*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【指導者のあり方?】


 社会的な活動の場で,何かの目標に向けて動き出そうとする場合があります。そのための方策として,新たな指導者の養成が必要であるということが言われます。計画書などでは,その指摘をすることで終わっています。忘れていることがあります。それは指導者とはどのような人をいうのかという認識が曖昧なままに放置されていることです。指導力の中味が明確にされていなければ,育てることも見つけてくることもできません。
 社会活動における指導者とは,実利社会のものとは少し違っています。そこでは指示命令系統が確固とした組織における役割として機能すれば済みます。構成員には仕事という意識もあります。しかしながら,社会活動をする組織では基本的に自主参加であり,個々の全人的な生き方が直接に絡み合うことになります。共通認識に基づく活動であることが,指導上の最も肝心な抑えどころになります。

 指導者に求められる資質は,頼み上手であることです。ぐいぐいと引っ張っていく能力は二次的なものになります。組織構成員の自由意思を尊重することが基本だからです。皆がその気になって活動できるようにします。もちろん指導者は活動の目標に向けた役割をそれぞれに与えるという任務があります。

 頼み上手ということの中味を考えておく必要があります。いくつかの要素があります。先ず第一には,相手の時間場所に関する都合を見計らうというタイミングの調整です。人が断る理由として最も多いのが暇がないということです。そこをクリアするにはそれぐらいだったらなんとかなると思わせることです。任そうとする役割を具体的に細分化して,手間暇の目安をはっきりとさせる準備をしておきます。多忙な都合の隙間に入るように段取りを整えておくようにします。
 第二に,相手の参加意志をほめることです。普通には相手の能力が優れていることをほめますが,注意しないとお世辞になることがあります。それよりも参加しようという心情をきちんと受け止めるという対応が大事になります。社会的な関わりがどんなに意味があることか,活動目標に照らしてどれほどの貢献が期待されているか,ほめる理由をきちんと伝えるようにします。
 第三は,役割を終えた後に感謝の言葉を忘れないことです。やったことが活動の一環としてちゃんと収まったという確認が充実感のスイッチになります。やり終えたという気持ちです。感謝の言葉によって,人は社会参加の実感を得られます。役に立てたという喜びにもつながります。

 社会活動はして当たり前というものではなく,すれば気持ちが満ちるものです。人をその気にさせる指導力,善意をあふれさせる導きの力,人と人との温かいつながりを大切にする気持ちが指導者には求められています。
(2007年01月21日)