*** 子育ち12章 ***
 

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「第 9-12 章」


『できないと 投げ出す子ども もう少し』


 ■はじめに

 子どもは宝物です。でも,磨いてやらなければなりません。優しくしっかり焦らず根気よく,なによりも心を込めて・・・。宝物はもろいものです。手荒く扱ったり粗末に扱えば,ぱちんと弾けてしまいます。宝物は取り扱い注意です。

 並の宝物とは違って,この宝物は自分で光るようになります。どんな色に光るのかは分かりませんが,光りたいという生命がほとばしります。明るい色であったり落ち着いた色であったり,暖かな色であったり寂しい色であったり,時に応じ場に応じて微妙に変幻します。

 高山に咲く花は高山の風土に馴染み,湿原に咲く花は湿原の風土に適合します。同じように,子どもという輝きも家庭や地域の風土に適うように自らを染めていきます。広くは○○県人と言われるように,育った土地柄の香りが漂います。狭くは長子か次子かという色合いも醸し出されます。

 土地色を出すとダサイと言われます。ダサイとは田舎い(タシャイ)と書くように,土地色だからです。でも,その個性があるから,人の輝きが映えてきます。太陽の色が虹色からできているように,何色か分からない透明な輝きは個性的な色が集まるから生まれるものであり,決して個々の輝きが透明なわけではありません。

 人には得意な分野があり,そうではない分野があります。いろんな得意をもつ人が集まるから,社会生活が成り立ちます。そこで不可欠なことはコミュニケーションという人と人とのつながりです。つながりといっても二つの側面が現れます。マイナスの側面は干渉しあいお互いの得意を消し去ることです。もちろんプラスの側面はお互いの得意を結び合います。

 人は生きている限り輝く可能性を持っています。何も賞賛される輝きだけが輝きではありません。傍にいる人に届くだけの輝きで十分です。寄り添う人,それはお互いの輝きを合わせて,新しい輝きを産み出そうとする素直なつながりです。その和が輪になり家族になり,人間らしい輝きを発していきます。子どもという宝物は,家族と調和して輝くことを喜びとし,人として生きることを願うように育っていきます。



【チェック第12条:子どもに学び方を教えていますか?】

 《「学び方を教える」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇第12条の意味?

 全体の構成である「誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのか」という問題設定の六番目,「どのように育つのか」という問題についてお話ししています。子育ちの基本的なプロセスである「失敗・反省・学習・挑戦」という4サイクルの出発になる失敗の勧めをしておきました。何事も最初が肝心ですよね。

 失敗は成功の元と言われています。発端が失敗であるということです。それでは成功までの道筋はどうなっているのでしょうか? 失敗するだけでは成功は覚束ないはずです。失敗を成功に育て上げるプロセスがあるはずです。そのプロセスが子育ちのプロセスとも重なっています。人類の文明が数多くの失敗から成功への積み重ねで発達してきたように,人の発達も同じ道筋を辿っていきます。

 子どもたちは失敗するとさっさとあきらめています。ねばり強くとか根気よくといった姿は消え入りそうです。すっきりあっさり格好良くという志向です。力には根っこがあることを教えられていないようです。向上心とか探求心を備えたひたむきな姿勢が育ちの姿のはずです。溌剌とした子ども,冒険する子ども,前向きな子ども,そんな子どもを育てたいですよね。

 幼い間はそれなりに構われていても,小学生になると母離れという言葉に惑わされて,放り出されます。親による子育てからもう一人の子どもによる子育ちへの主権返還ではあるのですが,いきなりでは体勢が整っていません。準備期間を持たなければなりません。それが小学・中学生の段階です。実はさらに青年期も仕上げとして最終のしつけが必要なのです。

 学校に行くようになるとしつけは終わったと考え違いをしないようにしてください。子どもに育ち方をしっかりと教えておかなければなりません。幼児期とは違って,自分で育つ力をつけておいてやらないと,子育ちが順調に進まなくなります。何を教えておけばいいのか,これからお話ししておきましょう。

・・・毎日の食事のように,子育ちは繰り返しプロセスです。・・・


 〇0点の意味?

 前条の復習からはじめておきます。子育ちは失敗から始まります。子どもには失敗をさせるようにお願いをしておきました。そのコツとして0点を大事にすることを勧めます。0点には大事な意味があることを知っておいてください。

 子どもは失敗しなければなりません。その失敗に対しての評価をどうするかということです。失敗をいけないこととと考えると,失敗を許さなくなります。それは困ります。普通は失敗に対してペナルティを課します。罰があるということです。叱るというのも同じです。普通の常識に従うから,失敗を子どもから取り上げてしまいます。

 そこで0点の登場です。0点とはどのような失敗をしても,それをマイナス評価しないという覚悟です。普通の言い方をすれば,失敗しても水に流して,なかったことにするということです。0とは無いという意味でしたよね。子育てにおいては,決してマイナス評価はあり得ないのです。常にプラスしか見ないようにしています。

 励ますといったとき,どうしていますか? 励ますとは,子どもが失敗をしたときに「気にしなくていい」という言葉をかけてやることです。0点だからいいんだという考え方です。そして,少しでもできたらプラス評価できるので,「できたね」とほめてやることができます。子育てはほめることですが,それは失敗を0点と許すゆとりからしか生まれてきません。

 もちろん,0点のままでは育っていないのですから,留まることがあってはいけません。プラスに向かって階段を上ろうとすることが必要です。そのステップが「反省」なのです。失敗したことを子ども自身,つまりもう一人の子どもが反省するのです。ところで,しまったと思うことが反省ではありません。反省とは何処で何を失敗したかを見極めることです。間違いを直視する勇気が必要になります。

 失敗を人のせいにしたり,言い訳をしたり,運が悪かったと逃げたり,あげくは隠してしまったりすれば,せっかくの失敗が無駄になります。自分の失敗をちゃんと失敗として認め検証できることが,反省するということです。潔くあることです。失敗を0点にしてやれば,子どもは逃げなくなるはずです。

・・・失敗を生かすのは反省することです。・・・


 〇真似る?

 「反省しなさい」。そう言われて反省できるのは,もう一人の子どもです。もう一人の子どもが未熟な幼児期では,反省はまだ無理です。児童期になって反省することができるようになります。反省は自分を振り返ることですから,日記を書くことと通じています。もう一人の自分が自分を客観的に眺める能力を必要とします。

 自分の行為・行動を順序よく再現し,失敗したところを確認します。そこには別の正しいやり方があるはずです。失敗と成功の分かれ道が見つかるわけです。分かれ道があることに気付くという意味で失敗は大事なのです。ここに気をつけなさいというサインなのです。これを知ったら二度と同じ失敗はしなくなります。

 分かれ道に立ったということは,別の正しい道を見つけなければなりません。それが「学習」というステップです。最も基本的な学びは真似ることです。まねる,まねぶ,まなぶ,という変遷が示すように,学びは真似るから生まれてきました。上手にやり遂げている人を見て,そのマネをすることが学びであり,子育ちの重要なステップになります。

 子どもが習い覚えることで育っているということは,親として実感されているはずです。見習うという行為は子育ちの学習ステップだからです。親が言うようには育たず親がするように育つのは,学習しているからです。子どもが反省をしたら親がしてみせる,なによりの学習になります。

 見よう見まね,それは反省と学習のステップを言い表しているのです。真似る対象は親だけではありません。お兄ちゃんやお姉ちゃん,お友だち,大人たち,周りにいる人の全てです。親が子どもによい友だちを持たせようとするのは,とても理に適っています。ただし,あまり友だち選びに口を挟むと,学習以外の点でもう一人の子どもとの軋轢を生じますので注意してください。子どものプライドを傷つけるということです。

 分かれ道に立ち止まって周りを見ると,上手にこなしている人に目が向きます。「あんなにすればいいんだ」,と別の道が見つかります。こうして学習ができていきます。もちろん,ただマネをしただけではすぐにできないこともあるでしょう。それでも,「ちゃんとやれるんだ」ということが確認できることは大切です。人ができることは自分もできるはずだと信じることができるからです。信じるからできるようになります。

・・・ちゃんと反省すれば学習する体勢に入れます。・・・


 〇考える?

 子どもはやがて学校に通うようになります。習うためです。先生にいろんなことを教わります。手習い事は真似ることで何とかなります。しかし,抽象的な知識になると,言葉を使って組み上げていかなければなりません。論理的な理解を求められます。形を真似ても何のことか分からないでは使えません。子どもの話が理に適っていないことがありますが,意味の理解が曖昧だからです。

 子どもの描く絵は大きさや配色のバランスがとれていません。文章では,○○は・・というときのはとわ,はとがの使い分け,引き算の足りない分を借りてくる意味もやっかいです。知識は大まかにいえば約束事です。約束を覚え,その意味を納得し,応用しなければなりません。このときに考えるという能力が必要になります。

 育ちの途上で子どもはいろんなことを経験していきます。やがて,それに似たことはしたことがあるというようになります。大筋のやり方が分かっていれば,何処を修正すればいいかを考えるだけでなんとかなります。そのためには,こうすればこうなるという理屈を弁えておかなければなりません。考えるためには,その素材を子ども時代にたくさん仕込んでおかなければならないのです。

 子どもに何かを教えているとき,親が何を言っているのか分からないといった風でキョトンとしていることがあります。勉強の時は,子どもから何処が分からないか分からないと言われて困ってしまいます。「そうか!」という納得をさせるためには,子どもが持っている知恵にはすき間があることを前提にして,そのすき間を的確に埋めてやればいいのです。

 テーブルの上に3個のミカンがあります。それを見て子どもは「あっ,ミカンがある」と思います。一方で,「1個足りないな」と判断したとします。家族が4人いたら,1個足りません。これが考えるということの基本です。ミカンを家族揃って食べるという目標が立てられたときに,一個不足という意味が分かります。子どもに「みんなで食べる」という目標を教えてやる必要があります。その家族としての約束事がすき間を埋めることに当たります。

 意味を考えることは,目標を見つけることから始まります。「今日はパパがいないから,3個で間に合う」と都合よく考えることもできます。物事の辻褄をどうすれば合わせられるかという理由を見つけたり,どうすれば不足を埋められるかという対応を探ることなど,暮らしの場にはたくさんの考える事例が転がっています。

 失敗したとき,そこには必ずこうしたいという目標があるはずです。間違いの場所を反省し,どうやり直せばいいかという学習をするときに,目標がはっきりしていると考える筋道ができるはずです。

・・・目標が明確でなければ考えることはできません。・・・


 〇できること?

 目標という言葉が出てきました。似たような言葉に目的があります。子どもに「将来何になりたい?」と尋ねると,例えば「歌手になりたい」と答えます。「どうして歌手になりたいの?」と続けると,「大勢の人に歌を聴かせられるから」,「いっぱいお金を貰えるから」,「格好いいから」と答えるかもしれません。いろんな意味で自分の欲望を満たしたいという思い,幸せになること,それが目的です。歌手になるのは大きな目標です。

 自転車に乗れるようになりたいから練習します。それが目標です。何のために自転車に乗るのか,その答えが目的のはずですが,かなり曖昧でしょう。勉強できるようになりたいという目標が持てたら,勉強も苦にはなりません。でも,何のために勉強するのかという目的を考えはじめると,その答えは明確には得られません。

 目標とは基本的に今すぐに目指すことができるものです。それが達成できたら次の目標が現れてきます。子育ちは失敗・反省・学習・挑戦というサイクルですと言っておきましたが,その挑戦すべきこと,それが目標です。小さな目標を達成し次の目標に挑戦する,そのプロセスを繰り返して子どもは育っていきます。何のために育つのかという目的は遠くに霞んでいていいのです。

 なりたいという夢は目的ですが,そこに向かって上る階段の一つ一つが目標になります。何になりたいかという夢に届くためには,自分には何ができるかという達成してきた目標の高さが問題になります。思っているだけでは夢は叶いません。夢に向かって何をしてきたかという実績が大事です。小さな目標であっても一つ一つ達成していけば,それでいいのです。

 自信とは,それならやれると思うことです。はじめてのことでも,ちょっとした高みにある目標なら今までも何とかやって来られたという実績が,自分の力への信頼になります。できることが新たなできることを誘い込んでくれます。どうせやっても無理と自分を見限るのは,目標の設定が高すぎるのです。できるかもという程度のものでいいです。わずかでも育てば,それを繰り返しているうちにちゃんと育っていきます。

 挑戦とは,できなそうもないことに向かうことではありません。それは無謀といいます。できるかもしれないと思うことに向かうのが挑戦です。できるかどうかを見極める参考として,同じ年齢の子どもにできる子がいるということがあります。確かに参考になりますが,それを決めるのは子どもであることには十分気をつけてください。

・・・できそうなことを学習すれば挑戦できます。・・・


 〇学び方?

 学び方とは,できることを見つけてやってみようとすることです。試験という簡単な例を持ち出してみましょう。問題を読んだだけでは答えは分かりません。どうすればいいのでしょうか? 問題の中からできることを探すのです。もちろん基本的な言葉などは記憶していなければどうしようもありません。ただし,覚えていた言葉を思い出して書くだけの問題は問題とは言えないので,学びは必要ありませんね。

 答えを出すことは取りあえず後回しにして,自分にできることをやってみます。そうすれば問題の整理が一歩進みます。そこであらためてできることを探してやってみます。その繰り返しをするうちに,問題は自然に解けていきます。いきなり答えを求めて問題全てを見通そうと欲張るから,どこから手をつけていいか迷ってしまい,何処が分からないか分からないという事態に陥ります。

 できることから手をつけていけば,状況は違って見えるようになり,新たなできることが現れてくるものです。それを信じることが学び方の真髄です。一つの問題を自分にできる問題に順序よく分けていくのです。分けることが分かることです。先ほど話しておいた目標を見つけることも,できることを見つけるという点で同じ意味をもっています。

 山に登ろうとするとき,今いる位置から近い登山道を見つけて登りはじめます。それができることです。ところが,その道は遠回りであったり,険しいかもしれません。そこで,楽に短時間で登れる道を探そうとします。それは山に詳しくなってはじめて分かることです。最初からどんな結末になるか分からないのが問題なのです。できないことをしようとするから,どこから登ればいいか決められずに,結局は山に登れません。

 育ちの山道,本人未踏の目標は,自分にできることをやろうとしない限り登ることはできません。育ちはいろんな状況に出会うシミュレーションの場でもあるのですから,早く楽にということは決して望ましいことではありません。学びの育ちができないからです。学びに王道はないのです。

・・・自らの可能性を見つけ挑戦する学びが育ちに重なります。・・・



《学び方を教えるとは,育ち方を伝授することです。》

 ○学びは勉強だけに限りません。育ちの課題にどう挑戦していくか,それが学びであり育ちです。勉強で出会う問題は解けるようにできています。解けることが分かっているだけで,既に問題は半分解けています。本当の問題は解けるかどうかが分かりません。とにかく解けると信じて,できることから手をつけていくしかないのです。

 子どもはあらゆる可能性を持っていますが,育つにつれてその可能性の領域は狭まっていきます。左脳の働きが得意か右脳の働きが得意か,理科系か文化系か,育ちの中で自然に選ばれていきます。土壌の質によって花の色を変えるアジサイに似ていますね。


 【チェック第12条:子どもに学び方を教えていますか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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