『子育ちは 素直に生きて 幸せに』
■子育ち12信条■
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『子育ち第13信条』
【幸せを目指して生きる!】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第88版では,子どもが育ちによって身につけていく能力の具体的な形を考えていきます。人間としての複合的な能力を過不足無く獲得しなければなりません。もちろん個性的な能力の伸長は大事ですが,人間としての基礎的な能力のバランスが生きていく基盤になります。能力獲得のペースは子どもそれぞれに違いますが,成人までにはすべての力をそれなりに獲得できるように,側にいる大人がちゃんと導いておくようにしましょう。
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●幸せとは,仕合わせとも書きます。仕は○○するということであり,「すること」が仕事と言われます。幸せとは,○○し合うという形が基本になりますので,自分一人の幸せはあり得ないことになります。遺伝子はわがままであると学者が語るのを聞いたことがあります。人は生き物として自分だけのことを考えている一方で,種という枠組みでのわがままも機能しています。子どもにとって家族を主とした,周りの人と共に生き合うという仕合わせの時を幸せと感じる連鎖が大事です。
●安心できないと,幸せは流れていきます。しかし,不安がないから幸せかというと,少し違います。居場所は安心できる場所であることが必要ですが,それだけは十分ではありません。居場所とは,人のつながりがあるということで完全なものとなります。独りぼっちではないということです。子ども部屋に追い出された孤独な子どもは,居場所がないと感じているはずです。若者が情報機器に包まれて人とつながっている気分になっていても,無縁であることの埋め合わせにはなりません。
●無視されて言葉が途絶え,誰も分かってくれないとなると,生きていく元気が萎えていきます。ネグレクトはいじめや虐待の手軽な手段ですが,受ける打撃は想像以上に重大です。失って分かる大事さです。逆に,お互いに分かり合うための対話が通い合っていると,幸せな気持ちが行き交います。温かな言葉を持っていると,心がつながります。優しい言葉を語っているから優しくなれます。試しに乱暴な言葉を使ってみると,気持ちがすさんでくるはずです。言葉は人の結びつきの有り様を左右します。
●お金が大切といったモノに関わる価値観ではなく,大切な人がいれば,人に関わる価値観を持つことができます。足るを知るといった曖昧な覚悟ではなく,分かち合うという具体的な確信に支えられる幸せを感じることができます。かつて,兄弟姉妹に恵まれていた子どもたちは,幼い弟や妹をかばうという経験によって,誰かを守るという崇高な志を育んでいました。それが熟していった時,大志を抱くといった生き方ができるのです。愛を求めるだけではなく,愛を護る気概を育てていきたいものです。
●弱い人間という自覚があってこそ,向上・発展に精励しようという気持ちになります。異年齢のつながりの中にいて,下の子より育っている自分を知り,上の子までには育っていない自分を自覚します。同世代の子ども同士は同じ弱さを持っているということで,労り合い,慈しみ合うという幸せがあります。一方で,上の子までの育ちはもう少しと見えるので,何とかついていけるとやる気になります。大人と比べた時のように育ちの差が大きいと,育ちを諦めてしまいます。自分の現状の承認が幸せの基盤です。
●人は自由になる手を持ち,直立することで重たい頭を支えることができるようになりました。大きな脳で考える力と手による器用な活動を結びつけることで,発展の歴史を刻んできました。人の一生も手を使って何かを成し遂げ創造することが幸せでした。何かに没頭している,ひたむきに生きる,健気に生きる,それでいてこそ幸せになります。挑戦せずに逃げていると,幸せは遠ざかります。結果として成功に届かなくても,前に歩んでいるという実感が大切です。親子で打ち込めることを持てるといいですね!
人は欲求を持って,その実現を求めて生きています。生き物としての繁栄を求める生理的欲求,共存を意識したいという安全性欲求,互いに分かり合える仲間を求める所属欲求,大切な人を守りたいという愛情欲求,自らの生存の意義を確認したい自尊欲求,人としての成長を目指す自己実現欲求が,それなりに満たされている時,ひとりよがりではない真正に幸せな人生であると実感することができます。
★落書き★
犬を飼っている方は,よく顔を舐められる経験をされているはずです。その犬の行為を親愛の情の現れと受け止めておられることでしょう。犬は,親愛の情というより,飼い主に服従しますという意味で顔を舐めているのだそうです。子犬の頃に,母親の鼻先を舐めることで食べ物をねだる行為が身についてしまったためと考えられています。ご機嫌を取り結ぼうとしているのです。
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