5月1日 甲子 [玉葉]
伝聞、去る月二十六日、官軍越前の国に攻め入ると。
5月2日
(加賀の国)林六郎光明並びに富樫太郎が城郭二ヶ所を打破られて、次第にせめ入る
由、官兵国々より早馬を立て申ければ、都には嘉罵けり。平家は白山の一橋を引てぞ
籠りける。
5月11日
平家十万余騎の勢を二手に分て、三万余騎をば志雄の手に向けてさし遣し、七万余騎
をば大手へ向けて、越中前司盛俊が一党五千余騎を引分て、加賀国を打過て、終夜砥
波山を越て、中黒坂の猿が馬場にひかへたり。木曽これを聞て、五万よきを相具して、
越中国へ馳せ越て、池原の般若野にこそ控へたれ。
5月12日 乙亥 [玉葉]
伝聞、去る三日官軍加賀の国に攻め入り合戦す。両方死傷の者多しと。
5月13日
平家は又木曽に砥波山を追落されて、あたかの橋を引きて篠原の宿に息つき居たり。
(中略)平家は度々の軍に戦ひ負けぬ。源氏の繁昌疑ひなしとみえたり。
5月16日 己卯 [玉葉]
去る十一日官軍の前鋒勝ちに乗り越中の国に入る。木曽の冠者義仲・十郎蔵人行家、
及び他の源氏等迎え戦う。官軍敗績す。過半死にをはんぬと。
5月19日 壬午 [玉葉]
最勝講始日なり。また今日東大寺大仏の面を鋳奉ると。