*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【組織運営の学び?】

 社会活動に参加する場合,何を学ぶかという心掛けがキャリアの優劣を左右します。例えば,学歴は学ぶ機会があったということを示し,そこでどれほどのものを学び取ったかということとは別物です。世間的にいえば,その学習機会を得る能力があったということまでが認知されています。卒業という事績はそこそこの修了をした証ですが,到達度に関してはかなりの幅があるはずです。経験をしたことについても,それが力になっているかは,学ぶ気持ちに拠って違ってきます。
 講演会に参加します。講演を聞いて学ぶというのが,普通でしょう。もちろんそこでも,どれだけのものを学ぶか,真剣度に依存します。その上に更に学びの機会を捉えることが可能なのです。講演会の運営の実際を教材として学ぶのです。案内表示の仕方,受付窓口のあり方,進行の形式,伝達されるメッセージの質と量,それらのデータは自分が講演会を主催する立場になったときに役に立つことになります。そんな立場ではないから関係ないと見過ごしているから,やがて年を経て立場を得たときに右往左往する羽目になります。たとえ初めてでも,テキパキと差配ができるようになるためには,それなりの学びをしておくべきです。学びは明日のためにすることなのです。
 もちろん,挨拶の内容,講演の内容など,自分がするとしたらどうするか,自分のこととして擬似体験するようにすれば,実体験を十分に補うことができます。つまらないことをしゃべっているなと聞き流してしまうのではなく,その立場になればそう言わざるを得ないということも分かります。聞く立場と話す立場の間には,大きな溝がありますが,想像の上で溝を跳び越えてみようとすることで,溝の目安を付けることができます。目安が持てれば,はじめて立場の逆転の現実に直面しても,落ち着いて臨むことができます。
 言われるままについていくということに慣れると,意識して見聞する機会を無駄にし,学びができません。どんな場合でも,そこから何かをつかみ取ろうと気持ちを込めて関わっていけば,あらゆる学びが可能になります。切羽詰まったときに学びをはじめても,出遅れています。もしも競争的な場合であれば,勝負になりません。臨機応変にことに臨むという資質も,既に基本的なシミュレーションを積み重ねていればこそ発揮できるものです。備えあれば憂いなしという言葉を知っている人は多いはずですが,その備えを普段から実行できている人は少ないでしょう。繰り返しておくと,自分をあらゆる立場に置いてみるイマジネーションの訓練です。

(2005年01月28日)