***** 《ボランティアの窓》 *****

【ワザワザしてあげることが苦にならないですか?】

《第12章》

 ボランティア活動は付け焼き刃では長続きしません。普段の暮らしの中で十分に準備活動をしておくようにしましょう。近隣の三大トラブルは,ペット,騒音,迷惑駐車です。飼っている人にとってはかわいいペットです。「犬の名を ちゃんづけで呼ぶ よその人」という具合に,よその人も気を遣ってくれています。しかし,夜中の吠え声は飼い主以上に迷惑となることでしょう。駐車もちょっとぐらいとか,公道だから誰に遠慮も要らないといった自分勝手は,傍迷惑ですよね。日頃のお付き合いがあれば多少の迷惑は許してもらえますが,やはり先にちょっと断りを言っておく気配りが必要でしょう。何もそこまでしなくてもと放置するのではなく,ワザワザ気遣いをしておくことが肝心です。

 昔の地域における近所づきあいは,「火事,水害,病気,旅立ち,普請,誕生,成人,結婚,葬式,法事」のときに助け合っていました。この中で8つのことについてつきあいを止めることがありました。それが村八分です。しかし,八分ということは二分は残されていたのです。その二分とは「火事,葬式」でした。今の暮らしでは,ご近所のために何をしていますか。ほぼ,村十分になっていると思いませんか? すべてが専門的な機関に委託され,中には有料なものもあります。近所の無償の助け合いは絶滅しています。かつては,ワザワザお互いに助け合っていたのです。

 ワザワザ暇を作って,ワザワザ費用をかけて,ワザワザ出かけていって,ワザワザ手間をかけて,人のためにできることをします。そのワザワザすることが人に感謝されることです。「ワザワザ〇〇していただいて・・」という言葉として現れます。ワザワザではないのは,それが仕事であるとか,それが有料であるといった場合です。たとえお礼を言われても感謝はされません。

 スーパーマーケットで,見知らぬおじいさんに声をかけられた女性がいました。「あのー,ピースご飯とタケノコご飯はどげんしてつくるとですか? ばあさんが元気やった頃はよく食べさせてもらいよったが」と尋ねられたのです。簡単に説明をしてあげました。大して役に立ったわけでもないのに,おじいちゃんのクシャクシャの笑顔がうれしかったそうです。一人暮らしだと食卓に季節感も失われがちです。遠慮なく声をかけてくれたらいいのに,そう思ったということです。

 バスの中で席を譲ろうとした女子中学生の作文です。立ち上がろうとした瞬間に,後の方にいる同世代の話声を耳にして,その目を気にして気後れしてしまいました。相手が「席を譲って」と言ってくれたら,と自分を正当化するような思いを綴っていました。確かに,善意にはちょっとした敷居があります。それを越えるには,求められたら仕方がないという言い訳の踏み台が必要です。

 「言ってくれたら」。でもそれを相手に求めているうちは,ボランティアにはなれません。ボランティアはワザワザという敷居を自分で越える勇気が不可欠なのです。言われなくても,あるいは察してあげてこちらから声かけをして引き出すように運ばなければなりません。ワザワザ聞いてあげることが求められているのです。そうしないとボランティア活動は始まらないからです。

 何も感謝されるためにボランティアをするのではないでしょう。しかし,感謝されるようなボランティア活動を目差すことは大事な目標になります。そのコツはそこまでしなくてもと手を引くのではなく,ちょっとだけワザワザしておくことです。その余計なことが集まって,社会の温かな力になっていくのです。