***** 《ボランティアの窓》 *****

【笑顔を忘れないように心がけていますか?】

《第03章》

 ご婦人方は化粧に余念がありません。幾つになっても若くありたいという願いからでしょう。さて,最高の化粧は何でしょうか。それは笑顔です。いくら高級な化粧をして自己満足されていても,ムスッとお澄ましでは人からは美しく見えません。笑顔がなぜ美しいかというと,それは人に心を開いているからです。美しさが内面から現れると言われるのは,心の優しさを持っていると笑顔になれるからです。

 あるお医者さんのお話です。病院の近くに住んでいました。夜中に患者さんの容態が悪くなったという緊急電話が当直の看護婦さんからかかり,叩き起こされました。急いで病室に入ると,こちらの心配をよそに患者さんはケロッとしています。看護婦さんは身を縮めて目で謝っています。無駄足を踏んだので文句の一つも言いたい状況なのですが,なぜかその医者は決して叱りませんでした。ヨカッタヨカッタとニコニコして帰っていきました。看護婦さんに優しいのは怪しい仲というのはワイドショーの見過ぎです。もしお医者さんが嫌な顔をしたら,看護婦さんは次のときは呼ぶのをためらい,もう少し様子を見てからと待つことになります。しかし病人にはその一瞬の遅れが命取りになるかもしれません。だから気にしなくていいと慰めて帰ったのです。お医者さんの笑顔は,いつでも連絡をしていいよというサインなのです。このサインの有無で,事態は全く逆になるのです。

 ボランティア活動を依頼する方は,ぎりぎりまで我慢していることがあります。なるべくお世話にはならないようにしようとしています。ですから,事態が悪い方に進行してしまいます。いつでもお手伝いしますよと口では言ってもらえますが,そのきっかけをつかむのは結構難しいものです。もしそこに笑顔があれば,素直にお願いすることができます。依頼して来てくれた人がムスッとしていたら,たとえ真面目に面倒を見てくれても,きっと心に負担を感じさせることになります。次の依頼がしづらくなります。

 赤い羽根の共同募金が戸別割りして徴収される場合があり,そのやり方に対して疑義や反論が出てきます。その根拠はおよそ善意とは強制されるものではない,自発的でなければ意味がないということです。募金をするかしないかを自分で決めることが大切だということであり,それは正論です。ところで,善意は受け取る人がいてこそ発揮されるものです。受け取り手が現れない限り,善意は眠っています。募金をする機会が訪れたと考えれば,進んで募金をすることができるはずです。赤い羽根は善意の緒であり,善意を求めてアクセスしてきたのです。それが割り当てという形になっているから嫌だと,単なる手続にこだわっていては,本筋を見落としてしまいます。大切なことは,自らの善意を優先できるかどうかです。心が微笑んでいれば,頑なな態度を取ることはないでしょう。

 蛇足ですが,こらえ性がなくなったり,甘えが過ぎるという依頼者もいることでしょう。甘い顔ばかりは見せていられないという事情も分かります。しかし,そのことが他の必要性が逼迫した依頼者まで及ぶようだったら,それはボランティア失格です。そのやりくりは難しいかもしれませんが,笑顔だけはボランティアの身分証明書として常に携帯しておいてください。