1187年 (文治3年 丁未)
 
 

6月3日 癸酉
  去々年平氏討滅の時、長門の国の海上に於いて宝劔紛失す。捜し求めらるると雖も、
  今に出来せず。猶御祈祷を凝らさる。厳島の神主安藝の介景弘に仰せ、海人を以てこ
  れを索めらるべきに依って、粮米を申す所なり。早く西海の地頭等に召し仰すべきの
  旨宣下せらる。仍って今日沙汰有り。宛て催さるべきの由と。


6月8日 戊寅
  女房上野の局を以て、今日染殿別当に定補せらると。
 

6月13日 癸未
  故左典厩の御乳母参上す。則ち御前に召し往事を談る。落涙せしめ給う。これ平治牢
  籠の後、京都より下向し相模の国早河庄に在り。而るに庄内田地七町の作人として世
  渡りせしむの由言上す。仍って永く彼の地を領掌すべきの旨仰せ下さると。
 

6月18日 戊子
  六條若宮に於いて放生会を始行すべきの由、その沙汰有り。且つは叡慮を窺わるべし
  と。
 

6月20日 庚寅
  伊勢の国没官領の事、加藤太光員これを注進せしむに随い、地頭を補せらるるの処、
  彼の輩太神宮御領に於いて濫行を致すの由、所々よりその訴え有るの間、宜しく停止
  せしむべきの由、今日定め下さる。その状に云く、
   下す 伊勢の国御領内の地頭等
    早く無道の狼藉を停止し、内外宮神主等の下知に従い、沙汰を致すべき事
   右謀叛人の所領に於いては、先蹤に任せ地頭職ばかりを補せしむの処、各々自由の
   濫行を致し、或いは所々を横領し、或いは神人を煩わすの由その聞こえ有るに依っ
   て、神役を先んずべきの由、度々下知せしめをはんぬ。仍って神官等沙汰を致さん
   と擬すの処、光員の注文に任せ地頭に補すの輩、尚所々を押領し、神領の煩いを致
   すの由その訴え有り。所行の旨、甚だ以て不当なり。自今以後、神官の下知に従い
   神忠を致せしむべし。縦え地頭と雖も、何ぞ神人を煩わし神役を怠らんか。宜しく
   件の狼藉を停止すべし。もし違背せしむに於いては、慥に交名を注し、言上すべき
   の状件の如し。以て下す。
     文治三年六月二十日
 

6月21日 辛卯
  因幡の前司廣元使節として上洛す。閑院皇居修復を加うべきの由これを申さる。また
  師中納言経房大納言を望み申す。その事御挙に預かるべきの旨、日来内々二品に申せ
  らる。この卿膠漆の御知音たるなり。仍って左右無く奏達せらるべきと雖も、上臈数
  有るか。京都の形勢に随い奏し試むべきの由、廣元に仰せらる。凡そこの卿に限らず、
  廉直の臣に於いては、事に於いて扶持を加うべきの由、朝暮御意を挿まる。偏に君の
  為世の為なりと。
 

6月29日 己亥
  雑色正光御使として、御書を帯し伊勢の国に赴く。これ当国沼田御厨は、畠山の次郎
  重忠所領の地頭職なり。而るに重忠眼代の内別当眞正、員部大領家綱が所従等の宅を
  追捕せしめ、資財を没収するの間、家綱神人等を差し進し訴え申せしむ。仍ってその
  科を糺し行われんが為なり。また正光事を御使に寄せ、濫行を現すに於いては、誡め
  を加え子細を言上すべきの趣、山城の介久兼(彼の国に在りと)に仰せ遣わさる。