12月1日 丁酉
生倫神主注進し申して云く、二宮の禰宜等、関東に同意し奉るの由、平家の讒奏有り。
去る月の比、公家の御沙汰に及ぶ。遂に祠官の悩乱たるかと。
12月2日 戊戌
生倫が申状に就いて、御書を太神宮に遣わさる。
禰宜等頼朝に同心するの由、平家訴え申す事、驚き思い給うものなり。但し神は道
理を納受す。君も遂に然り御うか。各々危ぶまず、始終祈念し給わば、東国御領等、
相違有るべからざるの趣、二宮に触れ申さるべきなり。謹言。
十二月二日
次郎大夫殿
12月7日 癸卯
夜深人定まる後、武衛鶴岡に御参り、佐々木の三郎・和田の次郎等の外、御共の人無
し。而るを拝殿に於いて御念誦。宮寺の承仕法師栄光咎め来たりて云く、君の御座に
着くは誰人ぞや。早く退去すべしと。武衛御感の余り、御前に召し出し、甘縄辺田一
町を賜う。
12月10日 丙午
御寵女小中太光家が小坪の宅に遷住す。頻りに御台所の御気色を恐れ申さると雖も、
御寵愛日を追って興盛するの間、なまじいに以て仰せに順うと。
12月16日 壬子
伏見の冠者廣綱遠江の国に配す。これ御台所の御憤りに依ってなり。
12月30日 丙辰
上総の国御家人周西の二郎助忠已下、多く以て本宅を安堵すべきの旨、恩裁を奉ると。