1183年 (壽永二年 癸卯)
 (吾妻鏡に記載無し。平家物語・その他により記す)
 

4月9日 癸卯 [玉葉]
  今日、北陸征討の事に依って、太神宮以下祈り申さると。伊勢以下十六社、神祇官人
  等各々参籠し、五ヶ日祈り申すと。
 

4月13日 丁未 [玉葉]
  武者の郎従等、近畠を苅り取るの間狼藉すと。警固の上卿實宗卿と。
 

4月14日 戊申 雨下る [玉葉]
  武士等の狼藉昨日の如しと。凡そ近日天下この事に依って上下騒動す。人馬・雑物、
  眼路に懸けるに随い横より奪い取る。前の内大臣に訴うと雖も、成敗に能わず。制止
  有りと雖も、更に以て制法に拘わらずと。他所の事に於いては知るべからず。近辺の
  濫吹、太だ怖畏有り。仍って前の内大臣の許に示し遣わす。制止すべきの報有りと雖
  も、更にその始終無し。実に悲しむべきの世なり。
 

4月17日
  木曽義仲を追討の為に官兵等北国へ発向して、次東国にせめ入て、兵衛佐頼朝を追討
  すべき由聞えけり。(中略)その勢十万余騎、大将軍六人、衆徒の侍二十余人、先陣
  後陣を定むる事もなく、思ひ思ひに我先にと進みけり。
 

4月23日 丁巳 [玉葉]
  征討将軍等、或いは以前、或いは以後、次第に発向す。今日皆をはんぬと。
 

4月25日 己未 [玉葉]
  左大臣左中弁兼光朝臣に仰せて云く、源頼朝・同信義等、東国・北陸を虜領す。前の
  内大臣に仰せ、追討せしむべしてえり。
 

4月27日
  平家の軍兵火打城にせめ寄せたり。城の有様いかにして落すべしともみえざりければ、
  十万余騎の勢向への山に宿して、徒に日を送る程に、源氏の大将軍齊明威儀師、平家
  の勢十万余騎に及べり、かなはじとや思ひけん、忽に変ずる心有て、我城をぞせめさ
  せける。(中略)源氏の軍兵火打城を追落されて、加賀の国へと引退く。