*** 子育ち12章 ***
 

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「第 87-06 章」


『子育ちは 世界を分ける 言葉持ち』


■子育ち12基礎力■

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『子育ち第6基礎力』

【教授力を身につけよう!】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第87版では,子どもが育ちによって身につけていく能力の全体を考えていきます。人の育ちは複合的な能力を過不足無く獲得しなければなりません。もちろん特別な能力を伸ばすことも大事ですが,人間としての基礎的な能力が生きていく基盤になります。育ちのペースは子どもそれぞれに違いますが,成人までにはすべての力をそれなりに獲得できるように,側にいる大人がちゃんと導いておくようにしましょう。

●《関心》「分かりません!」。その気付きこそが知識の扉になります。その扉を開ける気持ちがあるかどうか,分かれ道に立たされます。身の回りのことに関心がなければ,無知な状態のままに止まります。何だろう,どうしてだろう,そう思うのが自然です。今の子どもは情報が押しつけられるので,何だろうと思う暇がなくて,受け取るばかりなので,「聞いたことはあるが,何のことか分かりません」という所から抜け出せません。「何だろう? どうしてだろう?」と,知識の扉を開けるように誘ってください。

●《定義》分かるというのは,どういうことでしょうか? 分かるためには,どうすればいいのでしょうか? 基本は分けることです。分けるとは? 名前を付けていくことです。これはリンゴと名付けます。これはイチゴです。これはキャベツです。私の名は○○です。区分けしていけばいいのです。あれは犬であって,猫ではないと身近な動物を分けていくことができます。名付けによって,物事を定義づけていく手続きを基本として,知識が組み上げられ,共通理解が可能になります。豊かな言葉を教えてください。

●《方便》言葉は通じなければ価値がありません。ワンワンやニャ〜オを聞いても,何のことか意味不明です。経験から推察するしかありません。社会活動をする上では,言葉の意味が人それぞれで違っては困ります。「がんばって!」,「?」。頑張るって,どうすればいいのか分からなければ,励ましは意味がなくなります。言葉が正確に通じるためには,相手の言葉力に合わせた言い換えや例えが不可欠となります。相手に分かるようにかみ砕いて話すことを,方便といいます。お話し仕立てにすると覚えやすいことを経験させましょう

●《知識》視聴覚の世界は,見た聞いたという受信機能が働いています。国際的な学力比較で指摘されている子どもたちの弱点は,情報を使える知識にする処理力です。知っていても,使えなければ,情報は知識になりません。受け売りの情報は,ただの情報にすぎません。本を読むことができても,文章を書くことができないと,言葉を覚えたとは言えません。知っていることを説明できるかどうか,そういう訓練を日頃からしておくとよいでしょう。おしゃべりができても,ちゃんとお話しができるとは限らないのです。

●《伝達》「何を言っているのか分からない」ということがあります。話している当人は伝えているつもりですが,聞いている方には伝わってきません。言葉はお互いの考えや思いを共鳴する作用があってはじめて用を足します。伝えるのではなく,伝わることを意識しておくことが大事です。分からなければ確認する,念のために尋ねてみるということなどが必要です。また,立て板に水の話し方より,訥々とした話の方が伝わるということもあります。分かり合えることが気持ちがいいと教えてください。



 今日は何を食べようかな? 今日は何をしようかな? 何をという問は,生きていく拠り所にもなります。何もすることがない,何もしたくない,それはつらいことでもあります。自分が何をするか,そんなことを考えることはなく,しなければならないことに追い立てられているという現実もあります。子どもは,あれこれ忙しいのです。忙の字は心を亡くすと書きます。自分がしていることを自分のことと意識すれば,心を取り戻すことができます。学校に行くべきだと思うから,行きたくなくなります。

★落書き★

 言ってはいけない忌み言葉というものがあります。婚礼の席では,「きれる」「かえす」「はなれる」などは禁句とされていますし,受験生には「滑る」「落ちる」も避けた方がいいようです。ものの名前でもスルメをあたりめ,硯のことを当たり石,擂り鉢をあたり鉢,すりこぎを当たり棒というのは,「する」という言葉を避けて縁起よく言い換えたものです。猿を「去る」につながるからと,「得て」あるいは「得手」に置き換えてエテコウなど言ったりします。


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