*** 子育ち12章 ***
 

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「第 9-10 章」


『なぜだろう 思う楽しさ ある育ち』


 ■はじめに

 学校週五日制が完全実施に入って,にわかに子どもたちの学力不足が意識されるようになりました。大学などで教壇に立っていると,学べない学生の蔓延はかなり以前から実感していたことです。ことさら新しい事態などではなく,放置できない状況になってしまったということに過ぎません。

 私語をする学生を注意しても,5分ももちません。リビングでテレビを見ている感覚です。先生は勝手にしゃべっていると思っています。面白いことが飛び出さない教育テレビの視聴率が数%であることと全く同じなのです。学びの楽しさ,学びの面白さに対する感性がほとんど未開拓です。学びに対しては,CMを喜ぶ赤ん坊同然です。

 面白くおかしく教えてもらうことを期待しているようです。「ここは試験に出るから覚えておきなさい」,先生がそう言わなかったから試験が不合格になったと詰め寄ってくる学生がいましたが,そんな甘えを求める学生は十年以上前に現れていました。今はその甘えすら見せず,試験ができなくても,みんなができないからと安心しています。

 学びを知らない子どもたち,巣立っていった若者がそろそろ職場で中堅に差し掛かっている現在,企業の活力が衰えているのは当然の結果です。中堅がしっかり自己能力を発揮してきたからこの国は豊かになったのですが,今は落ち目に向かっています。景気を動かしているマンパワーが活力を持っていないのですから,心配です。

 そんなことはない,懸命に頑張っていると言われるかもしれません。人それぞれに頑張っていることでしょう。でも,頑張り方が的を得ていないのです。無駄な努力とは言いませんが,確かな結果の出る道に沿っていないのです。大人になるとは自分で考えることです。世間の風潮に従ってもそれは無駄足です。風潮になった知恵は既に賞味期限が切れた知恵だからです。自分で考える,それが学びですが,学びをしたことがないと時代を動かすようなことを考えることなどできない相談です。

 仕事の現場で一人ひとりが小さな知恵を持ち寄ることが活力です。そんなことは人に任せておけばいい,自分は関係ない,そう思って多くの人が逃げているから,世の中は沈滞していきます。ゆとりの教育という言葉が誤解されています。自分で考えるという学びの癖をつけるための猶予が本来の趣旨ですが,学習時間を減らして自由時間が増えると早とちりをしています。これから,子どもを考える人に育てるにはどうしたらいいか,考えてみましょう?



【チェック第10条:子どもに段取りを教えていますか?】

 《「段取りを教える」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇第10条の意味?

 全体の構成である「誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのか」という問題設定の五番目,「なぜ育つのか」という問題を考えています。子育ちはもう一人の子どもが育ちたいと思うことだからです。

 ところで,育つというのはどういうことでしょうか? 座していれば育つことはできません。寝る子は育つと言いますが,それは子どもの肉体であり,もう一人の子どもは眠っていたら育ちません。育ちとは2階に登ることと同じと考えてみてください。階段を一段ずつ上がっていって,2階という育ちの段階を獲得します。日々上り続けなければ育ちはありません。

 子どもたちは育ちのエレベーターがあると勘違いしています。一階にあるボタンを押して一歩だけ進んでおくと,あとは自動的に2階まで上げてくれると思っています。育ちにはエレベーターはありません。育ちにも王道はないのです。

 若者は好きなことをしたいと願っています。一人で好きなことをしていればいいのです。誰にも迷惑を掛けずに! 暮らしのあれこれは親にオンブにダッコして,自分だけ好きなことをしようとブラブラするのは幼児です。大人とは自分のことは自分で賄って,その上他者になにがしかの力を提供できる余裕を持っている人のことです。だからこそ例えば家庭をもっている人が大人と見なされてきました。

 大人の資格とは何か,そこまで育つにはどのような階段を上っていけばいいのか,自分は今どこにいるのか,そういった大人への育ちのイメージを持つことが大事です。生きる姿勢として,今日一日を大事に生きることが大事です。問題は何を大事と思うかということです。太く短くという言い方があります。したいことをして生きられたら,人生は短くていいという開き直りです。でもそれは,人生の入り口に至っていない子どもには馴染みません。

 幼児や児童に対して大人への道を考えることは早過ぎると思われることでしょう。でも,今上っている階段は大人への階段そのものなのです。少なくとも階段の上り方はしっかりと身につけさせておかなければなりません。それが,段取りなのです。大人に育とうとしていないのは段取りを疎かにしてきたからです。どういう意味でしょうか?

・・・育ちたいとは,大人になりたいという願いです。・・・


 〇学ぶ力?

 学ぶということで最も直接的な話題は試験でしょう。大学の入学試験でとても気になる傾向が現れています。志望している学科で必要な科目を避けて,点の取れそうな科目を選択する受験者はかなり前から少なくありませんでした。入学後の授業が分からず,教える方が高校までダウンさせなければならず無駄な時間を費やされます。

 試験では,問題の意味が読みとれないものが増えてきましたが,受験する資格もありません。さらに問題を完全に解き終えたものは一問もなく,全て部分点で合格になっています。受験テクニックなのでしょうが,学びとしては全く意味がありません。少なくともこれは解ける,それが力です。中途半端では,何もできないのと同じです。

 育ちとはできることを一つ一つ積み上げていくことです。親としてそれは分かっていますが,子どもはあれこれやりっ放しで,最後までちゃんとやり通すことをしていないようにみえて心配です。この最後までということを考え直してください。親は2階まで届くことを最後と思っていますが,階段を一段上がることでいいのです。例えば,試験で全問正解して100点を取ることがちゃんとやり通すことではなくて,一問でもできていれば着実に上っていると思うことです。

 全体の点数を上げることも大切ですが,できた問題があることの方を大事に考えてください。それがちゃんと育つということです。子どもはあれこれ首を突っ込みながら,今日はこれの階段を一段,明日はあれの階段を一段,いろんな階段を一段ずつ上っていきます。どの2階にもなかなか届きませんが,それでも確実に上っているのです。

 今日はこれができた。あれはできなかったけど,明日はできるかもしれない。先は遠いけど,一つ一つ。一年前と比べてごらんなさい。ずいぶんできることが増えているはずです。「パパだって小さい頃はできなくて泣いたんだぞ」,そんな話が子どもに勇気を与えますし,なにより育ちという道を信じる気持ちに導きます。育ちの段取りが何となく実感できるからです。

 スモールステップという言葉があります。小さな階段です。子どもの歩幅にあった育ちの階段です。大人が苦もなく上る階段でも,子どもには這って一段ずつよじ登らなくてはなりません。子どもの力に適うステップを用意してやってください。ただし,ちょっとだけ難しい階段を!

・・・学ぶ力とは,小さなことでもできる力にしようとする意志です。・・・


 〇弁える?

 もう一人の子どもの育ちとは,物事を弁えていく能力の獲得です。自分にできる力を持たせようとする子育ちが生きる力に適っているかを検証するためには,行動能力の行使がもたらす帰結を推察する能力が必要です。簡単にいえば,こうしたらこうなるという予測をする力です。

 ビンをコンクリートの壁に向かって投げたら割れる。割れたら面白い。だから投げて遊ぶ。これでは,予測が不十分です。割れた破片が人を傷つけることを考えていません。危険だということを推察できたら,遊びを止めることができるはずです。竹藪で竹を切り出すとき,斜めに切った切り口は危険だから先をつぶしておくことは当然の気配りです。

 好きになった娘さんをつけ回す。直接は何も手出しをしていない。そっとつけ回して何がわるい,自分に正直に生きているだけ? そんなストーカー行為も,相手に及ぼす意味を読みとる力が育っていないことから発生します。社会に生きる上で不可欠なことは,人は自分の思い通りには考え感じてはくれない別人なのだという認識,だからあらゆる可能性を想定する必要があるという洞察です。

 他者に対する弁えばかりではありません。夜更かしをする。翌朝はぼんやりしている。午前中の授業は寝ぼけていてよく分からない。勉強についていけなくなる。学校が面白くなくなって夜更かしに逃げる。こうして落ちこぼれスパイラルにはまっていく? ボタンを掛け違うと,自分自身の物事さえ望ましくない方向に動いていきます。

 子どもはあらゆる可能性を持っていると言われます。そこでは何を選ぶかという自己責任があるはずです。育ちという積み上げプロセスでは,一つの育ちが次の育ちの選択範囲を限定していきます。例えば,前にもお話ししておきましたが,乱暴な言葉を選んでしまった育ちは,その後の育ちを乱暴なものに限定していき,優しさへの育ちは切り離されていくのです。

 もう一人の子どもが幼いうちは親が良いものを選んでやり,育ってくるにつれて良いものを選択するために必要な洞察力を培うようにし向けてやらなければなりません。よい体験わるい体験をする中で,こうしたからこうなったという知恵を育むことができます。体験学習の意味は自ら考える力を育むことと言われていますが,もっと直截に言えば,原因と結果という物事の流れ,つながりを見極める知恵を具体例を通して学ぶことなのです。この一連の流れの一つ一つが意識化されたとき,段取りという認識ができるようになります。

・・・弁えるとは,人や物事のつながりを順を追って見極めることです。・・・


 〇分かる?

 子どもたちはパソコンを取りあえず使っているうちに大して苦労をせずに覚えていきます。大人はまずマニュアルを読むことから始めるので,なかなか習熟できません。この取り組み方の違いはなぜでしょう? 大人は理屈から入ろうとしています。つまり,こうしたらこうなるという段取りが分かっていないと始められなくなっているのが大人なのです。

 何かを始めるときは下準備が必要です。IT教室でも,ここをこうしたらこうなりますという説明を聞きます。手順という段取りを習うのです。行き当たりばったりでは壊れるかもしれないという不安があります。段取りを知ることで,安心してマウスをクリックできます。

 パソコンをやっているうちに何となく覚える,それは使い方までです。与えられたソフト以上のことはできません。自分流にするためにはプログラムをいじらなければなりませんが,そこには命令のシステムを段取りに沿って構築する作業が不可欠です。何らかの機能を持ったものを設計しようとすれば,部品を理解し組み合わせを工夫し順序よく稼働させねばならないのです。

 機械装置とのコミュニケーションだけではなくて,人とのコミュニケーションでも同じです。言葉という部品を一つの意味を持った文章にするためには,順序よく並べることが肝要です。読むことはできても,書くことは段取りを考える力がなければ実現できません。起承転結もまた大きな段取りです。スピーチや挨拶などを聞いていると,この人は一体何を言いたいのだろうと思うことがあります。言葉や文章に段取りが施されていないからです。

 理科系離れが危惧されています。それは基本的に論理の世界です。こうすればこうなる,その連続の世界です。そんなことを考えるのはめんどくさい,うざったいと逃げている若者が多いのです。直感的な世界に育っているためです。言葉の貧困がその主な要因ですが,言葉をつなぎ,文章をつなぎ,思考を積み上げていくことに慣れていないからです。理科系離れは,段取りを基本とする考える力の衰退を表しています。

 格好いいという感性の世界の他に,なるほどそうかという理性の世界があります。この理性の世界が大人の社会の核です。子どもたちが「なるほどそうか」と段取りを分かる世界に楽しみを持てないと,先行きの不安が膨らんでくると同時に,人生を切り開くという手だても失うことになります。希望とは何とかできるのではないかという自らの考える力への信頼から生まれるものです。

・・・分かったわね,それは段取りを教えることです。・・・


 〇前提?

 段取りにおける最も初歩的なものは,前提です。うちの子には音楽の才能があるという言い方は,前提をさしています。前提を確認しておくことも段取りに沿って物事は実現できるという考え方です。子どもにどんな前提が備わっているか,それを見極めるために親はあれこれやらせているのです。

 贅沢に暮らしていると人の苦しみや哀しみが分からないと言えるのも,人は体験したことしか実感できないという理屈の前提が壊れているからです。豊かな暮らしをしていると豊かさが実感できないと言うのは,人は違いに遭遇したときにはじめて自らを理解するという理屈の前提に着目しているのです。辛いときに掛けてくれた情けの有り難さ,困っているときに助けてくれた親切のうれしさ,あるいは失ってはじめて分かる幸せ,いろいろありますね。

 日常が平凡だから,ちょっとしたことが楽しく感じられます。この子が突然事故で死んでしまったら,そんなことは考えたくないですね。それでも,事故のニュースを我が身に重ねたら,この子がいてくれるだけでよかったと再確認できるでしょう。事故の親への同情は本物に少し近づくことができます。うちの子でなくてよかった,単純にそう思うだけではなく,もう一つ気持ちを当事者に移してみることも,自分を知る前提になります。

 おもちゃを片づけるようにしつけたかったら,おもちゃを入れる箱を用意することが前提を満たすことです。玄関の靴を揃えさせたかったら,靴の形を床に描いておいてやることも一つの前提です。言葉を教えたかったら絵本を一緒に読み聞かせしてやることです。勉強させたかったら雰囲気を大人が作って巻き込むことです。孟母三遷の故事は環境という前提の大事さを教えているのです。

 草花やお米を植えて育てる体験も肥料や水やりの世話をすることで,生きることの前提を学び,自分の育ちの段取りを考える例題になります。人も同じように食物を食べ水を飲んで育っていると実感できることが大事です。パパとするキャッチボールも,毎日しているうちにだんだんと上手になります。できるようになるためには,毎日の練習という前提が必要です。

 今の子どもたちが結果だけを求めて,練習を嫌がっているのは,前提が不可欠ということを教えられていないせいです。何かが欲しいときには買ってくればすぐに手に入るというのではなくて,ママの手作りをじっくりと楽しみに待つという経験が不足しています。ママの炊事の手伝いをしていた子どもは,美味しいものができるプロセスに参加できたから,自然に面倒な前提を苦にしなくなり,かえってできあがりを楽しみにするように育っていました。

 暮らしはいろんな前提の上に成り立っています。子どもを暮らしから切り離したことで,雑用と呼ばれている前提を子どもから取り上げてしまったのです。汚れたものは洗濯をする,それが清潔さをしつける前提だということを忘れないでください。

・・・必要な前提が満たされない限り,何も始まりません。・・・


 〇どうして?

 ラムネのビンの中にビー玉が入っています。子どもはどうすれば取り出せるか考えるでしょう。神社の狛犬がカッと開いた口に玉をくわえています。取り出せないか引っ張ってみたこともあるでしょう。取り出そうとすると,必然的にどうして入れたのだろうと疑問が湧いてきます。製作作業の段取りに目が向くことになります。

 子どもたちはなぞなぞが好きです。目をつぶらないと見えないものな〜に? それは夢。何?という疑問は初歩的です。どうして眠ると夢を見るのか?という疑問は高度です。子どもから尋ねられる何という質問は答えられますが,どうしてという質問には詰まってしまうことが多いはずです。どうして?は理由を尋ねており,こうだからこうなるという因果関係を含む論理だからです。

 2+3は5と覚えてしまうのが,何という質問の答えです。これは単なる記憶型の学習です。2+3はどうして5になるのか,それが計算の仕組みを理解する学習です。2+3と5は同じになるという足すことの意味が分かれば,応用が利くようになります。同じ結果を得るにしても,何という勉強と,どうしてという勉強で,大きな差が出てしまいます。

 人を叩いたらなぜいけないのか? 人にバカと言ったらどうしていけないのか? お店の品物を勝手に持ってきたらなぜいけないのか? 子どもが分からなければならない仕組みがたくさんあります。もちろん,いけないことと覚え込ませることで初期のしつけはできますが,次の段階にはどうしてかというわけを納得させておかなければなりません。万引きはいけないと分かっていても実行してしまうのは,納得していないからです。しつけには,知る,分かる,納得するという段取りがあります。

 社会の仕組み,知識の構造,暮らしの知恵など,生きる上で必要なことはほとんど言葉で説明することができます。ということは,理解できるように整理されているということです。もちろん全てではありませんが,それはこれから言葉を産み出していけばいいことです。もう一人の子どもが,どうしてと考える力を使って基本的な段取りを見つけ,それを納得し,実行できるように自らを育てていこうとする,それが子育ちへの意欲の意味です。

 なぜ子どもは育とうとするのか? それは生きること自体がなぜ,どうしてという人にのみ与えられている分かろうとする意欲を駆り立てるテーマだからでしょう。一つ一つの疑問が解き明かされていく知的な喜び,底辺にはそういう熱情が潜んでいます。何も高邁な考察のことではなくて,例えば,どうして自分はあの人が好きになったのだろうとか,どうしてあの山に登ろうとしているのかとか,気になることが普段の暮らしにたくさんあるという意味です。子どもがどのようにその課題に出会うのか,どのように取り組んでいくのか,それは次の条でお話しすることにします。

・・・育ちは自分を納得したい思いに動かされています。・・・



《段取りを教えるとは,いろんな面でのつながりに気付かせることです。》

 ○屁理屈をこねてくる子どもにいらつくことがあるかもしれません。理屈ではそうだけど,実際はそう甘くはないよと言うのが大人の常です。「でも,だって,どうせ」という理屈をひっくり返す言葉があることは,理屈とは一筋縄ではいかないからです。

 たとえそうであっても,それは理屈を成り立たせている前提を違えているからです。机上の空論と言われるのは,現実という前提を組み込んでいないものをさします。子どもと大人の前提が違うことは仕方がありません。生きている世界が違うのですから。子どもなりの理屈をどのように修正すればいいか,焦らずに少しずつ手がけてください。そうしないと,考えない子どもにしつけてしまいます。


 【チェック第10条:子どもに段取りを教えていますか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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