*** 子育ち12章 ***
 

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「第 99-09 章」


『子育ちは 明日の楽しみ 見つけ出し』


■子育ち12美醜■

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『子育ち第9美醜』

【希望】

《まえがき(毎号掲載)》
 子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
 この第99版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,状況を特徴付けるキーワードとなる語を選んで育ちを展望していきます。ただ構成上に変化を繰り入れます。奇数号では美しい育ち,偶数号では醜い育ちという配置をします。育ちがずれていかないためには,避けるべきことにも目配りをしておくべきです。予め注意すべきことを知っておくと,安心することができるはずです。

《希望とは?》
 希望とは,「自分がこうなりたい,人にこうしてもらいたいとよりよい状態を期待し,その実現を願うこと。また,その事柄」とあります。現状に飽き足らない,まずいことがある,間違いがあるなど,なんとかしたいという事情があるということです。なんとなくいいことがないかなといった曖昧なものとは区別しておきます。流れ星に願い事を託すというまじないにさっと応じられるほど普段から意識されているものを希望と名付けることがお勧めです。

 人にこうしてもらいたいという期待を希望とすることは,ほどほどにしないと人間関係を損ないます。人には人の事情があって,こちらの期待に添いかねることが普通です。その期待外れを「○○してくれない」と恨みに思うようになることがあるとよくありません。自分に向けた希望,こうなりたいという目的として,実現に努力することが,自分を育てることになります。大人にとっては生きがいになります。希望がなくなると,絶望ということになり,生きる力が萎えていきます。小さな希望を日々に見つけましょう。

 子どもたちに希望の持ち方をちゃんと教えてやってください。望みは簡単には叶わないから希望ということ,そして望みは必ず叶うから希望ということ,だから,すぐに叶わないからと諦めることもなく,なかなか叶わないからと投げ出してしまうことなく,こつこつと努力することだけが確かな道と信じることです。今日できることを重ねていく,明日に先送りはしない,その平凡な取り組み姿勢が,手軽さに慣れ親しんでいる子どもたちに見えなくなっているようです。なんとかなるというひたむきさを希望します。



 ネットいじめ。それは陰に隠れた不意打ちであり,卑怯な恥ずべき行為です。卑怯という気持を失った人間は,精神の堕落をしています。こそこそしないで,堂々とした気持を持つように育ててやらないと,生きる世界を狭くします。特殊詐欺をする若者は,一片の罪悪感も感じないそうです。人を騙して苦境に追い込んでいるという想像もできない愚か者を育ててきたことを反省しなければなりません。子どもを育てているのは,誰でもない親なのです。

★落書き★

 「アリとキリギリス」はよく知られているイソップ寓話の一つですが,この物語のキリギリスは元々はセミだったそうです。夏に働かずに歌い暮らしていたセミは,冬になるとアリのところにやってきて食べ物を恵んでくれと頼みますが,アリは小麦をしまいながらセミに「冬には踊るがいい」と言ったのです。セミはラテン語で「鳴く虫」を意味しますが,セミのいないフランス北部では別の鳴く虫キリギリスを指すことになったのです。


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