもは読み聞かせをしてやると喜びます。そこではもう一人の自分が話の世界に入り込み自分の体験として感じ取ることができるからです。本には,作者が子どもに伝えたい大事なメッセージを子どもの感性に合わせて提示しています。子どもが日常的な体験から見つけていないことが,純粋な形で摂取できるように調合されています。心のサプリメントなのです。
日常の体験が大切だと言われています。しかしながら,日常はぼんやりと過ごしているのが普通です。単なる体験だけでは意味がないのです。一度きちんと意識するプロセスが不可欠です。改めて考えてみる,見直してみる,聞いてみるなどの整理をするのです。食物を口に入れるだけではなくて,それを咀嚼し分解し栄養素を吸収するという作用が付随することと同じです。
物事を理解しているかどうかは,例え話ができるかどうかで決まります。逆に言えば,例え話が理解の近道なのです。浸水した家屋のニュースを見ているとき,我が家の「ここまで水に浸かったらどうしよう?」と問いかけてみるのも,例え話です。「もしも」を自分の身に引き替えて考えてみるのです。直接の体験ではありませんので強い印象は感じませんが,被災者への類推の仕方は学べます。
ママはたくさんの体験を持っているでしょう。それを話してやってください。子ども時代の辛かったこと,悲しかったこと,楽しかったこと,うれしかったことがあるはずです。ただし淡々と語ってください。「だからあなたは・・・」とは続けないでください。それは余計なことだからです。
・・・類推するとは,例え話の訓練によって発揮できるものです。・・・
《類推するとは,柔軟な発想を実現させるテクニックです。》
○連歌という遊びがありました。半句ずつ引き取って別のイメージに発展させていくことを楽しむものです。今風に言えば,連想ゲームでしょう。簡易な類推の遊びです。
マイクロ波という電磁波を使った通信の研究をしていたとき,たまたま傍に置き忘れていたチョコレートが「溶けて」しまいました。この「溶けた」というキーワードから調理の世界につながりました。こうして発明されたのが電子レンジなのです。
言葉の連想遊びをお子さんと楽しんでください。なぞなぞ遊びもいいですよ。「PTAと掛けて,破れたブラジャーと解きます」,「その心は,ときどきチチ(父,乳)がのぞきます」。違った状況を繋ぐこと,それが類推のパターンです。
【質問8-08:あなたのお子さんは,類推をしていますか?】
●答は?・・・もちろん,「
イエス」ですよね!?