1182年 (養和2年、5月27日改元 壽永元年 壬寅)
 
 

1月1日 壬申
  卯の刻、武衛鶴岡宮に御参り、神馬一疋を奉らる。佐野の太郎忠家これを引く。その
  後、宝前に於いて法華壽量品を法楽せしめ給うと。
 

1月3日 甲戌
  武衛御行初め。籐九郎盛長が甘縄の家に渡御す。佐々木の四郎高綱御調度を懸き、御
  駕の傍らに在り。足利の冠者・北條殿・畠山の次郎重忠・三浦の介義澄・和田の小太
  郎義盛以下、御後に列すと。
 

1月8日 己卯
  鶴岡若宮に長日不動・十一面等の供養法を始行せらる。供僧等これを奉仕す。御素願
  成弁の為なりと。
 

1月23日 甲午
  伯耆の守時家初めて武衛に参る。これ時忠卿息なり。継母の結構に依って、上総の国
  に配せらる。司馬これを賞翫せしめ聟君と為す。而るに廣常去年以来御気色聊か不快
  の間、その事を贖わんが為これを挙し申す。武衛京洛の容を愛するの間、殊に憐愍す
  と。
 

1月28日 己亥
  太神宮に奉らるべきの神馬・砂金等の事、日者その沙汰有り。今日、潔斎の輩これ等
  を献る。仍って営中に於いてこれを覧玉い、直に採用せしめ給う所なり。先ず金百両、
  千葉の介常胤・小山の四郎朝政等これを進す。次いで神馬十疋、庭上に引き立つ。俊
  兼簀子に候し、毛付けを勒す。
   一疋鴾毛  江戸の太郎進す   一疋河原毛 下河邊の四郎進す
   一疋栗毛  武田の太郎進す   一疋栗毛駮 吾妻の八郎進す
  [一疋青黒  高場の次郎進す   一疋鴾毛駮 豊田の太郎進す]
   一疋鹿毛  小栗の十郎進す   一疋葦毛  葛西の三郎進す
   一疋白栗毛 河越の太郎進す   一疋黒瓦毛 中村庄司進す
  已上御馬選定の後、生倫神主が宅に預け置かる。各々飼口を相副ゆと。