*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【学びのリズム?】


 月刊社会教育の平成19年4月号を読んでいると,「学びほぐす」という言葉が目につきました。午前に学びをしたら,午後は疲れてしまうという状況を見て,学習機会の企画に際して考慮すべきポイントを報告している中にありました。

******ヘレン・ケラー女史が語ったとして紹介されていましたが,
「learn」&「unlearn」,「学ぶ」と「学びほぐす」
と書かれていました。******

 学ぶとは知識を詰め込む営みであり,学びほぐすとは自分の言葉にほぐしていくといった意味合いでしょうか。受け取る学びは自分を抑えてひたすら理解することに集中するので,かなり緊張します。その緊張を解きほぐすために,自分のペースで整理し直すことが付随すべきです。学ばない,ぼんやりするという風に捉えるべきかもしれません。学びにも緩急のリズムが必要ということです。
 学びは人がすることです。人には生きているリズムがあります。学びは理性の領域であり,リズムという感性の領域とは無縁のように思われますが,それは人を機械扱いすることになります。本来の学びは理性と感性の共同作業によって身につくものなのです。学びは言語を用いて行われます。その言語はそれ自体がリズムを帯びています。日本語の五七調はよく知られています。長文の説明がなじまないのも,リズムとそぐわないからです。すっと入ってくる,そこには内容の整理のみならず,生体のリズムが関わっているのです。
 時間として考えると,90分が緊張持続の最大時間といわれています。映画は経験的に90分近くになっています。授業が半分の45分になっているのも,リズムに適った選択です。30分,15分という時間が日常の時間になっているのも同じです。
 リズムには緩急があり,それが学ぶ・学びほぐすという形で表されているのです。人を相手にした物事を考える場合には,人は生きている,ベースとしてリズムを刻むことで感性とのマッチングが可能になるということを忘れないようにしなければなりません。

(2007年04月10日)