|
「第 99-08 章」 |
『子育ちは ほどよい欲に 導かれ』

■子育ち12美醜■
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『子育ち第8美醜』
【貪欲】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第99版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。ただ構成上に変化を繰り入れます。奇数号では美しい育ち,偶数号では醜い育ちという配置をします。育ちがずれていかないためには,避けるべきことにも目配りをしておくべきです。予め注意すべきことを知っておくと,安心することができるはずです。
《貪欲とは?》
貪欲とは,「欲望をどこまでも追求し,満足することを知らない様子」とあります。欲望が否定されることはありません。知識欲という欲望は歓迎すべきものです。マズローに依れば成長への5段階の欲求があるということです。食欲などの生理的欲求,身の回りの安全の欲求,所属などの社会的欲求,自信などの承認の欲求,創造などの自己実現欲求です。その欲求を野放しにすることは控えなければなりません。過ぎたるは及ばざるがごとし,やり過ぎ,つまり欲張ったら,自己破産にひっくり返るのです。
勉強した方がいいといって,貪欲に勉強漬けになると,能力のアンバランスが生じます。運動が似合ってると思い込んで運動三昧では,別の能力開発が滞ります。何事もほどほどがいいようです。その中でちょっとだけ得意なものに打ち込んでいくようにします。ゲームなどに遊びほうけて大切な時間を浪費するのではなく,限られた今日という時間を精一杯何事かに打ち込む,そういった抑制された貪欲さが,創造などの自己実現につながります。近頃の子どもには,この辺でいいといったあっさりした欲のなさが気がかりです。
なにか面白いことはないか,そういう隙間に,ちょっとした悪ふざけが芽生えます。LINEの中で何気なく標的を定めて貪欲にいじりを始めます。面と向かった言葉と違って,記録された文字はぬぐえません。自分が誰かをいじった証拠が末永く残されます。気晴らしは手の届く範囲でほどほどにしないと,後になって,とんでもないときに跳ね返ってきます。成長して就職面接の時に,「あなたは中学時代にひどいいじめをしていましたね」なんていう暴露が起こらないとも限りません。悪い想像はほどほどにしましょう。
いじめに荷担はしなくて,巻き添えが嫌で見て見ぬ振りをする友達がいます。いじめられている子どもには,見ているだけの子どももいじめを認めていると見えます。友達ではないのです。自分の味方は一人もいない,そのことがいじめられている子どもには最も辛いことになります。「無為のいじめ」ということを知っておいてください。いじめを止めさせる勇気を出すことができなくても,普段通りにつきあうということだけで,独りではないという友達であることができます。その友達甲斐がいじめ自殺を救う希望です。
★落書き★
町中の公園などにもよく落ちているドングリ。何の木の実でしょうか? 実はドングリの木なるものは存在しません。カシやナラ,クヌギなどのブナ科のコナラ属植物の果実の総称で,果皮が硬く熟して地面に落ちたものがドングリなのです。語源は諸説あって,栗のようにおいしくはなく,そのままでは食べられないことから「鈍な栗=ドングリ」と呼ばれるようになったという説があります。
|
|
|