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【第22章 子育ち12基礎力の啓発】
前号で,教育委員会に対して行った「子育ち12基礎力」の提言について,その経緯と全文を紹介しておきました。その後の教育委員会の協議によって,町発行の広報紙に囲みとして掲載することになりました。12基礎力ですので,毎月一つずつ,1年の連載でした。以下に,その全文を載録しておきます。
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平成20年度 社会教育委員の会より 広報紙に発表
『かすやの子どもの12基礎力』
【4月号】
指針1 自分で考えて決断することができる子ども
12の基礎力を目指すかすやの子ども像を毎月一つずつ紹介します。
物心つく頃から自分を見るもう一人の自分が誕生してきます。できない自分に腹が立つのはもう一人の自分です。お腹が空いたなと空腹を説明できるのはもう一人の自分がいるからです。もう一人の自分がいなくなるとき、我を忘れるのです。
自分が決めるということはもう一人の自分である自我の発育につながります。子どもが自分でしたいと思うように任せて待ちましょう。もしも大人があれこれ細かく指図ばかりしていると、子どもは考える機会を失い自分で決めることができなくなります。
言われなければしないという指示待ちは自分が考えて決めるという経験が少なかったせいもあります。
子どものことは年齢に応じてできるだけ子どもの裁量に任せるように見守りましょう。
大人は子どもを指導しますが、指導を受け入れるかどうかは子どもが決めます。その気になるまで繰り返しの指導が必要になります。焦って無理矢理言うことを聞かせようとすると干渉になります。
もちろん、いけないことはいけないと大人の良識を教え諭すことも必要なことです。
【5月号】
指針2 他人を慈しみ交際することができる子ども
前号では子どもに決断する機会を与えるように書きました。子どもに決めさせたら、わがまま勝手になるという心配をされたことでしょう。そこで第2の基礎力が必要になります。
もう一人の子どもが自分と周りの人を同じ人間と見ることができるようになれば、わがままを言うことはなくなっていきます。
少子化の中では、周りが大人ばかりとなり、子どもはどうしても優遇されて育つようになります。世の中は自分の思い通りという錯覚に陥ります。社会性の育ちの環境としては適切ではありません。
自立が順調に進むためには、他者を対等に受け入れられるかどうかがポイントになります。自分の意のままにならない状況をもたらす他者が存在することを受け入れることができるとき、交際の幅は大きく広がることになります。人は皆同じという意識が確立しなければ,社会で自分を生かすことができません。
親が望んでいる子ども像は思いやりのある子どもです。もう一人の子どもが相手の立場になって考えることができるときに、自分を抑えて優しい気持ちを相手に向けるようになります。
子どもたちが遊んでいるとき、お互いのわがままからちょっとした衝突が起こりますが、すぐに順番にするといった解決法を覚えていきます。
毎日の生活の中で譲るという経験をさせてください。家族や友達が楽しく生きるためにはお互い様の気持ちが大切であることをいろんな場面ごとに教えてやりましょう。
【6月号】
指針3 居所を見つけ安心することができる子ども
子どもは育つ場を必要としますが、それは安心できる居場所です。もし不安な場に置かれたら、自分を守るために閉じこもり育ちは滞ります。
子どもが安心して育つ居場所とは、現実の場所ではありません。例えば、夕食後に子ども部屋に追いやられると、隔離されてひとりぽっちになり、窓際の不安にさいなまれます。家族とつながるリビングが安心の場になります。
家庭でお手伝いをする子どもは、自分がいて欲しい人であるという確かなつながりを実感し安心することができるでしょう。
人とのつながりが豊かであることが居場所です。豊かなとは? それは多様性です。今、子どもたちはクラスメートとの横のつながりに片寄っていて、育ちの場が貧弱になっています。
いろんなタイプの友達の輪を持つようにした方がいいでしょう。たとえクラスで友達関係がこじれても、他に友達の輪を持っていれば、落ち込みは少なくて済みます。地域の子ども会やスポーツ仲間、クラブ仲間などがあります。同年齢にこだわらず、年上や年下の関係も大切です。
育ちには大人とのつながりが欠かせませんが、親や先生との縦のつながりは指導という色合いがあって、子どもにとってはどちらかと言えば見張られているという関係に思われています。
また、近所や地域の大人たちとの斜めのつながりがほとんどありません。このつながりは子どもを見守る温かなつながりです。親がご近所とのつながりを大切にする姿を見せてやってください。
【7月号】
指針4 共存を願って信頼することができる子ども
多様な人間関係を持つことが子どもの居場所、育ちの場でした。人とのつながりといっても、知り合っている、遊び仲間といった程度では十分ではありません。深いつながりを持つことが大切です。それは共に生きていること、喜怒哀楽を共有できることです。
ある事件を起こした少女に対する家裁の書類に「自分の欲求や感情を受け止めてくれる他者がいるという基本的な安心感が希薄だった」と記述されていたそうです。安心感の喪失が社会的に許されない行為を生み出す可能性を示唆しています。苦しいとき、寂しいときにそばにいてくれる人がいれば、子どもは道を踏み外すことはありません。
新一年生はランドセルが借り物のようですが、数ヶ月すると一年生らしくなってきます。自分が何者であるかを自覚するとき、社会的に認知されている立場に自分を適合させて居場所を獲得できます。
勤めるようになって、自分に合わない仕事であるという理由で辞める若者がいます。仕事に自分を合わせていくこと、求められている自分になることが社会化です。自分を生かすとは、自分を共同可能な形に育て他者と信頼を結んでいくことです。
お互いに相手を必要としている五分五分の関係が人としてのつながりです。子どもは母親を必要としています。もう一人の子どもが、母親も子どもを必要としているということを分かると、信頼関係を持つことが出来ます。子どもを受け止めるだけではなく、子どもに頼ってみましょう。共同する体験をしっかりと与えるようにしてください。
【8月号】
指針5 思いを正しく表現することができる子ども
子どもが社会を安心できる居場所であると認めるのは、人間関係の信頼を通してであるというのが、第4の指針でした。その人間関係を組み上げているのが言語です。人としてのあらゆることが言語によって可能になっています。もう一人の自分は言葉を取り込むことで知恵を獲得していきます。その知恵が自分に向かうとき、もう一人の自分は自分を理解し他者を理解することができます。
子どもは周りに飛び交う言葉を聞き、その意味を推し量り、まねをして話してみて、どう伝わるかを確認します。このような言葉の習得能力を子どもは持ち合わせています。人間を含めた環境との交流の手段を持つことが、生きていく上で必要なことなのです。母の言葉としての母国語によって、もう一人の子どもは自分と環境の交流をすることが出来ます。母はそばにいるときは寸暇を惜しんで、子どもが生きている世界に必要な言葉をしっかりと口移ししてやらなければなりません。
人は感情の動物という一面があり、その生活には随所に喜怒哀楽が埋め込まれています。その感情表現を言語化できなければ、共感を通した社会生活を送ることが出来なくなります。特に欲望に起因する感情は極めて個人的、自己中心的なものなので,生のままの表現はもう一人の自分を押しのけて、必ずトラブルを引き起こします。いったん言語を主とした形に整えようとする作業工程を経ることによって、もう一人の自分の抑制が可能になります。誰かに話すことで気持ちが安らいだという経験は、そのよい例です。
【9月号】
指針6 美しい言葉を理解することができる子ども
自分の思いを言葉で表現することが第5の指針でした。言葉遣いは話す相手によって変化します。同級生との世界だけでは、そのことがわかりません。親との会話を通して大人相手の話し方を経験すれば、改まった話し方を自然に覚えます。その先の他者に対する敬語や丁寧な話し方、あいさつの仕方、言葉の選び方、声の出し方、態度の持ち方、場にふさわしい話題の選び方などを身につけるためには経験を積むことです。
優しさという感覚がとてもおかしくなっています。優しさを示すのは仲間内だけに限って、他者には冷酷になります。1か0かのディジタル型です。人の気持ちはアナログであり、強弱の変化があるはずです。社会は多くの人が.5の優しさを持ち寄って成り立っています。仲間でない人にも多少の気遣いをするのが社会生活上の基本です。その気遣いを洗練された形に作り上げているのが礼儀です。優しい言葉を覚えることで、美しい立ち居振る舞いが身につきます。
美しさとは、生きることへの共感です。花に美しさを感じるのも、花が次世代に命をつなぐ受粉の印であるから、共感できます。笑顔の赤ちゃんを可愛いと感じるのは、そこに命を見ているからです。
一所懸命な姿に感動するのも、生きようとする意志に共鳴できるからです。自分の周りにいる人たちが自分と同じようにあくせくと生きていることを感じる感性が、美しさの感覚です。普通の共同生活の中にある言葉を真面目に使っていなければ、美しい言葉を理解できなくなります。
【10月号】
指針7 能力を発揮し実行することができる子ども
美しい言葉遣いから伝わる命の共感をすることが、子育ちの第6の指針でした。ところで、言葉だけでは実際に生きている状態にはならず、口先だけになります。行動や態度が伴わなければなりません。
子どもは能力の基を持っていますが、それを伸ばす育ちをしなければ実力を備えることはできません。言葉に付随する知恵を体現するために、もう一人の自分が自分を鍛えなければなりません。
もうひとりの子どもはできるようになりたいと願っています。その思いを実現することのできるチャンスを与え続けなければなりません。子どもが何かをしようとしているとき、大人の目からは至らないことをしているように見えても、なるべく気の済むまでやらせておきましょう。うまくいってもいかなくても、その動きに馴染むことで力の発揮の仕方を身につけていきます。子どもの行動は何事も練習なのです。練習できなければ、できるようになりたいという思いは出口を失います。
すればできると思い、実際にはしないことがあります。したことがあるという実績が大事です。今しなくても後で必要なときが来ればするからと先送りしていると、必要なときに間に合いません。力は蓄えておくものです。試験前の一夜漬けは二夜で忘れたことを親の苦い教訓としなければ、子どもの能力の開発は覚束なくなります。コツコツと続けることが一番です。子ども時代は、子どもらしいことを懸命にやり続ければいいのです。まとまった力は、日々培った小さな力を組み合わせて作り上げていくものです。
【11月号】
指針8 優しい心情を尊重することができる子ども
能力を育てながら年齢相応にできることを実行することが、子育ちの第7の指針でした。その際に、能力をどのようなことに使うかということが次の課題になります。
子どもは成長するにつれて様々な能力を獲得していきますが,それは自分の思う通りにしたいという欲に導かれています。しつけによって望ましい能力の発揮に導くことが必要です。
約束を守るということがあります。約束を破ってしまうこともありますが、それが不都合な事態をもたらすことを経験すれば、約束の大切さを知って、次からは守ろうとするでしょう。そのような体験を通して、もう一人の子どもは自分の行動基準を学び取っていきます。
人は大切にしている信条により人格が彩られます。赤ちゃんは人が喜んでくれるから笑顔を覚えていきます。人と共にある喜びを大切にする心情を育んでやらなければなりません。
人の厚意を受けてうれしいからアリガトウと言います。この時のうれしさは誰からかもらうまで待っているうれしさです。ちょうだいといううれしさです。
一方で、ちょっとした厚意を示してアリガトウと言われてうれしくなります。このうれしさは自分からいつでも招き寄せることができます。
アリガトウと言ってもらうにはドウゾという言葉が必要です。自分の優しさを引き出す大事なキーワードです。
子どもにアリガトウと言わせるのではなく、子どもにアリガトウと言えるような関わり方をしましょう。
【12月号】
指針9 現実を直視し忍耐することができる子ども
自分の能力の正しい使い道を見極めることが、子育ちの第8の指針でした。ただ、能力を生かすことが簡単ではないことが普通です。そのようなときに簡単にあきらめないことが大切です。
しなければならないことがあるとき、自分の気持ちにそぐわないからと逃れることなく、きちんと直視し自らの力で受け止める忍耐が必要です。今は何をする時かという状況をもう一人の自分が理解し、自分にできることをすればいいのです。今は食事の時、今は黙ってお話を聞くとき、今は楽しく遊ぶとき、そのような生活のリズムを身につけることから忍耐は始まります。
あきらめないためには工夫する力が必要です。遊んでいて何かが足りないとき、学校の授業で持ってくるものを忘れたとき、急に雨が降ってきたとき、道に迷ったとき、立ち往生してしまうのではなく、何とかならないかと可能性を探すことが工夫するということです。手近なものから代用になるものを探して間に合わせようとすれば、今この場でできることを見つけることができます。現実を見る力とは目的を持って真剣に見つめることであり、その結果として工夫する力が培われます。
物事はすんなりとは進みません。気持ちは焦りますが,焦ってうまくいくことはありません。焦りを押さえ込む忍耐が働けば,状況を見ざるをえないようになります。できることを見極め,自分の力を信じてやってみます。やっていけば状況は変わってくることを信じることです。その途中の忍耐は可能性を産み出す陣痛のようなものです。
【1月号】
指針10 明日の幸せを期待することができる子ども
思い通りにできない自分の弱さに耐えて、今の自分にできることを見つけようとすることが子育ちの第9の指針でした。やれなかったのではなくやらなかった後には、後悔しか残りません。ところで、明日の幸せを信じることができなければ、やってみようという気持ちにはなりません。
毎日を漫然と暮らすのではなく,目標を思い定めておくと適度の緊張感が背中を押してくれます。どんなことでもいいから展望を持ち、そこにいたるステップとなる目標を定めます。今日は、今週は、今月は、今年は何処まで進むという目標を設定します。大まかな計画です。もちろん計画は進み具合に応じて変更を余儀なくされますが、そこは柔軟に対応します。
何処に行こうかという状態では足を踏み出せませんが、あそこに行こうとなると歩きだすことができます。継続は力なり。その継続を促すのが目標です。継続はゴールを目指して発揮されるものです。
明日に楽しいこと、うれしいことを見つけると、今日をがんばることができます。
親は子どもの弱点を見るとき、今のままでは困るという発想にとらわれますが、今のままであるはずがないと考えるべきです。そうしないと、子どもは明日の幸せに向かって育つ意欲を阻害されます。
親は子どもの将来を期待します。その期待に応えようとして、子どもは育ちに励みます。将来の期待は子どもには重すぎるので、期待を小分けにします。大人になってどうこうという遠くて大きな期待ではなく、身近ですぐ届くような期待にしましょう。
【2月号】
指針11 失敗を反省し分析することができる子ども
期待できる明日の幸せのイメージを持つことが、子育ちを促す第10の指針でした。このパターンが常にうまく働いているかというと、実際には様々な紆余曲折があります。
子育ちはあっちでぶつかりこっちで転けてよたよたと進みます。そのぶれを経験するから、ぶれなくなる育ちができます。育ちはできる・できないの経験を通して進んでいくものです。
できないことに出会ったとき、何処までできたかを自覚すると自信がつきます。自信というのは、自分は何処までできるかということをきちんと理解していることです。できるつもりであるのはうぬぼれです。何ができて何ができないか、自分を知ることが育ちを確実に前進させる要件です。失敗を反省することが大事ですが、何を反省すればいいかという点を曖昧にしていると、できなかった自分を責める方に向きます。まずできたことを見極めることが正しい反省です。
いろんな局面で、できたりできなかったりします。そのとき、運の善し悪しや環境条件の善し悪しであるとか、人のせいにしたりしないことです。できたときたまたま運が良かった、できなかったら運が悪かったと言っていると、経験から何も得られません。良い結果も悪い結果も自分に結びつけて反省する謙虚な気持ちが肝要なのです。
経験しなかったことはできないという原則を育ちに生かすためには、失敗を許容した上でやらせるということが必要になります。失敗の一歩手前まではちゃんとできていると励ましてやりましょう。
【3月号】
指針12 課題を学習し挑戦することができる子ども
できない自分を見捨てるのではなく、できる自分を見つけ、できない所に向き合う反省が子育ちの第11の指針でした。子どもにとっては、失敗は育ちの元なのです。
失敗を反省して自分の弱点が見えたら、どうすればできるかを考えなければなりません。自分の経験の中に手がかりはありません。自分以外の人にヒントを探し、真似るのが普通です。「まねる」が「まねぶ」になり「まなぶ」に変わっていきました。学ぶというのは、できる人の真似をすることです。特に年長者は良き先生になるので、異年齢集団は育ちに不可欠な環境です。学校では先生という年長者が、家庭では親という年長者がしてみせるという役割を担うことが求められます。
子どもができずにもがいているとき、こうすればいいよとして見せれば、学びと挑戦をすることができます。
学校は教わる所と考えられていますが、その意識は受け身になるので学校を楽しくないものにしています。子どもは学ぶと言わなければなりません。子どもが学ぶ所、だから学校というのであり、子どもの学ぶ意欲を満たしてくれる所なのです。
ところが、知っているという学習の段階で止まることがあります。知っているからできるかというと、そうはいかないのが現実です。自分の力になるように何度も繰り返し挑戦する必要があります。
挑戦しているポイントが、育ちで今最も大事なポイントになります。そこを越えれば育ちが一歩進みます。その経験を重ねるたびに確実な育ちをしていきます。(完)
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なお,20年度末に,以上の広報啓発をA3版紙1枚の裏表(pdfファイルです)にまとめて,小中学校の全保護者家庭に配布しました。
健全育成の基本的指針が形として完成しましたので,今後の活動に組み込んでいくことができます。機をうかがい続けます。
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