1183年 (壽永二年 癸卯)
 (吾妻鏡に記載無し。平家物語・その他により記す)
 

5月1日 甲子 [玉葉]
  伝聞、去る月二十六日、官軍越前の国に攻め入ると。
 

5月2日
  (加賀の国)林六郎光明並びに富樫太郎が城郭二ヶ所を打破られて、次第にせめ入る
  由、官兵国々より早馬を立て申ければ、都には嘉罵けり。平家は白山の一橋を引てぞ
  籠りける。
 

5月11日
  平家十万余騎の勢を二手に分て、三万余騎をば志雄の手に向けてさし遣し、七万余騎
  をば大手へ向けて、越中前司盛俊が一党五千余騎を引分て、加賀国を打過て、終夜砥
  波山を越て、中黒坂の猿が馬場にひかへたり。木曽これを聞て、五万よきを相具して、
  越中国へ馳せ越て、池原の般若野にこそ控へたれ。
 

5月12日 乙亥 [玉葉]
  伝聞、去る三日官軍加賀の国に攻め入り合戦す。両方死傷の者多しと。
 

5月13日
  平家は又木曽に砥波山を追落されて、あたかの橋を引きて篠原の宿に息つき居たり。
  (中略)平家は度々の軍に戦ひ負けぬ。源氏の繁昌疑ひなしとみえたり。
 

5月16日 己卯 [玉葉]
  去る十一日官軍の前鋒勝ちに乗り越中の国に入る。木曽の冠者義仲・十郎蔵人行家、
  及び他の源氏等迎え戦う。官軍敗績す。過半死にをはんぬと。
 

5月19日 壬午 [玉葉]
  最勝講始日なり。また今日東大寺大仏の面を鋳奉ると。