*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【社会教育委員の役割?:その2】

 社会教育委員は何をすべきか,何ができるか,多くの委員さんが薄暗がりの中に立ち止まっています。地区協議会の会長をしていると,悩み相談といった大げさなものではありませんが,何となく話がそういう向きに進んでいきます。受け止める立場に追い詰められると,苦し紛れの知恵を絞り出そうとして,ついあれこれと口に出てくるものがあります。そんないくつかを記録しておくことも,正解への途中経過として意味があるかもしれません。なお,項目番号は,前出の「社会教育委員の役割?:その1」からの続き番号です。

3.立場に相応しく
 委員は市町村の教育委員会から委嘱されます。この当たり前なことを素直に意識しなければなりません。空気のような当たり前の事実を確認しないことから本質を見落とす場合があります。
 社会教育委員は市町村の委員であるということです。すなわち,委員が属する市町村全体のために働くこと,市町村全体を視野に入れた社会教育活動の推進を考える役割を担っています。個々の行事や事業の推進も必要ですが,それは局面毎の戦術であり,各団体に任せておけばいいのです。委員はあくまでも市町村全体を動かす意図を持って,全体の戦略を考えなければなりません。
 社会教育委員が具体的な事業の主体者になって,活動の推進役を果たす場合もあるでしょう。研修会では,そのような事例報告が普通です。ところが,よくよく考えてみると,何らかの組織の代表者がたまたま社会教育委員であったというにすぎません。その活動事例が社会教育委員でなければできなかったかというとそうではなく,委員ではなく組織の代表だから実践できたケースがほとんどです。
 社会教育委員には,いろんな分野のリーダーとして活躍している方が推薦されます。中には名誉職といった古い意識も残存しています。指導的立場にいる方ですから,委員の独任制という資格も与えられています。しかしながら,そのことが委員の役割をぼかしているようです。委員の出身母体を代表する立場にとらわれてしまいます。形として,ただの寄り合い所帯になっているケースもあります。
 委員に期待されている役割は,それぞれの得意とする分野を持ち寄って,市町村全体の活動を推進するための方策を考えることなのです。指導者という意識を一旦脱ぎ去って,客観的な立場で知恵を生かす意志が求められているのです。市町村の社会教育推進プロジェクトのメンバーとして,再結集しなければなりません。
 市町村全体を動かそうとする意図を提示することが社会教育委員の本務です。だからこそ,社会教育委員の第1の役割として,計画立案が法によって規定されているのです。現在,いずれの市町村でもさまざまな社会教育活動が行われています。個々の活動がどのように活発でも,それらが何の連携もなく行われているなら,市町村全体の動きにはなりません。そこに共通の目標に向かう動きを重ねてこそ,全体が動きます。4輪が勝手な速さで勝手な方向に走っていては,全体は動けません。スピードを合わせ,舵取りをしてこそ目的が達成されます。市町村全体がどこに向かうべきかを見定めて,適切な誘導をするのが社会教育委員の役割なのです。

4.行政の担当課との関係では
 社会教育委員は法制上教育委員会に属します。したがって,委員の活動は教育委員会との関係に基づくことになり,諸手続は社会教育課あるいは生涯学習課等の領域に含まれます。同時に,委員が密接な関わりを持つ社会教育関係団体も同じ行政課の仕事に入っています。
 この社会教育関係団体が独立の組織として,自主的な運営がなされていればいいのですが,実情はかなりの程度行政課におんぶしているようです。規約の上でも,事務局を行政課に置くと公言している場合もあります。団体と行政課の双方にとって,そういう形にしておく方が効率的であるのでしょう。しかしながら,団体の事務局を行政課が掌握すると,団体の独自性が損なわれ,同時に行政課としての本来の業務に支障が生じます。自分たちの面倒をみるのが行政の仕事だと言わんばかりの甘えが出てしまいます。
 この癒着と言っては言い過ぎですが,直結した状態が,社会教育委員による団体に対する指導性を封印していることに気付かなければなりません。なぜなら,行政課に対して直接に指導や助言をする権限は委員には与えられていないからです。教育委員会に対して進言するという働きかけが可能ではあるのですが,間接的です。この点についての改善を進める必要があります。
 実は,当面する課題は別の状況にあります。社会教育関係団体の活動を多様化しようという時代背景がある一方で,団体構成員の減少が起こっています。そのしわ寄せが行政課の業務を徐々に圧迫しているのです。厳しく言えば,事務局を行政課に置くことで,団体が行政課をまるで下働きにしている風です。団体の方ではちょっとしたことを頼んでいるだけという積もりでしょう。例えば,案内状を出すという書類一つの処理でも,文面を考え印刷し,誰にいつまでにどういう方法で届けるかといった手配までとなると,半日仕事になります。実務は団体が自分の手で処理してくれなければ,迷惑なのです。
 社会教育関係団体への指導は,行政課への甘えを正すことからはじめるべきです。行政としては言い出しにくい事柄ですから,代わりに言ってやるべきです。委員はそれが言える立場にあるのですから。もちろん,それを言うには,社会教育委員自らが行政課への負担を与えないように気配りしておかなければなりません。

5.計画立案のスタンスの取り方は
 社会教育のありようを考えていくと,求めるイメージはかなり理想的になっていきます。でも,現実はいつも理想とはかけ離れています。その乖離に気付くと,どうしても焦りが出てきます。そこで陥るジレンマがあります。現実を前にして無力感が訪れてきます。何をやってもどうせ無駄だという見限りです。そこで,べき論を並べることで,叱咤激励的な計画をまとめてお役を果たすことに落ち着きます。たとえば,計画書の文言が,「○○でなければならない」,「○○すべきである」という結びになることが多くなるのは,理想から現実を糾弾しているからです。
 計画立案とは,現実から出発するものでなければ,実効性が伴いません。現実と理念の突き合わせから考察が始まるにしても,現実に足を立てた考察を進めることが大事です。理念から見て現実を引っ張ろうとするのではなくて,現実から理念に向けた一歩を見つけることが計画の最も重要な意味です。計画には具体性が求められますが,それは現実に立つこと,言い換えれば,理念は遠い向こうにあるものという意識を持つことなのです。
 現実を見つめることが必要だと言われますが,気を付けないと,理想から現実を見て幻滅におそわれます。理想を見るようにすればいいでしょう。理想は遠くにあるものです。あそこに行けたらいいな,一歩でも近づきたいな,そう考えた方が気持ちが楽になりますし,計画も優しくなります。

6.助言の機会は
 委員には,社会教育関係団体への助言をする役割が期待されていますが,その機会が見つかりません。もちろん,立ち話のような非公式な機会はいくらでもあるでしょう。それでは,重みが不足します。ただの話として聞いておくといった程度のものに過ぎません。チャンスが与えられていないと嘆くのは簡単ですが,それでは何も変わりません。現状を変えようとしてこそ,委員です。
 機会とは探して見つからなければ,自ら準備をしなければ得られません。社会教育関係団体が一堂に会する公式の機会を創出すればいいのです。予算も手間も必要ありません。教育委員長名の会議通知一枚で,招集できます。会合という事業でも,その実施のための意図が不可欠です。「何のために集まるのか」という目的です。それは,たとえば,「各団体の活動内容をお互いに発表し理解し,連携を深める切っ掛けとし,一致して市町村の社会教育活動を推進する確認を行う」ということで十分でしょう。名称は連絡会議などとして,各団体の代表者が一堂に集まる機会を持つことが大事です。
 そこで,一つの仕掛けを組み込んでおきます。この会議の司会を社会教育委員会の会長が務め,委員全員も同席することです。実はこの社会教育委員の出席が最も重要です。それは,社会教育法上,社会教育関係団体への補助金について,教育委員会は社会教育委員会に諮らなければならないのです。そこで,社会教育委員会は関係団体の活動については重大な関心を持つべき立場にあります。だからこそ,団体への助言役割も与えられているのです。
 公的な会合を持ち,団体の代表が胸を開いて活動について語り合う中に,社会教育委員からの助言や指導を「提案や協力願い」という形で持ち込んでいくことができます。公式の場での了解を得られたら,具体的な通知などによって,望ましい方向への具体的な活動を進めることができます。
 実際,各団体による「出前講座」を既設の人材派遣事業に登録してもらうように,話を進めてみました。「会議の場で了解が得られた」という第一歩が踏まれたので,あとは具体的な作業として各団体に講座届け出の文書を送り届ければ,動いていくはずです。
 助言という中身を,公的な会議での提案による了解という大義名分で包装すれば,団体の方としても受け入れやすくなるはずです。もったいぶったやり方ですが,助言によって団体を動かすには,きちんとした手続きを踏む必要があるのです。

7.助言の第一歩として
 委員には市町村全体を考えることが期待されていますが,そこには,行政と市町村民という対抗する立場があります。教育委員会の傘下にある役職として,行政側の立場になりますが,市町村民全体のための社会教育に関わる以上,行政と向きあうことも必要になります。実際は,行政と市町村民の間に立つことが適当でしょう。逆に言えば,行政でもないし市町村民でもない,宙ぶらりんな立場です。そのことが委員の役割を曖昧にしている一因です。
 委員は接着剤の役割を持たされています。立場の違いから発生するさまざまな誤解や勘違い,思い違いなどを修正できるのは社会教育委員しかいません。たとえば,行政の方針として「地域コミュニティづくり」をあげている場合,市町村民がイメージしている地域コミュニティとは必ずしもぴったりとは重なりません。同じ言葉を使っていても,その具体的なイメージは立場によって違うのが当たり前です。そこで,地域という言葉の定義付けが必要になり,それをしてみせるのが委員からの両者に対する助言の第一歩になります。
 そのほかに,健全な育成というときの,健全とは? 情報提供というときの,情報とは? 一つ一つの言葉の具体的な意味をきちんと理解してこそ,実践活動が可能になりますし,評価の指標も立てることができます。言葉を曖昧なままにしていては,活動を進める手がかりを掴めず,さらには活動の進展さえ見えなくなります。
 社会教育委員が発言する場は,社会教育計画書にあるはずです。計画書を策定する中で,行政の事業に対する計画と市町村民の活動に対する計画を区分けしながら,言葉を使い分けてみせることが大切です。言うは易く行うは難しですが,そうしようと意図することで,少しずつではあっても,お互いの理解を図ることができるはずです。なによりも,社会教育委員自身が,曖昧な言葉遣いから脱却できます。


 思いつきですから,順序の整理はできていません。考察の断片の羅列に過ぎません。だからこそ,メモなのですが・・・。いずれも当たらずとも遠からずでしょうし,全体を理解する端緒になるはずです。素材を前にして,何から手にするか,それはお好みにお任せします。

 また何か思いつくチャンスが訪れたら,続きを書きます。

(2003年03月03日)