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「第 96-03 章」 |
『子育ちは 絆感じる 人がいて』
■子育ち12視標■
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『子育ち第3視標』
【安心あり】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第96版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,見えて感じることができる視標という面から育ちを考えていきます。それぞれの完成度に違いがあってもそれは個性になり,一応の評価ができるようなら,幸せに育っているということができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたらと思っています。
《何処で育つのか(私の育ち)?》
「小学校いじめ最多」「小学校55万1944件過去最多」。R4年度に小中学校が把握したいじめの発表がありました。いじめの定義は,「一定の人的関係にある他の児童が行う心理的又は物理的な影響を与える行為で,対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」であって,該当するかどうかは,親や教師,加害者ではなく,被害者の立場で判断するものとされています。いじめによって自殺する子どもが出てしまうことは,いじめは生きようとする育ちとは逆行していると認識すべきです。
一定の良好な人間関係を持つ,それが子どもが育つ場になります。いじめは,子どもを場違いな存在に,いてはいけない存在に,追い込んでしまいます。もう一人の自分が自分は生きていていいと思うことができなくなっていきます。自分はここにいていい,ここにいて欲しいと思われている,その確信が安心を生み,育ちを促します。虐待されている子どもが,自分がいけないからと思おうとしているのは,親の思いが自分に向けられていると信じなければ,生きる意味を失うからです。もう一人の子どもに自分は望まれている子どもと気付かせてください。
いじめが子どもの人的関係の不備を表していると考えると,子どもたちの育ちの場,子どもたちの居場所が貧しいということを心配すべきです。いじめをしないで仲良くということではなく,人的関係を多層化,複数化することです。質量共に豊かにすることです。親子関係,先生生徒関係の縦関係,クラスメートとの横関係しかない現状に,斜めの関係を構築することも必至です。さらには,親密な関係から浅い関係という遠近感を持たせることも大事です。子ども部屋で独りぽっち,閉じこもりは居場所ではありません。
いじめを受けていた子どもが,どうして抜け出せたかを話してくれます。大人に相談して嫌だと言っていいという勇気をもらったこと,そしてなによりの救いは,「今のままの君でいいよ」と言ってくれた一人の友がいたことだったそうです。ありのままの自分を認めてくれる人がいる,そこに自分の居場所が在ると感じます。親に「あなたがいるから苦労する」と言われたら,自分はいない方がいいんだと聞き取ります。親に邪魔にされたら,育ちどころではなくなりますね。
★落書き★
タマゴは買ってきたらすぐに冷蔵庫にしまう必要があります。常温で保存すると鮮度が落ちやすく,食中毒を起こすサルモネラ菌などが繁殖しやすくなります。ところが,スーパーなどの店頭では常温の場所で売られています。産みたてのタマゴは殻の外側にクチクラという皮膜が張られていてサルモネラ菌などの細菌が殻の穴から侵入するのを防いでいます。店で売られているタマゴは出荷前に70度前後の湯で洗浄されていてクチクラが剥がれていて,殻に水滴がつくと媒介して細菌に汚染される可能性があります。タマゴを冷蔵ケースに置いて売ると,購入した客が家に持ち帰る間に温度変化で殻の表面に水滴がつくかもしれません。そこで常温の場所に置いているのです。
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