*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【人材の注入?】

 メモの中に,出典を思い出せませんが「言論は人を動かさない。だから自由なのだ。言うこととすることは違うのが当たり前,言行一致ではない。実行する意志がないことでも,一見道理なら自由な言論となる。承知は脳みそにとどまって,決して手足に及ばない。」という一文がありました。社会教育に携わっている人なら,「そうだ」と共感できる一文です。メモにしたのも,そのためであったはずです。ところが,その共感の心地よさが困るのです。
 なるほど,その通りと言わせる言論は,素直に聞き取れます。困るのは,その嘆きを分かち合うところで止まってしまい,「では,どうしたら?」という進展がないということです。社会的な活動の推進は基本的に「啓発」という伝達方法によります。その際の言論は事実や事象を解説するものではなく,何事かを目標として誘導しようとする意図を持つものです。言論が脳みその遊びになりやすいのは,手足に届くような仕掛けを欠いているからです。長々と解説が続き,「○○しなければならない」という結語で終わるといったスタイルの言論が多いようです。人のことは言えるもので,このホームページの言論もご多分に漏れず同じ轍を踏んでいます。
 うまくいっていないことを指摘するのは簡単です。その先にある,どうすればいいのかを考案するのは困難です。それができるなら,うまくいっているはずだからです。こうして壁の前に立ち止まってしまうことになります。そこで,何らかの学習をする必要があります。教材は他分野でうまくいっている事例です。うまくいっている事例とは,普段は当たり前と思われている事例です。ことさら成功したという事例を検索しようとするから,見つかりません。異業種交流という学習手法が経済界などで取り入れられましたが,他分野では当たり前の知恵が,別分野ではブレイクスルーになるという可能性を期待するからです。
 どの分野でも普段の慣れ親しんだやり方というものがあります。システム全体が馴染んだ動きををするので,円滑に機能しているように思われます。ところが,状況の変化が速い速度で進んでいる現在,システムの陳腐化や逸脱化が起こります。困ったことにシステムの内部にいる者には,それが感じられません。外から呼びかけても,誰のことかと訝るだけで聞く耳を持ちません。やがて,大きな障害に乗り上げて転けてしまいます。システムの活性化の一つとして,外部の者を招じ入れるという方法が採用されることがあります。外の目を持つ人にはシステムのゆがみが見えていることに加えて,システムの内部の人として実際に動くことができます。人を注入するという伝達方法が最も実際的であるということです。
 社会活動では,いろんなシステムの中に外部からの人材が入っていけるように運営することが必要になります。具体的には役員の交代を怠らないことです。新しい意見がシステムを活性化させます。言論を言葉で伝えるのではなく,人で伝えることを考えなければなりません。その意味で人材の育成が大事なのです。
(2005年03月16日)