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【学校週五日制が問うこと?】
来年度から学校週五日制が完全実施されます。かつて導入時には全国的な大慌て状態になりましたが,いよいよ本格的に定着しようとする直前の今年,世情はとても穏やかです。マスコミが取り上げないことも一因でしょうが,段階的なステップに何となく慣らされているようです。しかしながら,いわゆる受け皿づくりがなされてきたかというと,心許ないかぎりです。
新しい局面に遭遇すると過敏に反応しますが,一方で熱しやすくて冷めやすいという国民性が現れています。土曜日が休みになると子どもたちに何が起こるか分からないという不安が当初は蔓延しました。でもいざ始まってみるとさして何も起こらないではないかという安堵感に包まれました。この間大人たちは無為に過ごしてきました。確かに何かしなければという思いを持ってはいましたが,いざ何をすればいいのかという実践の手前で立ち往生してきたのです。先例のない事態ではこのような仕儀は致し方のないことでしょう。
最近社会教育法の改正がなされました。それは家庭と地域の教育力が低下しているという認識の下に法的な支援策を明確に組み込もうと意図されています。そこまで事態は悪化しているということです。自立的な家庭や地域であることが当たり前ではなくなってしまったということです。誰かがテコ入れをしなければならないということは,ほとんど病気に罹っていると言ってもよいでしょう。
関係する組織体は「青少年健全育成」と唱えているのですが,その声には力がありません。活動が最近の青少年の問題行動を出発点にしているからです。しかしそのような取り組み方は,健全な組織体であることを前提にして成り立つものです。ありていに言えば,ほとんど病的にまで体力の落ちた大人には,子どもの問題行動を治す術はありません。なぜなら,子どもは大人の生き写しとして育っているからです。育ちの環境が不健全ということです。
健全育成とは問題行動の治療などではなく,健やかな育ちを目指すものです。「健全な心は健康な肉体に宿る」という言葉が成り立つなら,「健全な育成は健康な家庭と地域に宿る」と言うことができるでしょう。
今大人が立ち上がるためには,まず反省をすることが必要です。これまでの活動が受け身であったという反省です。本来育成とはこう育てたいという思いがあって可能になります。問題行動に対処しようとする後手ではいつまでも事態は改善できません。これまでの状況がそれを如実に示しています。
次に意識しておくことは,学校週五日制はチャンスだと思う家庭や地域になることが健全な家庭や地域の姿なのだということです。どんな家庭を築こうとしているのか,どんな地域社会を構築しようとしているのかを熟慮し,その上で子育ちの環境である大人社会が健全になろうと努力をすることです。
当初学校週五日制は子どもを放任することになるという危惧がありました。養育の隙間ができることで悪い芽が育つのではないかという恐れでした。これまでのところ,目立った弊害は現れていません。何もなかったから安心したという経験から,ほとんどの親はこれからも何とかなるだろうと思っているようです。しかし養育環境の劣化は実のところもっと大きなうねりとして進行しているのです。
学校週五日制は一つの警鐘という意味合いを持っています。家庭や地域は子どもをどう受け止めるつもりですか,どう育てるつもりですか,その問によって家庭や地域は健全育成について主体的に振り返るチャンスを掴まなければならないのです。単なる受け皿つくりに状況判断を矮小化したら,家庭や地域はさらに坂を転げ落ちていく羽目になります。本来の健全育成活動を取り戻しましょう。
(2001年8月10日)
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