*** 子育ち12章 ***
 

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「第 9-06 章」


『早口で 言葉多いが 伝わらず』


 ■はじめに

 この講演のはじめのほう(第2条)で,皆さんに「お一人様一個限り」とお願いをしておきました。そこでは,冷蔵庫の話を持ち出しておきました。冷蔵庫を開けると奥の方に使われなかった残り物や買いだめしたものがあります。容量の決まっている入れ物に,そんな無駄なものを詰め込んでいたら,必要なものを格納できなくなります。いつか役に立つかもしれないもの,それはいつかがやってきたときに,手に入れればいいのです。

 そんなことをお話ししておきました。ところで,皆さんが手にしておられる講演のレジメをご覧下さい。右下に小さな枠があり,「メモ」と書いてあります。そこは,講演の内容で,ちょっと気になったことをメモしていただくためのメモ欄です。一つしか書き込めないほどのスペースしかありません。別に意地悪をしているつもりはありません。

 子どもを育てているときに,「将来必要になるから」という理由で,子どもにあれやこれや荷物を持たせようと無理をしていることはありませんか。将来のために必要なものを揃えようとすれば,一生分を抱え込まねばならなくなります。大きくなって必要だからと,背広やドレスを今から揃えるということはしませんよね。子どもがどんな体型になるかも分からないのですから,当たり前です。

 ものごとには「適時性」,つまりタイミングというものがあります。必要性とは今なのです。明日必要なことは今日は必要ではありません。今必要なことだけを子どもに持たせれば,子どもはもっと楽に育つことができます。親も同じです。明日のことを心配するよりも,今日を充実させることです。そんなことを言われても,今日しておかないと明日では間に合わなくなることもあるのでは? もちろんです。下準備は必要です。その上で,あえてお願いしたいことは,明後日のことは明日考えて用意してくださいということなのです。明日は予定があってできませんか?

 子どもは今必要な育ちをしていけばいいのです。そのために,皆さん方には親としての今の自分に必要な内容だけをお持ち帰りいただきたいのです。明日要りようになるものは,この情報化社会の中では誰かが別の形できっと届けてくれるはずです。基本的なことは誰が考えても同じはずです。いつか役に立つかも,そんなものが役に立った試しはありません。なぜなら,昨日手に入れたものは賞味期限切れになるからです。

 知恵という情報にも賞味期限がありますし,旬の時が美味しく,時間を経ると変質します。レジメの小さなメモ欄は,できたての話の中でお口にあったものだけをよそっていただきたいという,講演者の願いを意味しているのです。食べきれなかったものはお持ち帰り!? できればご遠慮を・・・?



【チェック第6条:子どもに意味が伝わっていますか?】

 《「意味が伝わる」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇第6条の意味?

 全体の構成である「誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのか」という問題設定の三番目,「いつ育つのか」という問題について考えていますが,その後半です。もう一人の子どもは言葉を覚えたときに育っています。ところで,言葉は意味を持っていますが,どういう機能が期待されているのでしょうか?

 言葉といえば,コミュニケーションの道具ですね。こうして皆さんにお話ができるのも言葉があるからですが,皆さんが聞き取れるためには,私の言っている言葉の意味が皆さん方と共通していることが必要です。例えば,「R.Tはピーしていますね」といった意味不明の言葉をお話ししても,チンプンカンです。また,私などと違って超エライ先生の講演ではやたらと学術用語が出てきて,わけが分からないという感想もよく耳にします。つまり独りよがりな言葉は通じませんし,何の役にも立ちません。意味がないのです。

 こんなこともあるでしょう。何を話しかけても「アー」という返事しか返って来なかったら,どやしつけてやりたくなりますよね。返事をする方の立場を好意的に考えると,「アー」の一言でいろんなことを表現している積もりかもしれません。例えば,犬は「ワン」としか言いませんが,いろんな意味のワンがあるということです。でも,やはりそれは言葉ではありません。

 言葉には大事な機能があります。それは森羅万象,あらゆる物事を切り分けているという機能です。それが言葉の意味になるのです。一つ一つの言葉が何を表すのか決まっていて,それをみんなが共通理解しているということです。ということは,もう一人の子どもが言葉の正確な意味を一緒に覚えていなければ,育ちの栄養にはならないということです。

 言葉の意味には,さらにいくつかのパターンが振り分けられています。学校で習うパターンといえば,ものの名前である名詞,行動を表す動詞,感覚を表す形容詞などがあります。この講演で取り上げておきたいことはちょっと違います。もう一人の子どもの育ちに不可欠な言葉は,正しい言葉,よい言葉,美しい言葉でなければならないということです。意味が大切なのです。

 何が正しいことか,よいことか,美しいことか,という点については,あらためて別の条で触れることにして,ここでは言葉が持っている意味を確実に子どもに教えることの大事さについて,第6条として,お話ししておきましょう。

・・・意味が曖昧な言葉では,きちんとした育ちは望めません。・・・


 〇体験?

 最近の教育界では,体験が推奨されています。体験の不足が,いろんな場面で目に付いてきたからです。仮想世界に遊ぶ時間が増えるとともに,現実感覚が失われてきたという危惧もあります。ゆとりの時間や週五日制の実施に伴って,体験機会の提供が計画実施されています。

 親にすれば,子どもは結構体験しているはずと思います。多少は体験の種類に偏りはあるにしても,毎日何の体験もしていないということはあり得ないのでは,と高をくくっているところがあります。また,風潮に乗って企画される体験行事も,子どもたちを集めて昔遊びをやらせてみたり,地域のオリエンテーリングをしたり,通学合宿をしたりで,限られた時間だけの一過性に終わっています。

 それら全てが意味がないということではありませんが,もう一つ何かが足りないという印象を受けています。いかにもこれが体験ですよという,イベントに様変わりしているのが,心許ないのです。もっと日常的で暮らしに根付いた体験でなければ,本物ではないと感じています。生きる力というキーワードを耳にされたことがあるでしょう。その意味からは,生きる体験こそが求められている体験です。

 「疲れた」と呟きながら座ったママに,子どもがふっと思いついて寄っていき,肩たたきをしてくれます。「いい気持ち,○○ちゃんは優しいのね」。自分がした肩たたきをママが喜んでくれたという「行為の意味」を分かり,同時にママのためにしようとした思いつきを「優しい」と評価されて,優しさとはどういうことを意味するのか,体験的に理解できます。

 何か特別の体験が必要なのではなくて,ごくありふれた体験を体験として意味づけることが大事なことなのです。その意味づけをするのが,適切な言葉掛けです。体験だけでは意味がないのです。体験に言葉をかぶせてはじめて,意味が備わります。このフォローが疎かになっていると,どんな体験をしても意味がなくなります。

 単純に言葉を覚えるということに限っても,実物を前にして言葉を覚えなければ役に立ちません。「犬」という単語は犬を見たことのない人には分かりません。犬を見たことがあれば,誰にでも通じます。池しか見たことのない人が,湖という言葉は使えません。特定の異性のことが気になって胸が高鳴るようになって,それが恋だと言われたとき,始めて恋という言葉の意味が分かります。そうでしたよね?

・・・体験のない言葉なんて,言葉のない体験なんて!・・・


 〇意味づけ?

 歴史の勉強で,年代を覚えるのに語呂合わせをしましたね。元素の周期律表を縦横に文章化して覚えたことを思い出します。大人になっても,身近な暮らしで電話番号を言葉に代えると,覚えやすいですね。記憶術として連想を使うというのも同じことです。言葉にするのは意味のある方が覚えやすいからですが,どうしてでしょう?

 覚えやすいと言いましたが,実はこの言い方は正確ではありません。思い出しやすいという点がセットになっているのです。戸棚に入っているモノを取り出すときに,ごちゃごちゃと入っていたらどこにあるか分からないので,取り出せません。きちんと整理整頓されていれば,さっと取り出せます。記憶も同じことです。意味に基づいて整理された言葉の入れ物,それが順序よく積み重なることで,もう一人の子どもの知恵という能力が育っていきます。

 いま,順序よく積み重なると言いました。一を聞いて十を知る,利発さを育てようとするなら,物事の前後関係を考える癖をつけておかなければなりません。「曇ってきたわね」。その言葉は今の空模様を見たまんまです。でも,「もうすぐ雨が降りそう」という意味を引き連れています。雲が出ると雨になるという体験を知識に持っているから,適切な意味が記憶から引き出されてきます。

 「脱いだ履き物はきちんと揃えなさい」。そう言われて,子どもは慌てて靴を揃えます。見ると,脱いだままの向きに揃えられているだけです。「きちんと揃えなさいといつも言ってるのに,意味が全然分かってないんだから!」。 まずは,「きちんと」というのが分かっていません。例えば,「ママの靴と同じように並べてごらん」とでも言えば,きちんとという言葉の意味が見えます。

 それでも,揃えておくという意味は分かりません。言われるからしているだけです。意味を伝えていないから,いちいちあれこれ全部言わなければならなくなります。応用が利かないというのは,こういう意味の分からないままの体験しかしていないからです。どうすればいいのでしょうか?

 揃えておくとどうなるか,という続きを教えておくことが大切です。出がけに靴を履きます。そのときです。「昨日きちんと靴を揃えて置いたから,今日は靴をすぐ履けるね」。こうすればこうなる,そのつながりを理解できるとき,意味が分かります。揃えること,片づけることが次の動作とつながっているということを,靴を揃えるという例題を通して理解できます。こうしておけば,応用が可能になります。

・・・言葉や行動はきちんとつながることで意味が現れます。・・・


 〇足し算の意味?

 これから,算数の復習をしておきましょう。「3+2」はいくらですか? 5ですね。それでは,「男の子3人+女の子2人」では何人ですか? 5人ですか? 間違いないですか? 小学生の中で,3+2=5が分かっていても,男の子と女の子の足し算ができない子どもがいます。足せないというのです。皆さんは5人と思っているはずです。でも,足せないという子どもの方が正しいんです。どうしてでしょう?

 もう一つ,「電柱3本+マッチ棒2本」では何本でしょう? 答えは5本ですか? ちょっと無理ではないですか? 足せませんよね。男の子と女の子も足せないんです。違うものは足せません。では,どうして男の子と女の子を足して5人と答えたのでしょう。5人とは男の子ですか,女の子ですか? どちらでもありませんね。子どもです。男の子も女の子も子どもです。同じ子どもだから足すことができて,5人の子どもになったのです。男の子も女の子も同じ子どもと言い換えることができたということ,同じものしか足せないという計算の意味を理解していないと,分数の足し算が分からなくなります。

 1/3と1/2を足してください。2/5だったらいいんですが,そうはいきません。通分しなければなりませんね。2/6と3/6として足すと5/6になります。分数は通分するものと知ってはいますが,その意味が分からないままに過ぎてきませんでしたか? 通分という言葉の意味を!

 リンゴで考えてみましょう。1/3とは3つに分けた1つ,1/2は2つに分けた1つです。同じ1つですが,それぞれのリンゴの大きさは同じですか? 違いますね。違うものは足せません。言い換えなければなりません。1/3は1/6に分けたものが2つと同じであり,1/2は1/6に分けたものが3つと同じです。そこで,同じ1/6のものが2つと3つですから1/6が5つあると計算できるのです。通分するとは,同じものを足すという意味なのです。

 算数などの知識に限らず,暮らしのあれこれに見られる普段の知恵には,どれにもちゃんとした意味があります。その意味を弁えないでいると,中途半端になります。足し算は和算ともいいますので,無理にこじつけて,人の和を考えると,暮らしの場での挨拶,お辞儀につながります。「ちゃんとお辞儀をしなさい」と注意されて,「すればいいんでしょう」といった投げやりな態度が出てくるのは,頂けません。そのお辞儀の形の意味は何でしょう?

 人から頂き物をするとき,頂戴すると言います。頂も戴も「いただき」,天辺という意味です。頂き物を手で人間の天辺である頭の上に捧げるポーズから来ています。ところで親切や厚意などの形のないものを頂いたときには,手に持って頭上に捧げることができません。そこで頭を下げることで,頭頂を親切や厚意の方に向けて,頭で受け取っていますと示しているのです。最敬礼のつもりで頭頂を地面に向けてしまうほど深々とお辞儀をすると,こぼれてしまうのでおかしなことになります。意味が分かれば,自然にきれいなお辞儀ができるはずです。

・・・物事を弁える近道は,言葉の意味を知ることです。・・・


 〇伝えた?

 何遍言ったら分かるの? 子どもに言って聞かせるのは大変ですね。やがて,屁理屈で応酬してこられるようになると,ぐっと詰まってしまうこともあります。伝えたから伝わったとは限らないのです。言葉の醸し出す意味がお互いに共有されていないことがあるからです。人それぞれに自分なりの意味づけをする傾向があります。ニュアンスの違いなどは,日常茶飯事ですね。

 黄色の交通信号。まだ通過できると突っ込む人があれば,止まらねばと急ブレーキを掛ける人がいます。この二人が前後逆になっていると,追突事故が起こります。意味の違いは,人と人がふれあう公共の場では時として危ないことになります。

 大人社会の影響を受けて,子どもたちに周りに対する気配りの欠如が見られます。たとえば,授業中に声をひそめることもなく私語をするといった,周りの迷惑に気付かない鈍感さが見られます。私の空間と皆の空間という仕分けができていません。私語とは私事であり封じるべきものという意味を教えられていないからです。

 親は自分が生きてきた中で体験から得た知恵を子どもに伝えなければなりません。暮らしの中で子どもにあれこれ指示し命令することでしょう。そのときに,大事なことについては,お話をしてほしいのです。いわゆる体験談です。それも失敗した話がいいでしょう。失敗談は大切なポイントを強調できるからです。お話にすると知恵が具体性を帯びることができて,子どもにも素直に伝わります。

 道端に空き缶が転がっています。「この空き缶は,どうしてここにあるんだろうね?」。空き缶が辿ってきた顛末を考えさせます。幼い子どもであれば,捨てられて可哀想という擬人化をすることでしょう。そうでなくても,とにかく小さな空き缶物語が生まれるはずです。そこに意味が浮き上がってきます。子どもがお話を聞きたがるのは,そこに意味を見つける喜びを感じているからです。意味が分かれば,うれしいのです。

 自分の家に咲いた花と買ってきた花では,可愛さが違いますね。手植えの野菜と買ってきた野菜とでは,まるで美味しさが違います。買ってきた総菜とママの手作りでは,味わいが異なります。何が違うのでしょうか? 身近なものへの愛着ですが,それには具体的な物語が備わっているからです。

 物語には関わりのある人やものが登場します。その世界は皆の世界です。私だけの世界では物語にはなりません。物事がどうつながっているか,それが話の筋として顕わになります。自然に他者への気配りや,一人で生きているのではないといったイメージを持つことができます。子どもにお説教をするよりも,説話をしてください。何遍言っても分からないのは,お話をしてやっていないからです。伝えたつもりでも伝わっていないのは,話し方が拙いために意味が見えていないからで,決して子どものせいなどではありません。

・・・意味を伝えようとしないと,知恵は伝わりません。・・・


 〇よく分からない?

 さて,皆さん方は小林一茶という俳人がいたことをどこかで学ばれたことでしょう。一茶の発句もいくつかは覚えておられると思いますが,そのうちの一つに,「やせがえる 負けるな一茶 これにあり」という句がありましたね。私が何となく覚えているのは,この句と一緒に絵が添えられていたことです。それは,カエルが相撲をとっているのを,一茶が観戦してる絵柄でした。

 痩せたカエルが負けそうになっているのを,一茶が「私がついている」と声援しているといった風情です。弱い方に味方する心優しい一茶の人柄を彷彿とさせます。だからこそ,子どもにもよい教材として,教えられています。それはそれでいいのですが,大人の鑑賞ではありません。一茶がどういう気持ちであったのか,共感しなければなりません。エッ,どういうこと? 実は,ここだけの話ですが・・・?

 一茶は200年ほど前の人ですが,不遇の人生をおくっており,52歳になってやっと結婚をしました。若いお嫁さんを貰った頃に,「やせがえる・・」という句を詠んでいます。ところで,カエルは何のために相撲をしているのでしょう? やせガエルが相撲をとる意味があるのです。嫁取りをするための相撲なのです。カエルは強い子孫を残そうとするために,雌ガエルは強い雄ガエルを求めています。強くなければ嫁が来ないのです。

 一方,そのころの一茶は若い嫁を相手に,今夜は三交などと,おつとめ(?)の回数を日記にこまめに記録していました。痩せた身体にむち打って,嫁のために頑張っていたのです。嫁取りに頑張っているやせガエル,痩せたもの同士,嫁には苦労するな,でもいいもんだぞ,俺も頑張っているんだから,お前もガンバレよ。そういう意味を「やせがえる 負けるな一茶 これにあり」という句は持っているのです。子どもには話せないですね。

 話は変わりますが,親子の間でたくさんの言葉が交わされるでしょう。でも,親の言った言葉がちゃんと子どもに受け取られたかどうかはかなり危ういものです。叱咤激励,叱ることで励ましているつもりですが,子どもは叱られたとしか受け取れません。背後にどんな親の思いがあるのかなど,読みとる力はありません。親にならなければ親心は分かりようがないからです。そのことを弁えて,子どもに分かるように言葉を与える気配りが大切です。

 子どもには説明しにくいことを問われることもあるでしょう。10年早いという事柄です。子どもなりの意味を持たせればいいでしょう。子どもにはよく分からないということもあっていいのです。大人になれば分かる,そういう難しいこともあることを知るのも育ちにとって大事なことだからです。

・・・いま分かる分だけ分かっていけば十分です。・・・



《意味が伝わるとは,イメージが思い浮かべられる納得です。》

 ○ママが4歳の息子さんの頭をホームバリカンで丸坊主にしてやりました。祖母が「その頭、誰に刈ってもろたん?」と聞いたら,顔を真っ赤にして怒って言いました。「誰にも買ってもろてへん! 初めからついてたんやっ!」。祖母は,なんで怒られたのかまだ解らないらしい。(cheikoママ)

 言葉の行き違いは日常茶飯事でしょう。同じ発音で意味の違う言葉があるからです。伝えた言葉がちゃんと伝わらないという意味違い。そんなことがいつでも起こりうると,知っておいてくださいね。笑い話で済むうちはいいのですが,子どもは思いこんでしまうので恐いですよ。


 【チェック第6条:子どもに意味が伝わっていますか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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