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【相手の立場に気配りをしていますか?】
《第02章》
ボランティア活動はどうしても相手の私生活の領域に入り込まなければなりません。誰でも私生活は人を迎えるような状態ではないはずです。仕方がないから渋々迎えているといった負い目があります。そこに気兼ねや恥ずかしさがあることを分かってあげてください。
ご近所づきあいでも,相手によかれと思ってしてあげることがあります。隣の三尺という言葉があります。家の前を掃除するとき,隣家との境から三尺だけお隣の方に入り込んで掃くことです。大山のぶ代さんが朝起きて家の前を掃除しました。お隣のおばあちゃんがまだ起きていなかったので,ついでにとお隣も全部掃いてあげました。帰って祖母に得意そうに話すと,ほめるどころか悲しそうな顔をしました。「どうして」と尋ねると,「明日分かるよ」という返事でした。翌朝外に出てみると,家の前がきれいに掃除されていました。お隣のおばあちゃんが早起きして掃除をしてくれていたのです。好意の親切は相手にお返しという気持ちの負担をかけます。小さな親切は大きなお世話になります。
「なぜだろう 私がいないと うまくいく」という川柳があります。人付き合いに小さな亀裂が入るのに,当人はそのことに気づかないということです。その原因は相手の領域に入り込み過ぎるからです。俗に言う混ぜっ返しているからです。相手のできることまで取り上げてしまうから,いない方が相手はうまくいきます。手伝って欲しいことには,ここまでという境界があります。その先は自分でできると思っているのに,そこまでされてしまうと自分の思い通りにできないので,ありがた迷惑になります。好意は引き際が肝心です。
ボランティア活動でお年寄りの家に尋ねた方のお話です。おじいさんが出迎えて,お茶を入れてくれました。茶渋がこってりと付いている茶碗を出され,その汚さにたじろいで,無理矢理お茶を飲み込んだそうです。何度か通っているうちに慣れてしまいました。茶渋の汚れが気にならなくなったとき,相手の懐に入ることができたと感じたそうです。相手がおばあさんであったらきっと茶渋を気にしながら,お茶を出すことでしょう。ボランティア活動で人の家に入るとは,お互いにお客さんではなくなることです。余計な気遣いをさせない明るい大らかさが必要です。
街角で目の不自由な方を案内するとき,こちらから手を出して相手の手を引かないようにというアドバイスがあります。もし,見ず知らずの人につかまれたら,有無を言わさない状況に追い込まれ,不安感がつのります。こちらの腕を相手につかまえてもらうようにすれば,いつでも離すことができるという決定権を相手に与えておくことができます。相手に主導権を与えておくことが,安心して任せてもらう型になります。
相手の方が自分に何をして欲しいか,何処までお手伝いすればいいのか,よく話を聞いてあげてください。お世話をする側が自分の都合のよいように仕事をこなしていくと,つい相手の期待をないがしろにしてしまうことがあります。ボランティアはまず,相手の気持ちを救うことからはじめなければなりません。
ボランティア活動をすると,相手を選ぶことはできません。どんな人と関わりを持つか分かりません。そんな現場で,「分からない人がいる,あんな人がいる,あの人はね・・・」といった噂話を聞かされる場合があります。そのような風聞はなるべく避けて,直接つきあって自分の目や耳で確かめるようにしてください。どんな人にも,生きてきた背景があり,その間の苦労を背負っています。その事情を分かってあげようとする気持ちを持てば分かり合えるはずです。
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