|
【第6章 あなたのお子さんは,分かりあえていますか?】
《中学生になると》
ものごとを考える発達は,具体的で断片的な事柄について考えることから,抽象的で論理的にものごとを考えるようになります。客観的にものごとが見えるので,他人への深い理解も可能になります。このような思考や推論においては,言語の力が大いに預かっています。
中学生のものの見方が冷たいとか容赦がないと言われたり,親から見ると青臭い理屈を振り回すように見えたりすることがあります。中学生なりに見かけや評判によらず,本質を鋭くとらえようとしているのであって,望ましい発達の姿です。それは未熟ではあっても思考の訓練をしているのであり,自分さえ相対的に見据えようとすることが冷たいという印象を与えてしまいます。
中学生の目は世の中の矛盾に向けられるだけではなく,自分自身のあり方そのものが抱えている不合理さ,例えば本音と建前の二重構造も敏感に感じ取ることもできます。社会や学校や家庭という大きなものを前にしては,中学生の素直な筋は通せず要らぬ苦労をすることもあり,ときには反抗や怒りや悲しみという形で表現されます。この子どもからの反抗に対しては容赦のない拒絶や問い詰めは好ましくありません。
校則にふれる服装がお気に入りなことがあるでしょう。本音と建前が衝突し,親は建前側に立ち,それが中学生を本音側に固執させます。中学生は眼前にいる親を鏡として,自分と向き合うことを願っているところがあります。子どもが建前に怒りをぶつけるとき親が一緒に怒れば,やがて子どもは怒りを静められ建前の意味を冷静に考えられるようになります。自分の怒る姿が親という鏡に映し出されて,自分を見つめ直す目を持てるからです。共感することの効用です。
親子の間で言葉がかみ合わず,気持ちが通わないと思うこともあるでしょう。気持ちを表現するにはたくさんの言葉が必要です。一言ですべてを表すことは不可能です。「何と言ったら良いのか」と思いながら,あえて言葉にすればこういうことかなと妥協しながら話をしています。お互いの言葉には気持ちが半分しか表せていないのが常であると思っておくべきです。捨てぜりふなどは思ってもいないことを口に出して後で後悔するものです。分かり合うためには言葉だけに頼るわけにはいきません。優しさやいとおしさは言葉より表情,口調,態度などで伝わることが多いようです。お互いを受け入れようとする態度が基本でしょう。
分かり合えることとは,言葉の豊かさに全身による表現を重ねて共感するということです。
《調査結果から》
悩みは人を閉じ込めてしまいます。出口は誰かに相談するときに開きます。中学生が困ったことや悩みを相談する相手は約6割が友人であり,母親には2割弱です。また誰にも相談しないものも約1割います。学年別に見ると,学年が進むにつれて母親が減り友人が増えています。特に女子は母親より友人に相談するようです。親はどうしても解決を急いだり,対応を強いたり,あるいは仕方ないとサジを投げたりといった返事をしがちです。ところが友人は一緒に悩んでくれます。中学生はどうすればよいのか分かっていますが,それが簡単ではないから悩んでいます。その辛さを分かってほしいのです。相談の第一歩は自分の悩む気持ちを分かってくれることと考えれば,友人に相談する中学生の気持ちも分かります。
中学生が親を思い浮かべるときの親の表情は,優しい顔が最も多く父親で26%,母親で29%です。笑顔は父親が19%,母親が25%です。優しく笑顔の親は半数しかいません。笑顔は人を受け入れるサインです。親が疲れた顔をしていては,子どもは気持ちを打ち明けることはできません。ところで親の表情が分からないという中学生が父親で21%,母親で16%います。表情が分からないというのは関わりがないことの極みであって,中学生の方から分かり合うことを断念しているものと思われます。それに比べれば親の顔を怒った顔とか疲れた顔と見ている中学生はまだ親のほうを向いて,期待を失っていないことが分かります。何も語り合わなくとも親の優しい顔が見えていれば,それだけで子どもは安心できます。
子どもの気持ちが分からないで戸惑う親は,父親が38%,母親が39%で,10年前に比べて変わらず,少なくありません。ただ子どものすべてを分かろうとすることは無理なことです。親が無理に分かろうとするとそれは子どもを親の世界に閉じ込めることにつながります。親子にはそれぞれの違った時代が背後に張り付いているので,親が分からない世界もあって,子どもはそこから将来に向けて自立していけるのです。
また子どもを殴りたいと思うことがある親は約40%で,10年前に比べてかなり減っています。このことは親が子どもの気持ちを受け入れる傾向を示しているように見えます。ところで親が甘いという中学生が10年前より同じ程度増えていることと重ねて考えると,子どもからは親子が分かり合えているという声が聞こえてきません。親が子どもにうまくごまかされているという状況が浮き上がってきます。親子の間がクールになったと言えばよいのかもしれませんが,クールになり過ぎているという危惧が残ります。
子どもは子どもと放り出さずに,見守ることはまだまだ中学生には必要です。
《親子関係の中で》
親は子どもがおそらくこういう気持ちであろうと勝手に思い込み,子どもの気持ちが分かっていると信じ過ぎている所はないでしょうか。そんなとき子どもから「うるさいな」とか「分かっているよ」と返されると,「あなたのためを思って言っているのに」といらだちをおぼえます。分かっているなら黙って見守ればよいのに,つい余計な一言が出るのは親の弱さです。
子どもが中学生になると,ものの考え方や感じ方は,親が思う以上に大きく成長しています。親子の対話が滞ると,親は子ども扱いから抜け出せません。中学生との間に食い違いが現れ,度重なると不信につながりかねません。
ところで家庭での会話で留意することは,言葉を文章的にきちんと話すことです。「おやつ」とか「ごはん」といった単語だけの会話で用を済ませていると,思いは伝わりません。会話の最低のルールは「私があなたに何を言う」という形式を壊さないことです。子どもを「ごはんですよ」と呼ぶのではなく,「おなかが空いたでしょう,さあごはんを食べましょう」と,子どもの思いを分かっていることを伝え,自分と一緒に食べようと誘い込むことが会話です。ごはんですよという単語は,作ってあげたから食べなさいと突き放した言い方になります。さりげない日常の会話を温かくせずに,親子の会話がうまくいくはずがありません。特に母親は子どもに美しい日本語と暖かい会話の仕方を教える先生なのです。
他人の話に素直に耳を貸さないことが,中学生によく見受けられます。競争が生み出す孤立感とか疎外感が漂う状況の中で,親は独りで何でもできることを子どもに求めています。人の中で暮らしながら,お互いを置き去りにしよう,自分だけが前進しようとすれば,他人との関係は利用するだけの「自分勝手」あるいは,自分は頑張っているのにそうしないものは駄目な者と切り捨てる「いじめ」が生み出されても不思議はありません。
自立という概念を中学生に対してはきちんと完成した形で教える必要があります。自分のことは自分でするということが自立ではないということです。幼いころは親の巣の中で甘えることが生きることですが,甘えを消して自分のことは自分でできるようになることが育ちです。自立を完成するにはさらに,人と共に生きるために自分にできることをすることが必要です。自分のためにしか行動できないうちは,まだ自立しているとは言わないということです。
家庭で子どもを勉強さえしていればよいと生活から隔離すると,中学生は家族のためにさえ手を貸さなくなり,手伝いさえもなぜしなくてはならないのかと言い出します。最も大切な人である親や家族のためにできることをしようとしないのであれば,とても自立は望めません。親や家族の喜びのために役に立ってあげようという気持ちが,お互いを生かすために分かり合う意欲を生み出してくれるはずです。
|
|
|