*** 子育ち12章 ***
 

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「第 97-08 章」


『子育ちは 支えられたり 支えたり』


■子育ち12鍵語■

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『子育ち第8鍵語』

【義務・平等博愛】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第97版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,思考を開く鍵となる語を使って育ちの状況を展望していきます。今現在それぞれの育ちの度合いに違いがあってもそれは個性になり,達成度の評価ができるなら,幸せに育っていると考えることができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたらと思っています。

《義務・平等博愛とは?》
 一人一人が持っている権利は,社会生活という人間関係の中で,衝突する必然を抱えます。欲しいカードがあったとして,数に限りがあれば,求める権利は競合し,くじ引きや早い者勝ちといった手法に従うしかありません。分配のルールを守るという義務が生じます。自分の権利を主張することは,同時に他者の権利を尊重するという義務を自分に向けることになります。義務といえば,何かしら他者から押しつけられるものといったニュアンスがありますが,実は自分の権利を守る自分の義務なのです。

 個人にとって,権利と義務はコインの裏表という分かちがたい価値となります。ところで,社会にとって,大切な価値とはどういうものでしょうか? それが平等と博愛です。人の生きる権利は平等に与えられるという了解,限られた成果に向かう競争への参加の機会の平等が保障されます。教育を受ける権利をすべての子どもが持っているので,大人は教育の機会を与える義務を負っているのです。ただし,成績は子どもの個人の努力に依りますので,同じとはなりません。結果の平等は社会の責任ではなく個人の責任です。

 自由であるという権利があるために,社会は結果の平等を強制することができません。全ての人に同じ財産を分配ということは,全ての人に不自由を強制しなければ達成できないからです。そこで,自由を前提とすれば,結果の不平等を招きます。社会としての安定を保持するために,博愛という価値の達成を目的として,格差を埋め合わせる仕組みを組み込むことになります。豊かさのお裾分けとも言える助け合いという渦を生み出します。自由が暴走する歯止めとして博愛を機能させる社会が人の幸せをもたらす社会です。



 生きている実感,生きていてよかった,生きる歓び,生きることへの感動,自分の命に触れ合う瞬間があります。大感激というほどではなくても,日々なんとなく感じることもできるでしょう。もちろん,感じようとしなければ,何も感じないことになります。なんとなく一日を過ごしていく,惰性で生きていると,自分の暮らしに張りがなくなっていくでしょう。元気がないな,そういう様子が見られたら,生きていることに気付かせる手助けをしましょう。働いてお腹を空かせて食事をすることです。

★落書き★

 浜辺でいじめられているカメを,浦島太郎が助けてあげました。そのお礼に海の底の竜宮城に招かれ,現世と異郷の往復を経験します。ところで,このカメの性別は語れていません。関心を持つ必要もないのですが,推理はできます。海に住むカメなので,ウミガメです。ウミガメのメスは産卵のために砂浜に上がります。タマゴからかえったカメは波打ち際に向かってよちよち歩き海に入ります。育ったメスのウミガメは浜に上がりますが,オスのウミガメは二度と陸に上がることはありません。浦島を助けたカメはよちよち歩きのカメではない大人なので,メスなのです。

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