*****《ある町の社会教育委員のメモ》*****

【箇条書きの前提?】

 サロベイ氏らによるEQ論というものがあります。詳しく学んだことはありませんが,ある方が,子どもの社会適応性を考察して、以下のような項目を挙げておられました。何かの折に使えるかもしれないと、メモしておきました。
   (1)共感性
   (2)自己認知力
   (3)自己統制力
   (4)粘り強さ
   (5)楽観性
   (6)柔軟性
 社会に適応するために必要な資質として,選び抜かれたものでしょう。それぞれについては納得できるものではあるのですが,いくつかの疑問が浮かびます。最初の疑問は,なぜ6項目なのかということです。それぞれの項目の基盤となる座標が見えてこないのです。そのために,項目相互の関係がクリアになりません。例えば,自己統制力は粘り強さや楽観性と相関があるように思われるのです。すなわち,項目がそれぞれ独立していないのです。
 次の疑問は,座標が見えないことの別の形ですが,6項目以外のものは無いのかということです。例えば,言語能力は社会性にとって重要な資質であると思われれますが,落ちています。全体像がイメージできないと,論として落ち着きが無くなるということです。完備性といってもいいでしょう。自らの論理空間を把握しておかないと,論議が彷徨うことになります。論とは,前提となる限界を明らかにすることが不可欠です。そこが提示されていない論は,不完全となります。理科系の議論に比べると,文化系の議論はその点が不十分のように見えます。EQ論に基づくという点が,論の限界を与えているのでしょう。
 ではどのような座標が想定可能なのか,一つの手法は,5W1Hの問座標に答えるということです。論議の座標とは,問を選ぶことです。これ以外の問がないという点で,5W1Hは一つの完備形をなしています。子どもの社会性というテーマで考えると,誰が社会性を持つのか,いつ社会性を持つのか,どこで社会性を持つのか,社会性とは何か,なぜ社会性を持つのか,どのように社会性を持つのか,少なくともこの6質問に答えを出しておけば,まとまりが得られます。(この点については,本ホームページに述べている拙論子育ち羅針盤を参照してみて下さい)。
 世間一般の議論を取り入れる際には,世界観といったものをしっかりと意識しておくことです。片寄った思考を避けるようにしないと,議論がすれ違いを生じます。ああいえばこういうという議論百出は,お互いの世界がかみ合わないことです。価値観の多様化もその一つの現れになります。本来の議論はお互いの世界を突き合わせて,より大きな世界観を得ることを目的とします。そのためには,自らの世界がどのような前提の上に成り立っているかを自覚しておく必要があります。新しい座標が現れたとき,座標変換も可能になります。一次元の座標での議論は,他座標と出会うとき,二次元の世界を生み出すことができます。

(2009年06月30日)