*** 子育ち12章 ***
 

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「第 83-03 章」


『子育ちは 親との絆 あればこそ』


■子育て12心権■

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『子育て第3心権』

【親と暮らす心権!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第83版では,子どもたちの心の育ちがどのようなものかを,総括しておきます。子どもは「育つ権利」があるとされています。それは生きる者としての身体的な育ちが必要であると同時に,人間としての心情的な育ちが十分に備わっていなければなりません。食べさせないといった身体的虐待は育つ権利の侵害であることは自明のことですが,無視するという心情的虐待が育つ権利の侵害になると気づかれ難い面があります。
 人として心豊かな子に育ってほしいという親の熱い願いが,子どもの育ちに寄り添った支援になるために,親は自分の子育てを検証することが必要です。子どもの育ちを見極めて,今すべきことか,相応しい程度か,順序に沿っているか,育つ権利に相応しい指導や助言をしていただくことを願います。子育ての全体を見渡したポイントになる12の指標を参考にしてください。

 《場所を得ること》
 子どもの居場所ということが言われます。自分の部屋があれば,そこが居場所になると思っているふしがあります。隔離されている子ども部屋は寝室であり,居場所ではありません。家族のそれぞれがお互いを少し意識しながら,自分のやるべきことをすることができる,そのようなリビングが居場所になります。世間でも,活気のある場所にいるから自分の仕事ができるのであって,一人ぽつんとしていてはやる気は萎えていきます。居場所というのは,人とつながっている中での場所を得ることが大事なのです。

 《手伝いをさせる》
 家族が同じ家に暮らしていても,それぞれが自分のことだけしかしないようでは,閉じこもりであり,居場所にはなりません。家族は生活をしていますが,それは全員が関わるべきものです。子どもにもできることで,生活に関与する機会を与えるようにしましょう。子どもの手を借りると考えればいいでしょう。日々の暮らしの一部を担うことによって,自分も家族の一員であるという気持ちを持つことができるようになります。あなたは邪魔だからあっちで温和しくしていて! それは子どもを家族としての暮らしの外に追い出していることになります。

 《安心させる》
 家にいてもつまらない,することがない,自分のことは自分でしなさいと放り出されている,何かをすると余計なことはしないでと言われる,部屋に行って勉強しなさいと急かされる,そういう環境であれば,子どもは自分の世界に閉じこもらざるを得なくなり,なんとなく不安になります。仕方なく,ゲームにのめり込んで自ら閉じこもってしまうこともあるでしょう。家族が暮らしていく上で,子どもが果たさなければならないことを与えるようにすれば,子どもは面倒に思うかもしれませんが,家族がつながっているという実感を得て,安心することができます。

 《存在感が育つ》
 いない方がいい人というのは論外としても,いてもいなくてもいい人という扱いを受けると,人は自分の存在を危うく感じます。いなければならない人だと思って貰えたら,そこが安心できる居場所になります。さらには,居て欲しいというメッセージを受け取ると,子どもは自分の存在を肯定的に感じることができます。ぎゅうっと抱きしめてあげる,最も身近に触れ合うという単純な行動によって,子どもは安心し,求められている自分を確信します。親と暮らすということは,隣り合わせていることではなく,つながっているということです。



  民法第822条に「親は教育のために,子どもを懲戒することができる」といった内容の条文があります。「懲戒」とはよくない行いを,こらしめること。そこで,親はしつけのために,子どもをこらしめることができると読めてしまうことが問題です。保護者に殴られたり,ご飯をもらえなかったりすることを,児童虐待といって,別の法律で禁止されています。しかし,事件になると親は「しつけ」だったと言い訳をします。民法から懲戒を消そう,違う言葉にしようと法務省では動いています。法による前に,親が勘違いをしないようにすべきですよね。

★落書き★

 話がややこしくなってきたかな,手続きがややこしいなどという,ややこしいという言葉があります。煩わしい,複雑であるといった意味にで使われますが,この言葉は,生まれたばかりの赤ん坊,つまり,「ややこ」を育てるには手がかかることに由来しています。元は京都の人が使っていた京言葉であり,標準語ではありません。今では全国で通じるようです。逆に,赤子を育てることが大変だということが必要以上に強調されてしまわないか,心配になります。


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