***** 《中学生を持つ親のための12章》 *****

【第9章 あなたのお子さんは,辛抱ができていますか?】

《中学生になると》

 親とは違う自分を意識し始め,自立へ向かった育ちが親離れを推し進めます。小学生のころは親に保護されていると感じていた子どもも,中学生になると親に縛られていると思うようになります。自立するには親を越えなければなりませんし,保護してくれる親という殻を破って飛び出そうとするのが育ちの自然な姿です。
 保護された世界を突き抜けて自由に自己主張をするとき,さらにその外にはめられている現実世界という枠に突き当たります。例えば自己主張がわがままや自分勝手な行動に陥らないように,自分でセーブできる力を身につけなければなりません。それが我慢する力であり辛抱する力です。物事には順序や段取りがあり,それに沿ってこつこつと成し遂げていくためには辛抱しなければなりません。また物事には相応しい時期というものがあり,そのときまでは我慢しなければなりません。すなわち,今してすぐこうなるという単純さから脱皮して,今しておくと後でこうなるという時間を意識した考え方を持つことが大切です。インスタントな生活に育ち,刹那的な感覚が強い今の中学生には,待つという時間には抵抗があるかもしれません。
 スポーツでも勉強でも遊びでも,最初は練習すれば目に見えて上達します。ところがある段階に達すると壁のようなものに突き当たります。そこでじっと足踏みをしながら辛抱できるかどうかが上達の分岐点になります。中学生がこうしたい,こうありたい,あるいはこうなりたいと願っても,実現までにはいくつかのステップがあります。親の邪魔であったり,身に余るものであったり,自分の失敗であったり,さまざまなハードルがあります。そんなとき,どうせ自分にはできない,だって条件が悪いと言って逃げたくなります。もちろん無理なことは何かを見極めてあっさりあきらめるほうが賢明ですが,一方で今自分にできることが何かを見定める必要があります。その作業をすることが辛抱しているときにすべきことです。
 辛抱とは,次への飛躍の助走のことです。

《調査結果から》

 中学生は自分がどれくらい我慢強いと思っているのでしょうか。中学生の85%は我慢していると思っており,高い評価をしています。ところが親から見るとそうでもないようです。父親の68%,母親の72%が子どもの我慢していることを認めていますが,中学生とのずれが顕著です。中学生は結構我慢しているつもりですが,親から見れば我慢が足りないようです。中学生の我慢していることが生活上のことであるのに対して,親が期待している我慢すべきことは学習上のことであるといった,視点の違いがあるのでしょう。
 なにごとに対してもやる気があれば,意欲的で活気に溢れ,前向きな生活態度を取ることができます。では中学生は勉強に対してやる気を持っているのでしょうか。「やる気がある」と答えた中学生は7割です。学年別では2年生が他の学年に比べて14ポイントも少なくなっています。1年生では中学生になったという新鮮なやる気が発揮され,2年生では慣れによる惰性に流され,3年生ではみんなが取り組んでいるというムードがやる気を支えているようです。
 明日の朝起きるのが楽しみと答えた中学生は,ちょうど50%しかいません。明日の朝が楽しみということは幸せの条件です。女子の方が男子よりも12ポイントだけ多くなっていますが,女子が毎日を精一杯生きていることを表しているのかもしれません。学年が進むにつれて楽しみであるという割合が減りますが,高校入試という壁が明日という扉の向こうに見え隠れして来るためでしょう。壁だけを見つめるのではなく,壁の向こうに楽しい夢を見れば,気持ちの負担は軽くなります。中学生を追い詰めないように,気持ちを楽にする気配りをしてやるのが親の務めでしょう。
 中学生の学習成績に最も影響する要因として,7割近くの親が「本人の努力」を選んでいます。特に母親が男子に対してそう思っています。努力をするというのは孤独な辛抱のいる行為です。自分で自分を励ますことは中学生には無理かもしれません。自分が努力していることを分かって貰いたいという慰めを親に求めることがあります。「頑張ってるね」という親の言葉が努力を支えることがあります。結果だけを冷ややかに見るのではなく,努力を応援する優しさが,学習成績に最も影響する親の態度です。

《親子関係の中で》

 子どもに辛抱することを教えるためには,まず親が子育てに辛抱することが必要であるようです。中学生が自分で考え自分の力を見極め,できることをしようとしているとき,先を急ぐ親が先回りをすることが多く見られます。家の手伝いよりも勉強を,遅刻しないように起こす,不満が溜まらないようにモノを与え過ぎるなど,子どものためを思ってしているつもりでも,子どもが経験しなければならない挫折や失敗や不満を排除しています。子どもが辛抱している姿を見るのは,親には辛いことかもしれません。そこをじっと辛抱するのが親の役目です。
 中学生の情報世界は大人のものと大部分重なってきます。いろんな生活のパターンが目につき,特に気ままでカッコよく見えることを自分もしたいと思います。自己主張するにはモデルが必要だからです。しかし頭で考えることがそのまま可能ではありません。今の自分の能力や立場という現実が立ちはだかります。そのときに自分というものを改めて見つめることができます。自分で気が付かないときは,親が駄目と言い渡す場合もあります。子どもは我慢するか諦めるかを選ばなければなりません。ここで我慢と諦めの違いをはっきりさせておきましょう。我慢には可能性が残されています。例えば「後で」という言葉を使って我慢させようとするのは,待てば適うということです。一方で諦めとは後の可能性が全くないということです。行き止まりということです。ですから諦めることより我慢することのほうが楽です。可能性に向かって努力する道があります。子どもが可能性を見つける力を身につけるために,親には小さな我慢を子どもに与えることが求められます。
 子どもの世界には子どもの悩みがあります。自己主張をすることの裏には,自分の存在を失いたくないという切実な思いがあります。いじめられても親には打ち明けない理由の一つに,いじめられる自分を知られたら自分が無くなるという恐れがあります。弱い自分を隠し通すことで自分を辛うじて支えています。親はなぜ打ち明けてくれないのかと親の立場から考えますが,打ち明けられない子どもの思いに気づくべきです。幼い子どもであればいじめられたらすぐ親に泣きつくでしょう。まだ自分という意識ができていないからです。中学生が自分をどれほど大切にしようとしているのか,それが誰にも言えずに辛抱している姿なのです。親にできることは,わが子がどんなに弱く情けないと思われる子どもであっても,丸ごとだきかかえる愛情をいつも差し伸べていることです。日頃子どもに勉強できる子,優しい子,いい子などの条件を課していると,その条件が親の周りに垣根になって子どもを近寄れなくしてしまいます。「いい子である」という言葉が,子どもには重荷であることを分かってやってください。辛抱をさせることは必要ですが,親の心はいつも子どもの側に沿っていて下さい。