*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【計画の意味?】

 一年の計は元旦にあり。今3月に入って,持ち出す言葉ではありません。言葉にもTPOがあります。俳句でいう季語に相当する言葉は,その季節の中で生き生きとするものです。とはいえ,3月はいろんな組織体の総会が開かれており,活動報告と予定が協議の中心になります。年度の計は3月にあり,ということになります。
 元旦に今年こそはという目標を立てても,松の内が開けると,しめ縄と一緒に片付けられてしまいます。俗にいう三日坊主です。組織の活動もご多分に漏れず,活動目標を設定します。総会という最高議決機関で承認されますが,来賓のあいさつと同じで,総会終了と同時に流れ去ります。総会資料も二度と日の目を見ることはありません。ファイルされているという僥倖を得た資料は数冊でしょう。
 国会の審議で討論される内容は,この一年,あるいはこれからの日本をどうするのかという計画の具体的イメージづくりです。年金制度の議論は,老後という国民すべてのこれからの暮らしについての計画づくりです。人は明日をイメージして計画を作りその実現に向けて努力するという能力を授かっています。犬や猫に明日をイメージする能力はありません。人が人である生き方とは,明日を夢見て実現のため具体的計画を立てることから始まります。
 社会とは,計画の実現のために機能してこそ価値があります。政治家の公約が看板倒れになるのは常識と思われています。そこでマニフェストという改善が注目を浴びました。何年後には何がどこまで実現するかという数値目標を掲げるという手法です。じつは,それは「計画」に過ぎません。単年度ではなく,中期・長期の計画が衣替えしたものと考えればいいでしょう。強いていえば,数値による表現が追加された点が新しい考え方になっています。
 活力が発揮される社会とは,計画が描いてみせる出来上がりのイメージがメンバーに共有されている社会です。高度成長期とは,豊かな暮らしというイメージがあまねく浸透していました。どんな暮らしができるようになるか,具体的に見えていたから皆の努力が傾けられました。今豊かな暮らしの中にいて,明日が見えない状況では,社会の活力は開店休業状態になっています。見えているものは,お金があればより一層楽しめるという程度のことです。人としての格を上げるようなステップアップがイメージしにくくなっています。
 進歩や発達という成長曲線は,はじめは目に見えて急激ですが,その変化は次第に鈍くなるものです。たとえば,何かの技を修練するとき,初心者が一応の格好が付くようになるまでは短い期間ですが,そこそこになる,極めるところまではとても長い時間が必要になります。技量の上がり方は見えなくなります。貧しさからそこそこの豊かさまでは変化が劇的ですが,豊かさの中でのランクアップは徐々にしか進みません。変化の壁があるのです。
 社会活動を推進するためには,目標を設定し計画を示さなければなりません。より豊かな明日を提示しようとしても,大して魅力的なものは見当たりません。その今の状況は,豊かさのトップ集団に入ってしまって,追いつき追い越せの時代は去ったという物言いに現れてきます。そこで仕方なく採用される方法は,社会の暗部を暴き立てて,不完全さを喧伝することになります。人の心が荒廃した証拠としての犯罪のあれこれ,青少年の憂うべき姿のあれこれ,地域社会の崩壊という診断事例などを列記して,暗いイメージを煽ろうとしています。その上で,「がんばらなくては」という義務感を引き出そうとします。気持ちは沈みます。
 確かにその現実を見逃しておくわけにはいきませんが,社会活動は本来は夢がなければ意味がありません。簡単にいえば,悪い芽を摘むことを目標にするのではなく,よい芽を伸ばすことをメインにし,結果として悪い芽を駆逐していくという考え方の方が,明るい気持ちになります。社会活動は明るく取り組むものでなければ広がりと活力は生まれません。活動の行き詰まりが諸処に見られる今こそ,初心に帰る,社会の在り方の本来を再確認しておくときです。
 論が振り出しに戻ってきました。明るい明日が見えない。その壁を逃げたことが拙かったのです。突破するために知恵を集めるべきです。中長期の計画を立てるという作業を始めるのが賢明です。一年先の展望は変化が小さくて実感できませんが,5年先10年先と時間幅を取れば,大きな変化を想定することができます。その役割を担うプランナーが社会教育委員です。組織活動の行き詰まり状態に対する支援として,今最も求められている事柄です。
(2005年03月05日)