《第2章  子育て心温計の誕生》

 【2.2】何を目盛るか

 心温計という名前を付けた以上,目盛りを刻まなければなりません。それには子どものどのような状態を測ればよいのかを決めておく必要があります。日常の会話の中で
   「お宅のお子さんはしっかりしていて,とても良いお子さんですね。」
   「いいえ,家にいるときは悪くて,親の言うことなんか聞かないんですよ。」
といったことをよく耳にします。ふだん,私たちは「良い子であるか,悪い子であるか」という形の判断をしています。心温計には「良い,悪い」の目盛りが必要なようです。
 いじめの問題が話題になるときなど,「自分の子どもが見えなくなっている」ということが盛んに言われます。見えないということが本当にあるのでしょうか。そんなのんびりした親ではないと誰でも思うことでしょう。しかしもし,指摘されているように子どもに見えていない部分があるとしたら,それが何かということをはっきりとさせて心温計の目盛りに刻み込まなければなりません。
 日常の挨拶の中で,「良いお天気ですね」とか,「あいにくの天気ですね」と言うことがあります。所でそれ以外にどちらでもない「はっきりしない天気」というのがあります。良い悪い以外のなんとも言い様のないものが,現実には存在しています。同じように,暑くもなく寒くもない春や秋は過ごしやすい季節ですが,そのためにかえって暑いか寒いかという点では見えなくなっています。
 このように考えて来ますと,良い悪いという価値基準に対して私たちが見落としているものは,「普通の」という視点です。この普通の子が「見えない子ども」の正体です。具体的に考えてみましょう。「嘘をつく子ども」は悪い子どもと言えます。それでは「嘘をつかない子ども」は良い子どもでしょうか。嘘をつかないことは人間として当然のことですから,良い子どもではなく普通の子どもです。他方で「お手伝いをする子ども」は良い子どもです。それでは「お手伝いをしない子ども」は悪い子どもでしょうか。良い子どもではないでしょうが,だからといって悪い子どもでもありません。普通の子どもです。
 普通の子どもとは良いこともしないし悪いこともしない,目立つことを何もしない子どもです。そして現実に私たちが育てている子どもたちは,ときどき悪いことをしでかし,ときどき良いこともしてくれる普通の子どもたちです。問題を抱えた子どもたちに直接関わり合っている立場にある人が,「少年非行というものはあるが,非行少年という少年はいない」と力説されているのも,普通の子どもがときどき非行をすることで目立っているにすぎないという考えを持っているからでしょう。