1188年 (文治4年 戊申)
 
 

6月1日 己丑
  大姫公の御方に於いて山際の前裁に田を殖えらる。美女等これを殖ゆ。皆唱歌す。ま
  た壮士中能芸有るの輩を召し出され、笛鼓の曲を事と為すと。

[玉葉]
  範棟また宇佐累代の神宝の間の事、源二位卿の許に仰せ遣わすべき事を申す。仰せて
  云く、事の由を奏し、師卿に仰すべしてえり。この事去年秋よりこの沙汰有り。而る
  に奉行職事等面々遅滞す。希異の事なり。相次いで定経来たり、條々の事を申す。源
  二位卿、召し進す所の犯人(前の右衛門の尉知家郎従)の申す詞、並びに検非違使職
  景の申状等、大理にこれを注進す。この事、去年冬の比、夜行番闕の者、検非違使職
  景召し籠める所の犯人、知家郎従を遣わし奪い取りをはんぬ。使の廰の欝に依って、
  関東に仰せ遣わすの処、二位卿驚き恐れ召し進す所なり。
 

6月3日 丁卯 晴 [玉葉]
  定経来たり云く、二位卿召し進す所の前の右衛門の尉知家郎従の事、奏聞を経るの処、
  重ねて問うべきの由仰せらると。大理申状の如きは、この上復問に及ぶべからず。決
  せざれば、承り申すべからざるが故なり。奪取の條顕然に於いては、科断の條ただ聖
  断を奉るべしてえり。予仰せて云く、この趣を以て重ねて奏聞すべしてえり。
 

6月4日 戊辰
  所々の地頭沙汰の間の事、條々を注し師中納言経房に付せしめ給うの処、御返報今日
  到着す。勅答の趣に於いては、子細を譲らんが為、権右中弁定長朝臣の奉書を副え献
  る所なり。
   相模の国大井庄の事
    延勝寺領なり。年貢に於いては、早く寺家に進すべし。
   上総の国伊隈庄の事
    金剛心院領なり。年貢に於いては、早く寺家に進納すべし。この外、年貢を進せ
    ざるの所々、寺家注進する所なり。仍って相副えるなり。
   蓮花王院領伊豆の国狩野庄
   同領常陸の国中郡庄
    以上両庄、年貢注文これを遣わす。この外年貢を進せざるの所々、寺家注進する
    所なり。
   上総の国管生庄
    前の摂政家領なり。年貢注文これを遣わす。
   下野の国中泉・中村・塩谷
   相模の国早河庄の事
    以上四箇所、同家領なり。年貢沙汰し送るべし。棟範免許の由、先日申し上げる
    の時聞こし召しをはんぬ。
   八條院領
    信濃の国 大井庄
    常陸の国 村田・田中・下村庄
    同国   志太庄
    下総の国 下河邊庄
    越後の国 大面庄
     この旨、早く維清に仰せ含めらるべきなり。
    相模の国 山内庄   武蔵の国 大田庄
    駿河の国 益頭庄   同国   大岡牧
    同国   富士神領  信濃の国 伊賀良庄
     以上、件の庄領の年貢、或いは先々注進す。或いは本文書紛失す。平家の時な
     ど自由の沙汰を致す事も候き。また庄の大小増進の事も知らず候き。子細は庄
     家皆存知るか。委しく捜り計り沙汰せしむべし。益頭庄の事も、同事に進せら
     ると思し食して、能保朝臣に仰せられ候き。時政地頭にて、他人の沙汰を入る
     べからざるの様に聞こし食しヽかば、その上沙汰に及ばず。此の如くただ計り
     沙汰すべきの由、仰せらるべきなり。
   遠江の国 笠原庄
    齋院の御方、年貢沙汰し進すべきの由、地頭に下知せらるるの條、尤も神妙なり。
    但し毎事不法の由聞こし食す。他の御領有りと雖も、殊に相伝せしめ給う所、た
    だ彼の御庄なり。推察を加え沙汰し宜しからんか。
   播磨の国景時知行の所々の事
    申状に任せ御沙汰有るべきなり。景時君の奉為忠有るの由聞こし召しき。また在
    京の時なども、殊にその忠有るか。委しく聞こし召し及ばず。郎従等の狼藉にて
    も候わん。此の如く申せしめ候の間、御本意の由に候なり。五箇庄の事聞こし食
    しをはんぬ。福田庄・西下郷・大部郷、申状に任せ御沙汰有るべし。
   備前の国宇甘郷の事
    委しく尋ね捜すの條尤も神妙なり。この旨を以て仰せ沙汰せられをはんぬ。
    役夫工米料、国々庄々注文の事、行事の弁を給うべく候。
   大内守護の事
    頼兼申状尤も不便なり。他人結番し、守護せらるべきなり。ただ摂政殿に申せら
    べし。
   一條院御領の事
    未だ注し申されず候。逐て遣わすべきか。
   早河庄の事
    未だ左右を申さず。
   以前の條々、この旨を以て計り遣わさるべきの由、御気色候か。恐々謹言。
     五月十二日          権右中弁

[玉葉]
  今朝明基来たり。件の犯人の間の事、大理申す旨有り。また子細を仰せをはんぬ。官
  人等の中、鎌倉の威を恐れ、嬌餝の詞を吐くの輩等有りと。
 

6月5日 己巳 去る夜より雨降る。暮時以後沃すが如し
  雷電の声終日休止せず。戌の刻洪水。勝長寿院の前橋落ちをはんぬ。而るに飯田の次
  郎御堂の宿直に相当たる。水練者たるに依って、郎従を相具し、水面二町余りを浮か
  び渡りこれを取り留む。而るを景時御堂の辺を見んが為、参入せんと欲すの処、橋す
  でに流れるの間駕を扣えるの間、飯田の所為を見て、帰参せしめその由を申す。則ち
  飯田を召し御馬を賜うと。
 

6月7日 辛未 陰晴不定 [玉葉]
  基親朝臣来たり。役夫工の間の事を申す。庄々の免否、御点散々、尤も不便なり。更
  に證文に依らず、ただ法に任せ免否有り。必ず後乱有るか。先日関東の申す所の條々、
  今日返事を仰せ遣わす。知家郎従の事この中に在り。
 

6月8日 壬申 甚雨 [玉葉]
  宗頼朝臣また條々の事を申す。兵衛の尉時貞強盗を搦め取るの間の事を申す。
 

6月9日 癸酉
  六條殿の作事、営作の功を抽んずべきの由、二品申せしめ給うに依って、造営の事な
  まじいに思し食し立つの処、此の如く申せしむるの條、殊に悦び思し食す。件の御所
  立てらるれば、本の如く長講堂作るべきなり。その沙汰有るや。件の御堂の傍らに御
  所を褻さば沙汰有るべきか。ただ相計らしむべく候由、去る二十日の御教書(経房卿
  の奉り)到来する所なり。
 

6月11日 乙亥
  泰衡京進の貢馬・貢金・桑絲等、昨日大磯の駅に着く。召し留むべきかの由義澄これ
  を申す。泰衡豫州に同意するの間、二品憤り申せしめ給うに依って、度々尋ね下さる。
  去る月また官使を遣わされをはんぬ。これに就いて言上するか。然れどもその身反逆
  に與すと雖も、有限の公物抑留し難きの由仰せ出さると。
 

6月14日 戊寅
  師中納言の奉書到来す。春近御領の乃貢未進注文を下さるべきなり。早く勘定を遂ぐ
  べきの由と。
 

6月17日 辛巳
  常陸房昌明は、近年京都より参る所なり。元延暦寺に住し、武勇その名を得るなり。
  就中、前の備前の守行家を誅して以来、人これを許すと。而るに強田の辺に領所有り。
  不慮の得替の間、愁訴を企て上洛せんと欲す。便宜の事扶持を加うべきの旨、御書を
  在京の御家人中に給うべきの由望み申す。仍って昌明在京の間、旅粮所望の如き事、
  所望に随い及び給うべきの旨、右武衛能保に申さる。てえれば、その御書昌明に下し
  給うと。昌明潛かにこれを披き、瞋ながら持参し申して云く、この御書なまじいに以
  て申し出しをはんぬ。この旨趣を案ずれば、恩に似て罰の如し。何ぞ恥辱に非ざらん
  や。全く旅粮等の望み無し。訴え申すに依って上洛するの間、ただ用意の為なり。勇
  敢の誉れ有るの由、載せらるるの條に於いては、仰す所なりてえり。時に御入興。則
  ち俊兼をしてこれを書き改めしめ給う。僧たりと雖も勇士なり。在京の程は、宿直に
  召し具せらるべきか。右兵衛の督殿と。この事以後、昌明殊に快然すと。
 

6月19日 癸未
  二季の彼岸放生会の間、東国に於いて殺生を禁断せらるべし。その上焼狩・毒流の類
  の如きは、向後停止すべきの由定められをはんぬ。諸国に宣下せらるべきの旨、奏聞
  を経らるべしと。
 

6月30日 甲午 天晴 [玉葉]
  伝聞、法皇六條殿を造らるべしと。衆徒の使い来たり。明日南都に下向すべしと。能
  保の示す所を仰すなり。先日、関東に仰せ遣わす返事、今日到来す。余世間の事を遁
  れんと欲すの間の事なり。一切然るべからずと。