*****《地域の教育力》*****

【3.共同性:フイードバック化?】


 地域づくりとは,どのように創るのでしょうか? 人が住める地域にすることであり,人が助け合うことが共同性の基本形となります。

(1) 目標:助けあいを定着
 ○生涯学習社会
 社会の進展と共にたくさんのことを学ばねばならなくなりました。知識は常に価値の償却を被るようになりました。そういったことを漠然と感じとり,社会は生涯学習という特徴を表立たせて来ました。カルチャーブーム,文化・芸術行事,ワープロ等の機器講習が盛んです。一方では価値観の多様化という風潮も沸き上がっています。個性化もその一つの現れでしょう。
 社会という面で言えば,地域の活性化も同じ流れの上にあります。このような背景の中で学習の目はどこを向いているのでしょうか。地域の歴史,地域の産業,地域の未来という言葉が目に触れるようになって来ました。これらの指針に内実を込めていくには,地域に住む人が地域という場を自分のものにしなければなりません。人の力が互いに結び合っているような地域を産み出せる学習が望まれます。学習活動を個人の向上に限定して捉える限り,道は遠のくでしょう。学習とは自分を高めることによって周りに良い影響を波及させてこそ,その意義があります。

 ○地域内の活動
 地域内で行なわれる行事の企画・運営,あるいは地域環境の整備等について,自分は逃げて人に押しつけたり,あるいは行政・業者任せにしようとこじつけたりすることはないでしょうか。必要に迫られると「どうして私が?」と閉じこもろうとしたり,誰かが引き受けると「あの人好きね!」と足を引っ張ろうとすることがあります。大人への成長が停止しています。なんとか地域を動かすことによって,人間関係の持つ意味を学んでいけるようにしなければなりません。地域へのかかわりは小さなことの積み重ねですから,ちょっとだけ皆で手を合わせれば済んでしまうことがほとんどです。ですから,少しのことでよいように地域での活動を細かく分けて,多くの人が気楽に手を出せるようにアレンジすることが必要です。
 例えば,組織の運営にしても普段から何をどうすれば良いのかをガラス張りにしておくことです。そうなったときに醸し出される気楽さが,地域を支えることになります。地域の住みやすさ・安心さは人におんぶしていては得られません。人から押しつけられるものでもありません。さらに一人ひとりの力は弱くても,多くの人の力が合わせられると,とても強いものになります。
 地域における活動はいろんな側面から,大人として学ぶべきことを教えてくれます。「しなければ」と思うよりも「したい」と思える方がずっと自由です。何もしない自由より,何でもする自由の方が豊かな自由です。例えば,作業しないと罰金という仕組みは窮屈であり,地域が敬遠されます。作業すれば報償という仕組みであればしてみようと気楽に参加することができます。地域が苦にならなくなります。そんな甘いことを言っていたら誰も作業なんかしない,それは地域の人を信頼していないことになります。


(2) 対策:学習機会と参加行動:「口より手を出せ」
 ○地域からの世話
 地域からは何の世話にもなっていないと,なんとなくそう思ってはいないでしょうか?これでは地域は他人事として荒廃して行くばかりです。「地域のお蔭」を学ぶことから始めなければなりません。
 例えばゴミの収集・処理がどれほど大変な手間と費用を掛けて行なわれているのか,また子どもにどれほどお金がかかっているのか,自分の周りにあるあらゆることを正確に理解する必要があります。地域社会の維持にどれほどの手間と費用が投入されているか,もっとアピールしなければ地域はいよいよ見えなくなっていきます。税金を払っているという理由を大層に持ち出す人がいますが,皆税金を払っていますし,地域に投入される税金は個人の税金よりもはるかに巨額なものです。
 地域の活性化と言いながら地域のことを知らない自分が恥ずかしいと感じる謙虚さが,本当は必要なのかも知れません。

 ○人にはそれぞれ持ち味・得意なこと
 地域に住む人はそれぞれ多様な力を備えています。その力を有効に発揮できるように,地域をシステムとして整備しなければなりません。一様に集めて割り振ったり,強制的に順番制にしたりというやり方にいつまでも頼っていては,地域のつながりはいつになっても完成しません。
 人が持っている力に相応しい場を用意し,その集合体が地域になるように綿密な設計図を描く時期に来ています。地域の活動への参加しやすさということはただ単に気楽な気持でということなどではなくて,参加して自分に出来るような役割・仕事があるということです。しなければ!,するべき!という押しつけは参加する意欲に水を差すことになり長続きしません。
 出来ることを「ちょっとだけ」という参加者側の気持に添うような気配りが求められています。そうすれば参加者の気持ちの中にある「ワザワザ!」感を越えさせることが可能になります。「それくらいのことなら!」と思わせることが出来たら,地域活動は成功します。地域の人々の持ち味を見分けることが難しいと思えるかもしれませんが,地域の人のつながりがあれば自然に落ち着いていくはずです。


(3) 効果:与える恩恵
 ○個人が少し得をして,皆が少し得を
 地域としての活動は基本的には,個人的に少し得をして皆が少し得をするものです。例えば鹿品回収は家庭にとってはロール紙数個分を損をしますが地域全体では結構な額の資金が得られます。献血は健康チェックになりますが,同時に献血率が高い地域では非行者率が低いという相関が現れてきます。地域の教育力とはこのような間接的な効果という形で発揮され,殊更に教育的な色合いを持たないことに注意をしなければなりません。

 ○自分で作る地域
 家庭の外の地域にちょっと手を掛けていけば,地域を大事にするようになります。自分を閉じ込め人任せにするから,家庭の外のことを構わなくなります。緑,花,川といった自然環境が豊かになれば,その住み良さが人を和ませてくれます。現実的な側面を考えると,地域の住み良さは人を引き付け,より豊かにより便利に,そして不動産価値を高めてくれます。

 〇突っ張り生徒の参観日
 ある中学校に突っ張り生徒がおりました。ある参観日のことです。教室に親が入って来ました。その生徒の親は来ていません。肩をそぴやかしているその生徒を見て,お母さんたちは「嫌ね,あんな子がいるから」とひそひそ囁き合っています。そのとき一人のお母さんがその生徒の傍に近寄つて行き,「ちゃんとせんね!」と言いながら背中をポーンと叩きました。皆は一瞬はっとしました。その生徒がどんな行動を起こすか,皆が固唾を飲んで見守る中で,その生徒は罰の悪そうな顔をしながら態度を平常に戻しました。ひそひそ陰口を言うお母さんと背中を叩くお母さんと,どちらがお母さんと言えるでしょうか。幼い頃から知っている近所の小母さんに背中を叩かれて,突っ張らざるを得ない切ない気持が小母さんの手の平に吸い取られて,その生徒はほっとしたのでしょう。我が子もよその子も変わらない気持の豊かさが,「親」というものではないでしょうか。我が子のことしか頭にない気持の狭さが,子どもの世界を狭くしていきます。地域は子どもにとって親の温もりが漂うものであるぺきでしょう。

 ○交通安全
 自転車の灯火やシートベルトの着用は面倒なものです。自分の都合で守らない人は傍迷惑です。自分を守ることに無頓着な人は人の生命にも無頓着だと思われるからです。自分を大切にすることの意味を弁えないことは恥ずかしいことという大人の分別が望まれます。

 ■事業の考え方
 人は誰でも損をしたくはありません。ですから,「◆◆しなければ」という強制を持ち出さなければならないと思ってしまいます。しかしもう少しだけ考えて見れば,社会は決して人が損をしないようになっていることが分かるはずです。例えば税金も損をしているように思われますが,実は税金以上の見返りを得ていることに気づいていないだけです。本当の損得勘定は「Give and Take」であり,決して「Take and Give」ではありません。与える(損)ことが先なのです。昔から「損して得取れ」と言われます。今は,取ることばかりで,取ってからおすそわけしようという,やらずぶったくりが横行してはいないでしょうか。地域のためにすることは手出し以上の見返りを得ることになるはずです。
 豊かさをモノの豊かさと考えるのは,テイクの豊かさです。心の豊かさとはギブの豊かさです。モノの豊かさから心の豊かさというスローガンはテイクからギブへの復帰に過ぎません。
 言葉が行動を誘います。テイクのアリガトウよりギブのドウゾが先であることを実践できるとき,地域の活力は蘇るはずです。