*** 子育ち12章 ***
 

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「第 99-05 章」


『子育ちは 賢い言葉 選び取り』


■子育ち12美醜■

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『子育ち第5美醜』

【賢明】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第99版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。ただ構成上に変化を繰り入れます。奇数号では美しい育ち,偶数号では醜い育ちという配置をします。育ちがずれていかないためには,避けるべきことにも目配りをしておくべきです。予め注意すべきことを知っておくと,安心することができるはずです。

《賢明とは?》
 賢明とは,「情勢の判断が確かで,問題を適切に処理できる様子」と辞書にあります。簡単に言えば,自分が今なすべきことができるということです。学生が授業中にスマホをいじったり居眠りをしているのは賢明ではないということです。今の自分は学ぶ時間にいるという情勢を認識し,スマホを切断して学びモードに集中しさえすればいいのです。特別に困難なことではありませんが,今という時間,ここという場所,自分という立場,他者からの期待,そういう情報をバランスよく考える能力を持つことが大切になります。

 賢さの一面に,ずる賢いということがあります。問題の処理の仕方が適切ではない場合です。「ずる」というのは自分だけに都合がいいという形であり,「適切」というのは皆に都合がいいという形です。賢いというのは,世間の皆が価値を認める処理を導き出せることです。普段に暮らしでは,世間で言う丸く収めることができるかということになるでしょう。その積み重ねの経験をしておかないと,いざというときの賢明さを発揮することはできません。

 愚かさというとき,何が欠けているのでしょう。その場限りの対処になるからです。大人であれば飲酒運転をする愚かさ,子どもであれば友達にいじめを仕掛ける愚かさ,その場逃れの嘘をつくという愚かさ,たくさんの愚かさの背景は,先を見越していないということです。賢さは先のことを考えた対処ができるということであり,先には巻き込んでしまう人がいるという洞察ができることです。後先を考えないという情勢変化の無視をすれば,賢明さを失うことになります。道に飛び出さないということからしつけましょう。



 事が思い通りに進まないと,ムシャクシャします。その憤怒が道を外れて,世間に八つ当たりとなり,たまたま近くに居合わせたという人だけが理不尽な状況に巻き込まれます。そういう愚かさを持っている人がいます。今殺人事件の半分以上が,親族間で起こっているということを認識しなければなりません。親子,兄弟,夫婦という最も頼り合うはずの親族が,最も身近に向けた憤怒の場になっているのです。憤怒という厄介な感情の処理を誤らないように育てないと,刃が向けられるかもしれません。

★落書き★

 日曜日の夕方のサザエさんは,お魚くわえたドラ猫 追っかけて います。世界的には,魚が好物という猫は少数派だそうです。猫は純然たる肉食動物で,基本的には獣肉が主食です。漁港周辺に暮らす猫を除けば,目の前の魚には見向きもしません。日本の猫が魚を好むのは,日本人の食生活が関係しています。江戸時代までの日本人には肉を食べる習慣が無く,動物性タンパク質は主に魚でした。人の食事の残りをもらっていた猫は自然と魚を好むようになったのです。


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