1185年 (元暦2年、8月14日改元 文治元年 乙巳)
 
 

9月1日 辛巳
  廷尉公朝勅使として営中に参る。二品対面し給い、盃酒を勧めらる。縡再三に及ばず
  して退出す。時に砂金十両・馬(鞍置き)一疋を賜う。また籐判官代邦通を以て御使
  と為し、長絹二十疋・紺絹三十端を彼の宿所(比企の四郎東御門の宅と)に送らる。
 

9月2日 壬午
  梶原源太左衛門の尉景季・義勝房成尋等、使節として上洛するなり。南御堂供養導師
  の御布施並びに堂の荘厳具(大略すでに京都に調え置く)奉行せんが為なり。また平
  家縁坐の輩未だ配所に赴かざる事、若しくは居ながら勅免を蒙る事、子細に及ばず、
  遂にまた下し遣わされべくんば、早く御沙汰有るべきかの由これを申さる。次いで御
  使と称し、伊豫の守義経の亭に行き向かい、備前の前司行家の在所を尋ね窺い、その
  身を誅戮すべきの由を相触れて、彼の形勢を見るべきの旨、景季に仰せ含めらると。
  去る五月二十日、前の大納言時忠卿以下、配流の官符を下されをはんぬ。而るに今に
  在京するの間、二品欝憤の処、豫州件の亜相の聟として、その好を思うに依ってこれ
  を抑留す。しかのみならず、備前の前司行家を引級し、関東に背かんと擬すの由風聞
  するの間、斯くの如しと。
 

9月3日 癸未
  子の刻、故左典厩の御遺骨(正清の首を副ゆ)南御堂の地に葬り奉る。路次御輿を用
  いらる。恵眼房・専光房等この事を沙汰せしむなり。武蔵の守義信・陸奥の冠者頼隆
  御輿を舁く。二品(御素服を着し給う)参り給う。御家人等多く供奉すと雖も、皆郭
  外に止めらる。ただ召し具せらる所は、義信・頼隆・惟義等なり。武州は、平治逆乱
  の時先考の御共(時に平賀の冠者と号す)を為す。頼隆は、またその父毛利の冠者義
  隆、亡者の御身に相替わり討ち取られをはんぬ。彼此旧好の跡を思し食すに依って、
  これを召し抜かると。
 

9月4日 甲申
  勅使江判官公朝帰洛す。二品の御餞物尤も慇懃なり。この程風気に依って逗留日を渉
  ると。また去る七月の大地震の事に依って、且つは御祈りを行われ、且つは徳政を天
  下に満ち遍くせらるべき事、並びに崇徳院の御霊殊に崇め奉らるべきの由の事等、京
  都に申せらる。これ朝家の宝祚を添え奉るべきの旨、二品の御存念甚深の故なりと。
 

9月5日 乙酉
  小山の太郎有高威光寺領を押妨するの由、寺僧解状を捧ぐ。仍ってその妨げを停止せ
  しめ、例に任せ寺用に経すべし。もし由緒有らば、政所に参上せしめ、子細を言上す
  べきの旨仰せ下さる。惟宗孝尚・橘判官代以廣・籐判官代邦通等これを奉行す。前の
  因幡の守廣元・主計の允行政・大中臣秋家・右馬の允遠元等署判を加う。新籐次俊長
  ・小中太光家等使節として、有高に相触ると。
 

9月7日 [長門住吉神社文書]
**源範頼下文案
  下す 長門国在廰官人等
   早く豊西郡内吉永別府四至内荒熟田畠参拾町を以て一宮御領として御祈祷を致すべ
   き事
  右、彼の社頭夾少地の間、且つは西国追討使下向の時、殊に祈念有る事、心中に相叶
  い、今帰洛を遂げる所なり。てえれば、彼の田畠地利を以て神用と為し、招居の浪人、
  且つは諸人を安堵せしめ、勤行並びに領全祈祷すべきの状、仰せの所件の如し。
    文治元年九月七日
  参河守源(範頼)朝臣
 

9月10日 庚寅
  御堂供養導師の事、本覚院の僧正公顕を請じ申さるるの処、領状先にをはんぬ。仍っ
  て下向の間、宿次雑事以下、今日御家人等に宛て催さる。因幡の前司・齋院次官等こ
  れを奉行す。進発日の雑事は、佐々木太郎左衛門の尉定綱これを沙汰すべしと。
 

9月12日 壬辰
  景季・成尋等入洛す。則ち配流の人々の事を申すと。
 

9月18日 戊戌
  新藤中納言経房卿は廉直の貞臣なり。仍って二品常に子細を通せしめ給う。今に於い
  ては、吉凶互いに示し合わさる。而るに黄門望み有るの由内々申さるるの間、二品こ
  れを吹挙せしめ給うと。

[玉葉]
  東国の領等、領家の進士に随うべきの由、院より御教書を頼朝の許に遣わす。泰経卿
  の奉書下し給う所なり。
 

9月21日 辛丑
  参河の守(範頼)の使者参着す。すでに鎮西を出て途中に在り。今月相構えて入洛す
  べし。八月中参洛すべきの由厳命を蒙ると雖も、風波の難に依って遅留す。恐れ思う
  と。この使い京都より先立の旨これを申す。而るに今の申し状、御命を重んぜらるる
  の條掲焉たるの由、感じ仰せらる。
 

9月23日 癸卯
  前の大納言時忠卿配所能登の国に下向すと。
 

9月25日 乙巳 天晴 [玉葉]
  東国の領等、元の如く知行すべきの由、頼朝下文を成しこれを送る。光長朝臣の許に
  送る所なり。下文六枚。先日院宣を以て、頼朝の許に遣わさんと欲す。使者未だ進発
  せず。仍ってこれを召し留め、件の注文に漏れるの所々の事、仰せ遣わすべきの由光
  長に仰す。
 

9月26日 丙午 雨下る [玉葉]
  蒲の冠者範頼(参河の守なり)入洛すと。
 

9月29日 己酉
  南御堂内陣の板敷等これを削りをはんぬ。二品監臨し給う。匠等更に禄を賜う。各々
  長絹一疋。筑後権の守俊兼・主計の允行政これを奉行す。