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【2】 目的としての文化
「ものの豊かさ」から「心の豊かさ」へと社会的本能が嗅ぎ分けています。その底流にある洞察は文明に対抗できる文化の構築を課題として抽出しています。文明が文化を押しつぶそうとしているという危機感があります。生きるとは文化なのです。
神が死んだと宣言して以来,文化はブラックホールに吸い込まれているようです。心の空虚さを埋めようとする人がカルトに魅せられていくのは,文化が極貧状態にある兆候です。腐りかけたものでも食べなければならないところまで追い込まれています。文化は人を生かしている精神の糧です。
何も21世紀のキリストや釈迦,21世紀のベートーベン,21世紀のダ・ビンチの再興を求めようというつもりはありません。それは彼らが持っている文明に対して最もふさわしく生まれたカウンターバランスとしての精神文化だからです。
文化財といえば古いものというイメージがありますが,その発端では最新のものであったはずです。本来文化財は今生きている人が自分の手で作り出しているものでしょう。文化という言葉に古色蒼然としたイメージを張り付けていることがすでに,文化を失っている自覚症状の現れと診断すべきでしょう。
生涯学習の機運が誕生した背景には文明の発達に追従しなければという焦りが幾ばくかうかがえました。しかし散見する実体はどちらかというと文明よりも文化にウエイトが置かれているようです。人は本能的に今必要なことに手をつけるものと考えれば,文化に飢えていると診断できます。20世紀末における生涯学習の端緒が古典文化を学ぶことから始まっていますが,それは21世紀に新しい文化を生みだそうとする必然でしょう。
文明が内包する刃の一つは効率化です。限定された基準で有益と無益を峻別し,無益を無駄として抹殺します。文明世界は唯我独尊性を信条とし,廃棄物を生み出します。文明の落とし子である会社という仮想社会も要らなくなったものを当然のように放逐します。豊かな文明の陰から公害などの不合理が人間社会にむけて浴びせかけられたのは,閉鎖的システムとしての宿命でした。それに対するカウンターが環境問題という至って文化的なテーゼです。自然は無駄なものは作らないという命題で切り返し,リサイクルという道を開拓し始めました。文明は力で選別し,文化は心で包括しようとします。
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