7月2日 癸未
橘右馬の允、浅羽庄司等京都より帰参す。去る月二十一日前の内府父子梟首の事、同
二十三日彼の首を獄門に遣わされ、重衡を南都に渡さる事等、具にこれを申すと。
7月7日 戊子
前の筑後の守貞能は平家の一族、故入道大相国専一の腹心の者なり。而るに西海合戦
敗れざる以前に逐電し、行方を知らざるの処、去る比忽然として宇都宮左衛門の尉朝
綱が許に来たる。平氏の運命縮まるの刻、その時を知り、出家を遂げ、彼の與同の難
を遁れをはんぬ。今に於いては、山林に隠居し往生の素懐を果たすべきなり。但し山
林と雖も、関東の免許を蒙らずんばこれを求め難し。早くこの身を申し預かるべきの
由懇望すと。朝綱則ち事の由を啓すの処、平氏近親の家人なり。降人たるの條、還っ
てその疑い無きに非ずの由御気色有り。随って許否の仰せ無し。而るに朝綱強いて申
請して云く、平家に属き在京するの時、義兵を挙げ給う事を聞き、参向せんと欲する
の刻、前の内府これを免さず。爰に貞能朝綱並びに重能・有重等を申し宥めるの間、
各々身を全うし御方に参り、怨敵を攻めをはんぬ。これ啻に私の芳志を思うのみなら
ず、上に於いてまた功有る者かな。後日もし彼の入道反逆を企てる事有らば、永く朝
綱が子孫を断たしめ給うべしと。仍って今日宥めの御沙汰有り。朝綱に召し預けらる
る所なり。
7月9日 [愚管抄]
午の時ばかり、なのめならぬ大地震ありき。古の堂のまろばぬは無し。所々のついが
きくずれぬは無し。少しも弱き家のやぶれぬも無し。山の根本中堂以下歪まぬ所無し。
事もなのめならぬ龍王動とぞ申し、平相国龍に成てふりたると世には申き。法性寺九
重塔はあだには倒れず傾きて、ひえんは重ことに皆落にけり。
[吉記]
午の刻大地震。洛中然るべきの家築垣皆頽れ、舎屋或いは顛倒、或いは傾倚す。打ち
襲わるる死者は多く聞く。今度の地震に於いては殃に遇ざるの人無し。去る月二十日
以後すでに以て連々、今日大動以て外□数十度、万人魂を消すものなり。その後司天
等参上し、殊に恐れを申す。その中兵乱火急の事と。予の家西面築垣壊れをはんぬ。
7月12日 癸巳
鎮西の事、且つは武士の自由の狼藉を止め、且つは顛倒の庄園旧の如く国司領家に附
け、乃具を全うせんが為、早く院宣を申し下し、行き向かい巡検を遂ぐべきの由、久
経・国平等に仰せらると。また平家追討の後、厳命に任せ、廷尉は則ち帰洛す。参州
は今に鎮西に在り。而るに以て管国等狼藉有るの由、所々よりその訴え有り。早く件
の範頼を召し上すべきの旨、これを仰せ下さると雖も、菊池・原田以下、平氏に同意
するの輩掠領の事、彼の朝臣をして尋ね究めしむの由、二品覆奏せしめ給うの間、範
頼の事、神社仏寺以下の領妨げを成さずんば、上洛せずと雖も何事か有らんや。上洛
を企てば後悔有るべしてえり。相計らうべきの趣、重ねて院宣を下さるるの間、平家
没官領、種直・種遠・秀遠等が所領、原田・板井・山鹿以下所々の事、地頭を定補せ
らるの程は、沙汰人を差し置き、心静かに帰洛せらるべきの由、今日参州の許に仰せ
遣わさるる所なり。
[吉記]
群盗の事、別して戒め沙汰すべきの由、大夫の尉義経に仰せらる。これ所々築垣皆頽
れるの間、諸人愁歎の故なり。地震の事、法皇殊に以て御歎息有り。尤も然るべきか。
7月15日 丙申
神護寺の文學房、関東の潤色を以て、院奏の便を得て、去る正月二十五日縁起状を捧
げ、御手印を申し下すの後、寺領に寄付せんが為、近国に於いて庄園を煩わしむの由
その聞こえ有り。二品殊に驚き思し食され、釈門の人爭か邪狂を現わさんや。早く然
る如きの濫吹を停止すべきの由、下知せしめ給うべしと。俊兼これを奉行すと。
7月19日 庚子 地震良久し
京都去る九日午の刻大地震。得長寿院・蓮花王院・最勝光院以下の仏閣、或いは顛倒
或いは破損。また閑院の御殿棟折れ、釜殿以下の屋々少々顛倒す。占文の推す所、そ
の慎み軽からずと。[而るに源廷尉六條室町の亭、門垣と云い家屋と云い、聊かも頽
傾無しと]。不思議と謂うべきか。
7月22日 壬寅
日向の国住人富山二郎大夫義良以下、鎮西の輩の御家人たるべき分は、他人煩わしむ
べからざるの旨、今日数通の御下文を成し遣わさるる所なりと。
7月23日 甲辰
山城の介久兼二品の召しに依って、京都より参着す。これ陪従なり。神宴等の役、当
時その人無し。仍って態と以て招き下せしめ給うと。
7月25日 天晴 [吉記]
高倉宮の御事聊か風聞す。但し信受し難き事か。宮と号すの者三井寺に坐すと。説う
べからざる事なり。
7月26日 丁未
前の律師忠快流人として、一昨日伊豆の国小河郷に到着するの由、宗茂これを申す。
これ平家の縁坐なり。
7月27日 戊申 天晴 [玉葉]
佛厳房来たり。夢想の事を談る。天下の政違乱に依って、天神地祇怨みを成しこの地
震有るの由なり。今日、地中鳴ると雖も震動に及ばず。昨日に至り連日不同。或いは
両三度、或いは四五度。またその大小不同。連々不断なり。
7月29日 庚戌
泰経朝臣の消息到着す。今月上旬の比、佛厳上人の夢中に赤衣の人多く現れて云く、
無罪の輩、平家の縁坐として、多く以て配流の罪を蒙る。故に地震等有りと。凡そ滅
亡の衆の罪を消さんが為、去る五月二十七日不断の御読経を始行せられをはんぬ。然
れば流罪中の僧等の事は、免許有るべきかの由その沙汰有り。相計り申し宥めしめ給
うべきの趣なりと。
[吉記]
高倉の宮一定御坐すの由風聞すと。未曾有の事なり。地震なお止まず。