*** 子育ち12章 ***
 

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「第 96-06 章」


『子育ちは 言葉の貧富 振る舞いに』


■子育ち12視標■

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『子育ち第6視標』

【知恵あり】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第96版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,見えて感じることができる視標という面から育ちを考えていきます。それぞれの完成度に違いがあってもそれは個性になり,一応の評価ができるようなら,幸せに育っているということができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたらと思っています。

《何時育つのか(私たちの育ち)?》
 言葉をつないで文章にすると,一つの知恵になります。積み上げていけば思想になり,人間性を醸し出すようになります。結果としての言葉遣いによって,品格が現れます。文章の書き方で例えると,切れ目のないダラダラした長い文章を書く子どもは,まとまりがつきません。短く言い切ってしまう文章にして,積み上げるようにします。一つ一つにけりを付けていくと,しっかりと積み上がるからです。仕事が一つ一つけりを付けて完成されていくのと同じです。知恵の蓄えとは,小さな知恵の積み上げなのです。

 もう一人の子どもが言葉を覚えると,口ばっかりで言い訳上手になって,行動が伴わないということがあります。言葉は知識となりますが,それが知恵になるためには,行動という具体的な機能を引き出さなければなりません。知っているだけでは役には立たないのです。「きれいね」という言葉が美意識を,「よかったね」という言葉が思いやりを,「あぶない」という言葉が生命尊重を,「あとで」という言葉が我慢を,「やらせて」という言葉が自発性を,「まかせて」という言葉が社会貢献を引き出すように導きましょう。

 子どもの育ちに必要な栄養を食事から摂取するのと同じように,もう一人の子どもは育ちに必要な知恵を言葉から摂取しています。食事が片寄ると栄養不足や過多になるように,普段使っている言葉が片寄ると知恵不足や過多になります。人との良い関係を保つ知恵として,美しい言葉,正しい言葉,優しい言葉,和やかな言葉,明るい言葉を程よく与え,汚い言葉,間違った言葉,冷たい言葉,嫌みな言葉,暗い言葉をできる限り避けるように配慮することが保護者としての務めになります。



 「一念発起は誰でもする。実行,努力までならみんなする。そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。この棒に花が咲くんだ」。育ちは,昨日の自分から今日は一歩抜きん出ていく営みです。そこには辛抱というステップが伴います。もし辛抱を回避してしまうと,次へのステップアップが起こらないので,育ちが停滞することになります。努力を生かすためには辛抱が必要なのです。

★落書き★

 トランプのゲームにババ抜きがあります。遊び方は誰でも知っているでしょうが,ババというのは何を意味するのでしょうか? 婆抜きではありません。ババの響きからお婆さん想像するかもしれませんが,ジョーカーの絵柄はお婆さんではないですよね。ババとはつまらないもの,汚いものを指します。ババを掴まされたとは,つまらないものを買わされたという意味です。幼児語のババッチィと同じです。ジジ抜きはババ抜きを婆抜きと勘違いしているために呼ばれています。

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