【4.縦続性:フロー・ストック化?】
地域づくりとは,どんな地域を創るのでしょうか? 世代交流のある地域にすることであり,人が学び合うことが継続性の基本形となります。
(1) 目標:学び合いの実践
○長寿化社会
長寿であるということは世代の共生が定常化するということです。したがって,世の中に男女の別の他に新と旧の別が登場することになります。平均年齢が50歳代のときには,子どもが成人すると親はすべてを譲り渡して隠居することが出来ましたが,これからは拒否しなければ自分の第二の人生が営めません。つまり親のものは親のものというわけです。子どもと仲良くやっていく必要があります。
所が,旧世代は新世代のことをどれほど知っているでしょうか。お互いに揚げ足を取って見たり非難したりすることが多いようです。ある新開のコラムによりますと,新人類の特徴は
〈@感性で考える A遊び心 Bライト感覚 C自己中心的〉
となっています。ただ若者は時代の息をしているだけであり,そのような時代にしたのは取りも直さず旧世代の人であることを忘れてはいけません。新人類と驚いてばかりはいられません。新と旧との世代間の交流を深めなければ,断絶ばかりが残って折り合いを付けることが出来なくなります。第二の人生を他人事と考えて,誰かがどうにかしてくれるとタカを括っているとひどい目に合うことになるでしょう。今,世代のつながりを付けておかないと,ボタンの掛け違いは直しようがなくなります。
○地域内の生活
地域内の人間関係を見ると,世代別すなわち,子ども,青年,婦人,成人,老人といった間だけに限定されています。家族ぐるみの交流がありません。隣のおじさん,お向かいのおばあちゃんが家の外に出て,子どもたちと言葉を交わし笑いを共有していけば,地域が蘇って来ます。外で何かしていると,「おじちゃん,何してるの?」と子どもは声を掛けて来ます。色んな話がそこから始まり,子どもはたくさんのことを学びます。
世代間のつながりは学びの道であり,生きる知恵が行き交うシルクロードのようなものです。例えば,異世代間の会話は豊かな言葉を身につける機会になります。言葉遣いや礼儀はさまざまな年代の人と一緒に暮らす中で自然に身につくものです。地域という共同体でしか学べないことに気がつくべきです。
(2) 対策:受け渡しと地域の統合化:「口は一つ,耳は二つ」
○地域内にある組織が横組織
人のつながりと同じように地域の組織は,世代毎に分断され縦社会が組み上がっていません。これでは世代間の学び合いの機会が絶滅します。地域のためにある組織が地域の学習に壁になるというのは自己矛盾です。組織間の重なりを促進し,交流を深め,共催を取り入れて行くべきでしょう。そのことが組織を豊かにする方策です。
世代を横断する組織はまとまりが良くて和やかですが,一方で飽きられてマンネリ化するという副作用を持っています。同世代で分かりが早いという特徴が,異質性を持ち込めないという新鮮さの欠如を招いてしまうからです。メリットはデメリットになるのです。横割りの組織に縦のつながりを持ち込めば,自然に異質なものが取り込めます。地域の組織が背骨を持てば,活性化できます。「世代」というものを通じて学び合うことを,組織活動の目標に積極的に位置付けた企画が望まれます。
○伝統行事:お祭り,季節の行事
地域での伝統行事などに子どもを引き出し大人を巻き込んでいけば,ごく自然に世代の交流が出来ます。子どもは地域の接着剤の働きをします。新世代への伝承は旧世代と共通なものを持ち合うことになり,世代のギャップを埋めることになります。季節が巡つてくる道標になる行事は,生活の一里塚になり,人生のリズムを刻んでくれます。親も昔は同じように参加したということが,親と子のつながりを具体的に感じ取らせます。子どもにとっては親の後についていく成長の節目になり,通過儀礼として自己確認をすることが光来ます。世代のつながりを介して受け渡されるものがあることを学ぶのは,地域行事の他にはありません。
〇遊びの共有化
地域は生活の場ですが,また余暇の場でもあります。余暇はお出かけすることだけではありません。例えば老人のゲートボール遊びを子どもと一緒に楽しむことも出来ます。勝負だけのゲートボールでは地域の施設を使う資格はありません。子どもをコートに入れるとコートが荒れるという声も聞こえて来そうですが,子どももゲームを楽しめばコートを大事にするようになるかもしれません。たとえそうならなくても,子どもを信じていくことが地域で生活する上で大切なことではないでしょうか。老人はゲートボール,大人はゴルフ,子どもはファミコンと,遊びにも世代の断絶があります。お互いに閉じこもらないように,世代間の垣根を取り払う努力が望まれます。
○世代の役割
人の一生を考えてみますと,20代は育ち,30代は育て,40代は支え,60代は教えの時代と言うことが出来ます。熟年世代は自分のもっているものを受け渡して行く世代です。人生にとって大切な,そして受け渡してもなくならないもの,生き方,美しさ,優しさ,温かさ等の手本となって,若い世代に示す役目を果たすぺきです。年齢を重ねることが「素晴らしきこと」という認識を産み出さないと,若い世代に芽生えて来た年を取ることが惨めなことという風潮が助長され,人生がお先真っ暗になって行きかねません。
お年寄りが地域にもたらすものは「伝統」という文化のストック,若者が地域に持ち込んでくるものは「改革」という文明のフローです。別の言い方をすれば,文化は高齢者から,文明は若者から学ぶという構図が想定されます。お互いがお互いのためにできることがあるのです。自分を発揮する機会がある,それは会社にはなく地域にあります。文化と文明が暮らしの中で馴染んでいてこそ生きている地域と言えます。地域に生命を吹き込むのは世代の交流です。世代の交流が途絶えたとき,文化は衰退し,生き方が貧しくなり,地域は住む場所として不適格となって寂れていきます。
■事業の進め方
地域での事業を進める場合に,そんなことをしても意味がないのでは?という声が挙がることがあります。例えば,あいさつ運動などを進めようとすると,冷ややかな態度で応えられます。人の考察はすべて見通せるほど完全なものではありません。判らないから否定するというのは,人智に対する傲りになります。
判らないからやってみるという謙虚さがなければなりません。しかし,とにかくやってみようということでは形にならないので,意味付けの方便が必要になります。その方法は「目的」と「目標」を使い分けることです。目的は理想でありやりたいこと,目標は実践であり出来ることです。矢で的を射ようとするとき,狙いは的を外すはずです。狙いが上手くいったら矢は的に当たりますが,当たらないこともあります。その時は狙い(目標)を修正することができます。当たるか当たらないか判らないからといって第一の矢を射ることを止めたのでは,決して的を射ることは出来ません、,修正を重ねることで事業を完成させるという知恵と余裕が求められています。人は失敗することから学びます。
あいさつについて見てみると,
目標 目的
対等な人間関係の表明 知り合う
お互いを励ます気持ちの実践 助け合う
大人から子どもへ礼儀のしつけ 学び合う
といった構造が浮かび上がります。
(3) 効果:残す恩恵
○定年退職
会社を定年退職し地域に戻っても,することもなく余生を楽しむばかりでは生きている甲斐がありません。生活がないために何も変わりません。生活とは何かを産み出す営みですから,日々の充実感を持てます。地域を生活の場にするには地域とのつながりを持たねばなりません。配偶者を亡くしたお年寄りが生きる望みを失ったとき,「周りの人のために出来ることをしてみたら」と言われて,生きる張りが出て来たという話があります。
家族だけではなく周りの人にも自分とのつながりをつけていくことで,生活の場は広く豊かになります。そういう生活の仕方があるということを実践してみせるのが,熟年世代の生き甲斐になってほしいと思います。
ある調査では,配偶者を亡くした人の生存率は,人とのつながりのある人の方がない人に比べて4倍も高くなっています。自分が地域に必要とされているという思いが人を生かしてくれます。
○マイ・フェア・レディ現象
若い女性がマナーや教養を含めた精神的豊かさを求めるようになってきました。シャネル,ヴィトンを求めてきたニューリッチ現象は教養が伴わないアンバランスであることに気づいたのでしょう。教養の同義語となつているカルチャーの意味を訊ねると,土を耕し,物を育てるということです。それはもともと泥臭い,地に足がついたもの,日常生活に根差したものなのです。決して取り澄まして洗練され,日常性を越えたもの,生活から遊離したものではありません。
いわゆる教養とは,地域生活の中で世代から世代に受け縦がれてきた生活の真髄と言えるものです。例えば生活を動かしていく「言葉」があります。生きている綺麗な言葉を身につけることだけでも十分な教養であるはずです。金さえ出せば外見的には豊かに見えますが,話したときの教養の程度は隠しようがありません。昔から言われている「お里が知れる!」という言葉があります。お里である地域を良きものに出来るのは世代のつながりです。
○子どもと老人
社会には子どもと老人を足手まといと考え,出来る限り取り除いてしまおうというムードがあるようです。シルバーシートは果たして本当にいたわりになっているのでしょうか。かえって他所の場所に座りにくい状況を作り出してはいないでしょうか。子どもは芝生から追い出されて,公園は見た目の綺麗さだけの存在になりさがっています。子どもと公園とどっちが大事なのでしょうか。他者の痛みに思い至らず,自分の周りが綺麗であれば良しとするのは大人のエゴイズムでしょう。せめて,地域は子どもと老人が生き生きと気がねすることなく生きられる世界にしたいものです。そういう点では,地域は一般社会(世間)に対する緩衝地帯でもあるのです。全くの他人ではない人が住む地域,そう思ったときつながりが芽生え,人は安心して住みつくことが出来ます。
○子どもはせっかち
子どもは成長という積み重ねをジャンプしようとしたがります。夢の世界では思った通りのことが出来ます。それは構わないのですが,最近頭で考えることだけが得意になって,「こうすればこうなる」という理屈が上手になりました。そのため積み重ねとか努力とか,身体で完成させるという面,つまり行動を伴わなくなって来ました。一方で,大人のようには出来ないというギャップが現実には存在するために諦めや焦りに捕らわれることもあります。「ダッテ!」という開き直り,「ドウセ!」という投げやりな言葉が子どもの口から出て来ます。大人になるのはちょっと待ってというモラトリアム,人のせいにするくれない族などの特徴が指摘されます。親や大人とは20年の歳月でつながっているという事実が見えなくなつています。大人になるまでにはたくさんの修業が必要なこと,それは日々を精一杯生きること,そしてやがて必ず大人になれる日が来るということ,そういう長い時間を掛けた人生を見つめる横会がありません。地域に住んでいる各世代につながりがあれば,そこに自分の一生を垣間見ることが出来ます。そのとき人は子どもも含めて,自分の今の位置を確認し,今何をすれば良いのかが判ってきます。地域生活は自分の一生を見つめるための大切な教科書と言っても良いでしょう。
○受け皿としての地域
子どもの育ちにとって地域はどのように対応すればいいのでしょうか? 自立を促すには先ず子どもが「自分を出すこと」,それを「受け止めてやる」のが地域の人です。地域の怖いおじさんも必要だが,話せるおじさんの存在がもっと大事です。