*** 子育ち12章 ***
 

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「第 98-01 章」


『子育ちは 私を思う 我がいて』


■子育ち12宝語■

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『子育ち第1宝語』

【人】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第98版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。今現在それぞれの育ちの度合いに違いがあってもそれは個性になり,達成度の評価ができるなら,幸せに育っていると考えることができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたら幸いであると思います。

《我とは?》
 我は海の子 白波の・・・。私は海の子と紹介しているのは,誰でしょう? それも私です。お母さんが鏡の前に座っています。鏡の中にいるお母さんを,鏡の前にいるお母さんがしっかりと見ています。見られている自分を意識する自分がいます。もう一人の自分と呼ぶことにします。人の振り見て我が振り直せといわれますが,見て直そうとしているのはもう一人の自分です。人と自分を並べて見ることができるのが、もう一人の自分,すなわち我です。

 もう一人の子どもは考える子どもです。親が夫婦げんかをしているのを見てしまったときに,もう一人の子どもは「自分のことで親がけんかをしているのでは」と考えます。親と自分の関係をもう一人の子どもが考えようとするからです。親が子どもに向かって「あなたはダメね」と言ったなら,もう一人の子どもが「自分はダメ」と自分を見捨てるようになります。自棄になるというとき,自分を棄てると書きますが,棄てるのはもう一人の自分なのです。逆に,大切な自尊とは,もう一人の自分が自分を尊いと思うことです。

 もう一人の子どもは常に子どもとつながっていなければなりません。ところで,テレビの映像を見ているとき,もう一人の子どもは映像の中と一体化して,自分を忘れています。親が呼んでも聞こえないほど,我を忘れてのめり込んでいるのです。スマホやPCなどの情報機器にのめり込んでいると,もう一人の子どもは自分を置き去りにして,虚像の世界につながっていきます。自分という現実を認知できなくなって,もう一人の子どもは浮遊します。傍からは,訳が分からない人に見えてくるかもしれません。



 人は社会的動物と言われます。では,人は社会をどのように認知しているのでしょうか? 基本はもう一人の自分が他者の意識を持つことです。自分とは違う他者がいるということに気付いたもう一人の自分が,自他の在り方を考えるとき,社会性が目覚めてきます。そこで,気をつけなければならないことは,自分のために他を利用するという我利の意識は非社会性です。大事なことは,我と他を共に尊重できるバランス感覚を育成保持することです。

★落書き★

 Tシャツはアメリカ生まれの言葉で,両肩を結ぶ線が真っ直ぐで広げるとT字形をしていることで,こう呼ばれています。一方で,Yシャツはアメリカでは通じません。日本語だからです。明治時代に英語の「ホワイトシャツ」が聞き間違えも含めてなまってできた和製英語です。もしかしたら,逆にアメリカでYシャツと言ったら白いシャツと聞き取ってくれるかもしれませんね。


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