***** 《中学生を持つ親のための12章》 *****

【第12章 あなたのお子さんは,挑戦ができていますか?】

《中学生になると》

 心身ともに最も伸び盛りのときを迎えて,あふれる活力を外に向かって放出しようとします。中学生の時期には自分の力を試したい欲求に駆られますが,同時に力を発揮する技を習得します。毎日を漫然と過ごしているときではありません。学習にスポーツにひたむきに取り組む姿は粗削りなところもありますので,つい口出ししたくなりますがしばらく見守ってあげましょう。
 若さゆえの性急さがものごとのプロセスを見逃します。手作りの繁雑さより即席を好みます。分からないところを自分で調べるより,人に聞くことしかしません。面倒なことを一度は経験しておかなければ,ものごとの価値は一生分かりません。価値とは人が流した汗の量です。ものごとが完成するまでには多くの過程や手順があり,その都度人の手と知恵が編み込まれています。暮らしの中でそれを見聞きする機会がないことが,今時の子どもたちには不幸なことです。
 中学生になったからといって何でもできるわけではありません。やってみたら失敗したということがあります。どうして失敗したのか,どこで間違えたのか,自分の行動を振り返ることが反省です。そのとき親がただ反省しろと言っても,無理です。正しい行動を知らなければ,間違った所が分かりません。中学生は周りの人の中にモデルを探します。上手にやりこなしている人を見て,自分のやり方との違いを探し出します。これができたとき反省したことになります。次に上手な人のまねをします。これが学びの原型です。正しそうなやり方を学習したら,もう一度やってみます。それが挑戦です。つまり,「失敗したら反省し,学習をしてあらためて挑戦してみる」,その繰り返しが育ちの基本的なプロセスです。
 挑戦をするときに大事なことは,本人が「できるかもしれない」と思うことです。とてもできそうにないと思うことに挑戦するのは単なる無謀であり無茶です。親は無茶な挑戦をさせていることがありますから気をつけなければなりません。達成の可能性を持つ小さな挑戦であることが必要です。それを繰り返せば達成感を味わいながら意欲が持続します。

《調査結果から》

 前向きに育つことが中学生の課題です。自分が積極的であると思っている中学生は67%です。特に2年生の割合が他の学年に比べて10ポイントも低くなっています。1年生は中学生活の新鮮さに導かれ,3年生は仕上げに向けての自覚に促されているようです。
 親による評価は,積極性があると思っている親は,父親が58%であり,母親が59%です。両親とも女子に対する評価が多くなっています。子どもの自己評価に比べると低い評価です。親が見ている中学生の姿は家庭での姿が主ですし,一方中学生は親の見ていないところで自分を表に出していると考えれば,この違いは納得できます。特に男子は親のそばにいないことが多いでしょう。
 試験で間違えた場合,それを放置せずに反省しなければなりません。正しい答えを見つけ,やり直しという挑戦をすることが力をつける方法です。やり直しをするという中学生は57%です。男女別で見ると,女子の方が9ポイント多くなっています。また学年別では2年生の割合が低くなっています。中学生にとって身を引き締めるときは,全般的に2年生のときのようです。間違えたところは自分の実力のすぐ上ですから,少し努力すれば届きます。試験を評価される手段と考えていると反省ばかりに終わり辛くなります。試験の後に再度の挑戦をして確実に実力をあげていけば,試験を自分のものにすることができます。
 子どもが中学生になって自信を持って積極的に行動をすると,親の力に余ることが出てくるようになります。しつけに自信があるという親は,父母ともに61%です。10年前の調査と比べると母親は変わりませんが,父親の方は12ポイントも減少しています。調査によると全般的に父親の子離れが進んでいますが,自信の低下は子どもと縁切り状態にはまり込んでいることを示しています。子どもが中学生になると父親の出番ということが言われます。子どもの発散するエネルギーを受け止めるには強い力が必要になるという意味でしょう。父親には子どもが越えなければならない壁としての役割があります。大人になる試練を与えることで,子どもは挑戦する対象を見つけます。子どもに一人前という保証書を与える検査をするのが父親の務めです。

《親子関係の中で》

 試験の問題でも,実際的な問題でも,中学生は答えが見通せないと諦めてしまいます。見ただけで答えが分かるような問題は問題ではありません。挑戦するということは一旦答えは後回しにして,まず自分にできることをすることです。一歩一歩進むにつれて考えの筋道が自然に整ってきます。答えを追いかけようとするから答えが逃げて行きます。できることをすることで答えを自分の元に呼び込むことができます。親は挑戦させようと「頑張れ」と言いますが,できないことに追い立てようとしていないか,よく考えてください。
 中学生は「なぜ勉強なんかしなければならないのか」と思うことがあります。数学の方程式が解けて暮らしの中で何の役に立つのか,受験のための勉強にすぎないのでは,と勉強の意味が納得できません。難しい問ですが,勉強とは原野に細い道を通じさせる営みです。縦横無尽に道がつながれば,どんな問題が現れてもなんとか解決の道が見つかります。ある特定のことに役に立つ大通りだけでは,違った課題には無力になります。思いつきという創造性は知らないうちに通じている道が導き出すものでしょう。
 また勉強とはものを覚えることだと思うと,とても長続きしません。人が生きていくためには食物を摂取することが不可欠ですが,同時に排泄することも必要です。同じように勉強することで先人の得た知識を自分の頭脳に一旦取り込み,その知識が頭脳の中に切り開いてくれる新しい道を作ることが大事であって,知識そのものは忘れてもいいのです。勉強とは知識を覚えることではなく,知識が通る道を作ることです。知識は道を作る道具にすぎません。道を維持するために必要な最小限の知識だけを残して,あとは片付けて忘れることです。考える道を作る工事の仕上げが挑戦する作業にあたります。  人は自分で体験することによって知恵を得ます。自分一人の体験の量はしれています。そこで先人がしてきた体験を勉強という方法で追体験しているのです。
 生きていくうえで身につけなければならない知恵は勉強だけでは十分ではありません。勉強によって得られるものは過去の知恵だからです。現在から未来に向かって生きなければならない子どもにとっては,自分が出会うことに積極的に挑戦して,自分の体験で知恵を作り出さなければなりません。生きることは挑戦なのかもしれません。新しい時代に向かって,挑戦し続ける親子であってほしいと願われます。