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【ごく自然にドウゾという言葉が出ていますか?】
《第08章》
「不満言う 人へたくさん ある不満」という川柳があります。不満を言う人に限って,周りには不満の種になっているものです。世の中はままならないものです。人は暮らしの信条として迷惑を掛けないようにしています。そこで余計なお節介をしない,立ち入らないという仕儀が,人間関係を薄くし互いに孤立するようになりました。迷惑を掛けないで暮らせたらご立派ですが,そんな人は他人からかけられる迷惑を許せないものです。「自分は迷惑を掛けないように努力しているのに,あなたは努力が足りない」と責めます。元気な人であれば,それでもいいでしょう。
人が社会を作って生きていくためには,少しの迷惑はお互い様です。結婚なども見ようによっては迷惑の掛け合いかもしれません。競争社会と福祉社会の根本的な違いは,何処にあるのでしょうか? 社会的な関係は「ギブ・アンド・テイク」です。テイクを優先するのが競争社会,ギブを優先するのが福祉社会です。子どもたちの非行は一言で言えば,すべて「テイク」優先の行為です。ところで,献血率の高い地域では非行者率が低いという統計は示唆的です。ちょっと痛い思いをしても血液をギブしようとする地域では,子どもたちのテイク行為が沈静化されているのです。人はギブ優先の社会で生きるべきです。
さて人はつきあうときに言葉を使います。テイクをするとき「アリガトウ」と言い,ギブをするとき「ドウゾ」と言います。この二つの言葉には順序があります。いきなり「アリガトウ」とは言えません。必ず「ドウゾ」が先にあります。つまりドウゾとギブするから,アリガトウとテイクできるのです。アリガトウは待っていることしかできません。そして,ボランティア活動はアリガトウしか言えない立場にある人が相手ですから,ドウゾと言える人が求められています。
ドウゾと言うボランティアがいなければ,人との関係が途切れてしまう人がたくさんおられます。豊かな社会であっても豊かさを実感できないということから,世情がおかしくなりました。モノの豊かさはアリガトウとテイクすることですから限りがありません。またアリガトウだけでは人間関係は生まれません。心の豊かさが求められていますが,それは「ドウゾ」の豊かさなのです。普段から,アリガトウよりドウゾを数多く言えているか,それがボランティアになる切符です。ドウゾは英語ではプリーズですが,その意味は相手を喜ばせるということです。ボランティア精神そのものですね。
チャリティバザーが催されます。寄付して頂いた品物を市価より安く買ってもらっています。寄付していただく所がチャリティのつもりでしょうが,買っていく方は安く手に入れてアリガトウと得してます。欧米では市価より高く買って身銭を切ることでチャリティに参加しています。私たちはどこかで順序を逆にしてしまったような気がしませんか?
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