*** 子育ち12章 ***
 

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「第 97-12 章」


『子育ちは なりたい自分 追いかけて』


■子育ち12鍵語■

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『子育ち第12鍵語』

【教育】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第97版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,思考を開く鍵となる語を使って育ちの状況を展望していきます。今現在それぞれの育ちの度合いに違いがあってもそれは個性になり,達成度の評価ができるなら,幸せに育っていると考えることができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたらと思っています。

《教育とは?》
 前号予告で,教育とは新しい経験を与え続けることと書いておきました。教わる方のもう一人の子どもは,自分の可能性に気付かなければなりません。人にできることが何か,それは可能性を実現しているまわりの大人が見せてくれます。その大人たちを見倣う,見習うということで,子どもは自らの可能性を探すことになります。何が食べたいというときに、見本付きのメニューがなければ,決めようがありません。あれが食べたい,同じように,あれがしたいと育ちます。親がしているように育つのです。

 何してるの? 子どもが尋ねます。大人が目の前でしていることは見えますが,その意味,していることがその後どうなっていくのかが分からないので,尋ねるのです。見ていることが何とどうつながっているのか,もう一人の子どもが関心を持ちます。その問に答えるときは,今していることはこうなると,結果を見せてやればいいのです。疑問に答えるということも教育だとすれば,教えるべきことは物事のつながり・顛末を見通すこと,予測,期待するという術です。断片的な知識の記憶ではなく,物事を見届ける方法なのです。

 勉強しなければ合格しない。勉強すれば合格する。しかし,勉強しても合格するとは限らない? だから,勉強なんかしないと諦めていますか? こうすればこうなりますが,必ずそうなるかといえばそうでもないというところが,辛いところです。どのように願っている目標に自分の努力をつないでいけるか,その実現プロセスが,今の自分のやり方を反省し,先達の仕草を学習し,できるかもと挑戦することです。その繰り返しをひたすら継続する,それが自分を少しずつ変えていきます。練習の賜物とはそういうことです。



 人と動物の違いは,見た目は2足歩行ですが,そのことによって,大きな脳を納めた重たい頭を支えることが可能になったことです。もし人が4足歩行したとしたら,頭の重さが身体の重心から外れるので,とても頭の重さを支えていられないことでしょう。大きな脳は,とても精巧なコンピューターです。情報社会の中で,人は脳を使わなくなりました。他人のいいなりになっています。自分で考えるという最も大事な機能を封じ込めています。批判するだけの物言いしかできないのがその証です。人の可能性を伸ばしましょう。

★落書き★

 江戸時代の人は闇が広がる夜という時間帯に恐れを覚え,そこから夜には相応しくない言葉があると考えていました。現在も結婚式や葬式で使えない言葉があるのと同じように,夜には使えない言葉があったのです。カツオブシは夜には「おかか」と呼ばれていました。そのほかにも,野菜をアオモノ,醤油をオシタシ,塩をナミノハナ,水をオヒヤ,田楽をオデン,箸をオテモト,銭をオアシ,母をオフクロ,髪をオミグシなどと言い換えるのも,夜の忌み言葉が元になっています。

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