*****《地域の教育力》*****

【1.地域とは?】


 まず,地域という言葉のイメージを明確にしておかなければなりません。イメージがそれぞれ違うと,話がずれてしまうからです。この講では,地域の広がりを家を中心として「歩いていける範囲」と考えます。したがって,自治区および子どもが歩いている小学校区を基本的な広さとします。

 今,「地域」は忘れられています。職場が地域外になったために,夜の居住区と言うべき状況にあります。さきほどのリンカーンの言葉ではありませんが,
      「私たちの,私たちによる,私たちのための地域」
ということを思い出して頂かなければなりません。

 例えば,皆さんは「地域」という言葉から,どんなことを思い出されますか?
  (連想ゲーム):運動会,清掃作業,回覧,‥‥
といったことでしょうか。「隣の人や子ども」を思い浮かべたとすれば,地域のしっかりしたイメージが出来上がっています。

 子どもたちの養育において,教育力の低下が危惧されています。特に家庭の教育力が問題視され,親の学習活動が活発に展開されています。しかしながら,もう一つ何かが足りないという感じが拭えません。それが何かをこれから探っていくことにします。

 (1) 家庭の教育力の低下
 福岡県社会教育総合センターが行なった調査によりますと,親の養育態度に潜む問題点として「無意識の過保護」と「一部放任」が指摘されました。過保護とは先回りすることであり,それは親が子どもに失敗をさせまいとするからです。遅刻しないように起こし,忘れ物をしないように注意します。その結果は,「言われなければ何もしようとしない子ども」を育てることになります。また,放任については,子どもが学校に上がって「これでやつと手が掛からなくなった」と思ったときから始まっています。その結果は,「お母さんは親らしいことは何もしてくれない」と言われてしまいます。

 さて,過保護と放任は矛盾する事柄です。一方では過保護?,他方では放任?と言われて,どうすれば良いのでしょうか。どこが過保護でどこが放任か,はっきりしなければなりません。
 一言で言えば「声かけばかりで,手をかけなくなった!」ということが出来ます。ですからなるべく声かけは控え目に,なるべく手をかけるように努めれば良いようです。手をかけるためには,傍にいる(手が届く)ことが必要です。これは一緒にいなければということではありません。子どものために手を動かすということです。日常の生活の中で親の手作りを与えることです。
 親の養育態度に問題があると指摘された後,さらに親の生活態度にも問題があることが分かって来ました。子どもの生活リズムの乱れ・不器用さ・読書不足・食べ物の粗末な扱いなどを指摘する大人が,自分でも全く同じ状況にあり,近所付き合いも少なく,子どもの良いモデルとして自信が持てないようです。こうなって来ますと,親については始めから考え直さなければなりません。つまり「親のあり方」といった狭い視点では,問題を十分に捉えることが出来ません。親以前の問題と言えるかも知れません。。そこで「家庭のあり方」という生活の基盤から考えていく必要があります。問題としなければならないことは,親の教育力の低下ではなく,文字通り家庭の教育力の低下なのです。そこで家庭とはどのようなものなのか,その特徴をここでおさらいしておくことにします。

《家庭の三要素》
  1.家族が一つ屋根の下で生活すること
具体的には居間があるということ,さらにそれぞれに席があるということです。父親の席が決まっていないようでは居間とは言えません。子どもは子ども部屋に引きこもって,ホテル住まいのような家庭では家庭の機能が発揮できません。

  2.家庭が一つの指向(目標)を持つこと
家族が目指す将来があるということです。大人は仕事,子どもは勉強というように別々の当面の目標ではなく,家族全員がもっと将来に同じ目標を持つことが大切です。親子で同じ仕事をすることに限らず,生活の面で親子でどこか協力しあえる関係を目指したり,あるいはゴールは違っても共に助け合って励むということでも良いでしょう。

  3.夫婦と子どもの間に一線があること
家族は世代交代の基本単位です。ですから世代というものが厳然と存在するというけじめが必要です。つまり人生における人の役割順序があるということを具体化しなければなりません。親子の関係で言えば,家庭は子どもにとっては生まれる場であり,親にとっては産む場であるという立場の違いがあります。家庭は大人が責任を持って営む生活の場であり,子どもを育てる場であるはずです。いま,家庭は子どもに占領されて子ども天国になっているか,あるいは子どもがいることを考えずに子どもを阻害しているようです。世代の違うもの同士がうまく同居しているのが家庭です。子どもを学校と塾で生活させておいて保護者と言えるでしょうか。

 親は家庭の経営者でありながら,家庭経営を疎かにして行き詰まっています。家庭を再建する時期を迎えています。所で再建を成功させるためには,現状のままで気持を入れ換えれば済むかと言えは,そうはいかないと思われます。何か新しいものを入れ込む必要がありそうです。つまり家庭の崩壊について親の責任を追及するだけでは解決は望めません。さらに考えておくべきことは,家庭が教育力を低下させた原因は親の手抜きばかりではないということです。教育力は家庭だけに備わっているものではなく,学校も地域もその一端を担っています。ということは,教育力の低下は学校や地域にも無開係とは言えません。

 (2) 家庭を支えるもの
 子どもの教育的環境は,家庭・学校・地域という三者です。この三者がそれぞれの持ち味は発揮しなければなりませんが,その持ち味が曖昧になってはいないでしょうか。連携が言われながら,その内実が具体化出来ていないようです。ここで三者の持ち味をジャンケンに喩えて考えて見ましょう。

(家庭・学校・地域のジャンケン開係)
   知識獲得(教育):知,真:学校>家庭 →頭の育ち
   経験体得(実践):意,善:地域>学校 →手足(行動)の育ち
   情操会得(躾) :情,美:家庭>地域 →心の育ち

 学校がパア,家庭がグー,地域がチョキに相当します。〔知識〕は家庭では教えきれないので,専門家による学校教育に委ねます。所が知識を知っているだけでは十分ではありません。例えば,万引きがしてはいけないことであるという知識は,万引きをする人も知っています。人目を憚って万引きをすることからも明らかです。知っていても悪いことをしてしまう弱さが人にはあります。
 小さな過ちを生活の中できちんと正され,その体験が身についていくように実践的な教育の場が〔地域〕です。物事の善し悪しは地域が示すことです。
 一方で,人としての心・情操の成長は,親子のような親密な関係がなければ困難です。この面での教育環境は家庭が最も相応しいものです。

 家庭・学校・地域と言うときには,それぞれが持っている特徴を十分に発揮することが第一の要件です。連携とはそれぞれが自立していてこそ可能なのです。それぞれがバランスを保っていることが連携の姿です。
 もし地域が弱ければ,家庭も学校もゆがみを持って来ます。地域が抜けてしまったら,常に学校が家庭より優位に立ち学力偏重の傾向が進行して行きます。逆は必ずしも真ではありませんが,少なくとも学力偏重の傾向にブレーキをかけられるのは地域の活性化であると言うことが出来ます。

 学校が荒れることがあります。それは子どもの地域での生活が気ままにしたいほうだいであるからです。実生活が歯止めを失っているために,自制が働いていません。校則で髪の毛,スカート丈等が細かに規定され,子どもは息苦しくなっています。普通の目で見ればほとんどイチャモンに近いように思えます。学校はもっと他にすることがあるはずです。ただこういう状況になったのは,一人学校のせいではありません。地域の教育力の低下がもたらしたものと言えます。

 地域が空中分解をしてしまって,家庭が孤立化しています。孤立化したらどうなるのでしょうか。なんとなく孤立化は望ましくないという気はしますが,気持以上の理由が見当たらないのではないでしょうか。
 調査(福岡県社会教育総合センター)によりますと,「親の子育ての自信」が年毎に低下しています。この自信の低下はなぜなのでしょう。その理由は社会の動きなのかもしれません。この傾向には逆らえないのでしょうか。
 子育ての自信と地域での居住年数との関係にその解決の糸口が見出せます。

近隣関係のグラフです

 すなわち,地域での居住年数が増えるにつれて,子育ての自信があるという割合は減少し35%までに落ちこみます。所が5年を経過すると自信が回復します。この5年という期間は地域生活が完成するのに必要な期間なのです。新しい地域に慣れないと自信が失われて行き,地域に住み慣れると自信が出て来るということです。
 考えて見ますと,子育ての自信という親の心の中のことが地域生活の影響を受けるという結果は意外なことかもしれません。家庭は地域と根っこの所でしっかりとつながっています。孤立化した家庭と新しい居住地に住み込んだ家庭とを同じと見なせば,孤立したままでいることがどのように親に跳ね返って来るかは明らかでしょう。

 このように見て来ますと,家庭や学校の教育力の低下はむしろ地域の弱体化が原因であると言えます。もちろん,地域は家庭や学校を支えているばかりではありません。地域独自の教育力を持っています。先に示しましたように,子どもにとってはさまざまな体験学習をする場です。その体験を与えるものは親ではありません。昔の子育ては乳母や子守といった他人が担っていたことを思い出せば,特にしつけの面では,今と同じように昔も家庭の教育力はあまり期待されていなかったようです。子育てというものは親がするものではなく,親OBがするものなのかもしれません。

 大分県に「宇目の唄げんか」という民謡があります。子守奉公の女の子たちがお互いに相手の赤ん坊の悪口を言い合う唄です。

  <あん子 面見よ 目は猿まなこ 口はわにロ えんま顔
   お前 面見よ ぼたもち顔で キナ粉つけたら なおよかろ>
  <いらん世話やく 他人の外道 やいちよければ 親がやく
   いらん世話でも 時々やかにや 親のやかれん 世話がある>

 親のやかれん世話,それが地域の人がやく世話です。地域がやく世話とはどのようなものでしょうか? 子どもたちの問題行動のほとんどは,社会性の欠如と見ることができます。その社会性を育てる責任を負うのが地域です。普通には,学校での集団生活が社会性を育てると思われているようですが,学校の同世代集団では社会性の育ちは十分ではありません。社会性とは,異世代をはじめ,自分と違った人とどのように付き合っていくかということだからです。そんな人たちが身近にいるのは地域なのです。
 もちろん昔と同じ地域の復活は不可能ですし適当でもありません。新しい地域づくりを早急に進める必要があります。それでは「地域」とはどのようなものなのでしょうか。

 (3) 地域の基本要素
 地域というまとまりが壊れて来た要因として,社会の分業化の要請から人が「◆◆する人」という専門家になり,お互いに切り離されてしまったことが挙げられます。人が地域の外の世界とだけつながりを持つようになり,家庭の居間にまで外の情報が溢れ込んで来ています。このような地域をまとめ直すにはどうしたら良いのでしょうか。地域のまとまりというものの内容を明らかにしなければ手が打てません。

 地域の内容を考えるための一つの材料として,昔の村の付き合いというものをおさらいしてみましょう。村の付き合いとして
  火事,水害/病気,族立ち,普請/誕生,成人,結塘,葬式,法事
がありました。この中から,葬式と火事を残した後のすべての付き合いを断つことが「村八分!」です。完全に付き合いが断たれるのではないことに気を付けて下さい。今,地域は村何分と言えるでしょうか? この村の付き合いを分解して地域が備えている機能と言えるものを取り出してみますと

(地域の三機能)
   地域性:人が知り合いである     : つながり,まとまり
   共同性:暮らしの中に助けあいがある : みんなの生活
   継続性:世代を越えて学びあいをする : 伝統,けじめ,交代

となります。この三つの機能が備わることで地域はまとまり,地域としての存在感が出て来ます。

 この三つの機能についてさらに詳しく考察する前に,地域のまとまりの基本要素である人間関係が完成するのに必要な居住年数について
    〇3年目の壁:近隣関係の安定化
    〇5年目の壁:地域関係の安定化
    〇10年目の壁:地域生活の安定化
という調査結果がありますので紹介しておきましょう。

※グラフ中の年数は,「1年=1年未満,3年=3年未満,・・・,10年=10年未満,以上=10年以上」と読んでください。

近隣関係のグラフです

 向こう三軒両隣の数である5軒以上のつきあいは,3年を過ぎて急増しています。近隣関係には3年という期間が必要だということを示しています。

世話役の経験のグラフです

 地域での世話役をしたことがないのは5年未満で多く,5年を過ぎると2回,3回と引き受けています。地域にしっかりと根付くのは5年の期間が必要であることが見て取れます。

地域が役立つと思うグラフです

 地域の行事が子育てに役立つと認めるのは,10年以上の居住期間が必要であると思われます。地域生活にすっかりと馴染まなければ地域のよさに気付かないのでしょうか。