*** 子育ち12章 ***
 

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「第 98-02 章」


『子育ちは 他を思う 我がいて』


■子育ち12宝語■

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『子育ち第2宝語』

【他】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第98版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。今現在それぞれの育ちの度合いに違いがあってもそれは個性になり,達成度の評価ができるなら,幸せに育っていると考えることができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたら幸いであると思います。

《他とは?》
 物事がきっちりとならないとき,ガタピシすると言うことがあります。このガタピシとは? 我他彼此であるといわれていて,我と他人,彼岸と此岸(あの世とこの世),これらの二つの世界は複雑な関わりできちんとはならないという意味合いが説かれます。我と他は,別の人格であることから,同じとはならず,さまざまなすれ違いに直面します。我は遊びたいのに,他は眠りたい,無理を通せば,ガタピシします。そのガタピシを経験して初めて,他人に対する存在としての我をもう一人の自分が認識できるようになります。

 きょうだい三人の場合,下のきょうだいがけんかをすると,上の子が仲直りをさせようとします。二人の仲を取り持つ経験をすることで,上のもう一人の子は我と他を仲直りさせることを覚えていきます。きょうだいに限らず,子ども集団における社会的な自他の関係の在り方は,3人以上の環境で学習されることになります。気をつけておくことは,同年齢の集団では仲直りをさせるという年上というような立場が成立しないので,もう一人の自分の社会性は登場できずに育たないということです。学校では無理ということです。

 思いやりのある子どもに育ってほしい,それが親の願いです。思いをやるとは,誰が誰の思いを誰にやるのでしょうか? もう一人の自分が我の思いを他にやるという関係です。思いやりは,もう一人の子どもが育っていないと,できないことなのです。我が嫌だなと思うことは他も嫌だと思うはずと,もう一人の自分が認識して行動を制御するから,思いやり行動ができます。我がうれしいから他もうれしいだろうという思いやり行動も同じパターンです。我もよし,他もよし,それができるもう一人の子どもを育てましょう。



 殺人事件の被害者と加害者の関係で,親族である割合が過半数を超えているという報道に驚いています。親殺し,子殺し,夫婦間殺人が半数以上というのです。親族,家族というのは最も安心できる関係であると言えなくなってきたのです。核家族という形態では人間関係の成長ができないということなのかもしれません。高齢の親の財産を搾取する子ども,子どもに無理を押しつけて追い詰める親,我利の愛で奪い合う夫婦,そういう事例が普通になってきたのでしょうか? 家族という機能の喪失では,明日はありません。

★落書き★

 昼の12時を正午と言いますが,午とは何のことでしょうか? 昔の時間は,午前0時を子の刻と言って,その後2時間毎に丑(うし)の刻,寅(とら)の刻・・・と呼んでいました。12時は午(うま)の刻になります。そこで午の刻前だから午前,後だから午後なのです。ところで,正午は午前でしょうか午後でしょうか? ちょうど午の刻なので,どちらでもないように思われます。正式の決まりはなく,午後0時でも午前12時でも構わないようです。


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