*** 子育ち12章 ***
 

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「第 93-07 章」


『子育ちは 正しさ求め 余裕持ち』


■子育ち12志向■

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『子育ち第7志向』

【正義を主張しよう! 利害調整】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第93版では,こどもが幸せに生きる力を目指すとはどういうことかを考えておきます。こどもには幸せであってほしいと願いますし,幸せに生きていくことができるように育ってほしいものです。何となく育っているのではなく,生きる喜びを身につけて欲しいのです。これまでの羅針盤がどこを目指しているのか、それは幸せに生きることであるということを確認しておきたいと思います。

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《正義を主張できる》
 いじめが引き起こす人の死には,三つのケースがあります。いじめられて自殺するケース,いじめられる側がいじめる側に殺されるケース,いじめられる側が反撃していじめる側を殺すケースです。第4のケースも想定することができます。それは,いじめた側が自分のやったことを反省して自殺するというケースです。このケースは皆無です。つまり,いじめは罪悪感を持ちにくくて,内省の契機にはならないということです。いじめをする側はノーブレーキで暴走するという恐ろしさがあります。
 「いじめられる側にもそれなりの理由が」という考え方を聞くことがあります。そうした人はいない方が良いという価値観,いじめられて当然という判断を生み出す危険があります。そういう雰囲気の中では,子どもも罪悪感を感じにくくなります。どのように考えることが正義であるのか,子どもが正義を主張できるように,周りの大人が正義を見せてやらなければなりません。正義が見えることによって,いじめた側が悔やむような価値観が身についていくはずです。あなたの子どもがいじめっ子にならないために!

《利害調整》
 大人になるというのは,心が広い人になることです。心が広い人とは,世の中で絶対というものがあり得ないことを知っている人です。自分の心にも絶対はないし,相手の気持ちにも絶対はないと考えることができる人です。絶対に正しいものはない,すべては相対的で流れて行くものであるといえば,いい加減なことのように思われますが,何かことある毎に言われてきた真実です。今正しいと思っていても,明日には間違っていることもある,歴史が証明しているといえば大げさですが,大事な経験則です。
 つまり,「絶対に正しい」と思い込んだ瞬間に,人の心は狭くなってしまいます。もしかしたら相手の言っていることが正しいのではないか,そういう受入れの余地を心に残すことによって,自らの心の広さを実感することができます。子どもが絶対という思いを突きつけてきたとき,大人が絶対という気持ちで跳ね返してばかりいると,お互いに心が痛みます。ここまでは受入れ,ここからは受け入れない,そういう調整をお互いがするようにすれば,絶対という硬直した心を解き放つような育ちが進んでいくでしょう。



 「あなた,なぜなぜ,私を捨てた?」。夢追い酒という歌謡の一節です。振られた女の嘆きでしょうか。この歌詞を作詞した方は,ある日,原っぱに山積みの,まだ使えそうな大型ゴミを見たことに触発されて書き上げたと語っておられました。発端は,大型ゴミの嘆きであったのです。夢を追い払ってしまう話ですが,無駄を生み出す暮らしが豊かさであるという思い込みに気付かされます。残さない,無駄を省いた分は,無言のドウゾという気持ちとともに,誰かに届くことでしょう。

★落書き★

 「結局のところ,○○なんだね」を「とどのつまり,○○なんだね」と言うことがあります。とど? ボラという魚がいます。この魚は出世魚の一つで,オボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドという風に出世していき,トドで詰まってしまう様子をトドのつまりと言い,結果的に,最終的にという意味で使われているのです。アシカの仲間のトドではありません。

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