6月3日 辛卯
中納言法橋観性京都より参着す。これ天台座主僧正全玄の代官、鶴岡塔供養の導師た
るなり。左衛門の尉高綱これを相具し参向す。兼日に八田右衛門の尉の宅を以て、彼
の旅宿に点じ置かるるの間、その所に招き入れしめ給う。先ず三浦の平六を以て御使
として、金光索餅等を遣わさると。
6月4日 壬辰
佐々木左衛門の尉参入す。則ち北面の廣廂に召し御対面有り。東大寺仏殿柱已下の材
木、周防の国の杣出し、殊に精誠を致すの由聞こし食し及ぶ所なり。汝軍忠を竭すの
みならず、すでに善因を起こす。尤も神妙の旨仰せらる。高綱申して云く、重源上人
頻りに相催せらる。仍って去る月十八日、御柱十五本河尻に沙汰し付けをはんぬ。こ
の外十五本、早く出杣すべきの由代官に示し付くと。
6月5日 癸巳
若宮の別当法眼垂髪並びに当宮の供僧等を相具し、観性法橋の旅宿に向かわる。盃酒
を勧め延年に及ぶと。これ内々の仰せに依ってなり。夜に入り江大夫判官公朝、仙洞
の御使として参向するの由、因幡の前司に相触る。因州先ず家中に招請せしめ、幕府
に参り申すと。
6月6日 甲午
早旦、公朝参り申して云く、御塔供養の為、院より御馬已下を進せらるるの間、相具
し参ると。給い置くべきの由仰せらる。公朝(白襖平礼・帯劔)御所に参る。御馬(葦
毛、白鞍、金の獅子丸の打物を付け、泥障・白伏輪なり)は御厩舎人武廉(赤色の上
下を着す)南門に引き立つ。駿河の守廣綱これを請け取る。また錦の被物二重(一重
は赤地紅裏、一重は青地単)、並びに女房三品の局の進物扇二十本(銀の筥に納む)、
公朝これを取り、新田蔵人義兼・里見の冠者義成等に授く。但しこれ等殿中に入れら
れず。御軽服に依ってなり。宮寺に於いて施物たるべきが故か。その後公朝劔を撒き、
寝殿の南面に参る。二品御対面有りと。
北條殿の御願として、奥州征伐の事を祈らんが為、伊豆の国北條の内に、伽藍の営作
を企てらる。今日吉曜を撰び事始め有り。立柱上棟。則ち同じく供養を遂げらる。名
は願成就院と号す。本尊は阿弥陀三尊並びに不動・多聞の形像等なり。これ兼日造立
の尊容と。北條殿直にその所に下向せられ、殊に周備の荘厳を加え、鄭重の沙汰を致
せしめ給う。当所は田方郡内なり。所謂南條・北條・上條・中條各々境を並ぶ。且つ
は曩祖の芳躅を執り、今練若の結構に及ぶと。
6月7日 乙未
御塔供養の事御沙汰を経らる。社頭たるの間、與州の事に依って延引すべきの由、京
都に申せらると雖も、導師すでに下向す。また仙洞より御馬已下を下さるるの上は、
供養に於いてはこれを遂げらるべし。次いで二品御出の事、御軽服三十余日馳せ過ぎ
をはんぬ。これ御奉幣の儀に非ず、直に内陣に入らしめ給うべからず。てえれば、何
事か有らんやの由これを定めらる。仍って與州の頸、左右無く持参すべからず。暫く
途中に逗留せしむべきの旨、飛脚を奥州に遣わさると。
6月8日 丙申
今日、二品中納言法橋の旅亭に渡御す。御対面有り。頗る御雑談に及ぶと。夜に入り、
京都に進せらるる所の飛脚帰参す。師中納言の返報到来す。義顕誅罰の事、殊に悦び
聞こし食すの由、院の仰せ候所なり。兼ねてまた彼の滅亡の間、国中定めて静謐せし
むか。今に於いては弓箭を嚢にすべきの由内々申すべきの旨、その沙汰候と。
6月9日 丁酉
御塔供養なり。導師は法橋観性、呪願は法眼圓暁(若宮別当)、請僧七口(四口は導
師の伴僧、三口は若宮の供僧)。舞楽有り。二品御出で。但し宮寺近々に於いては猶
御慎み有り。埒の辺に御桟敷を構え、儀式を御覧ずるばかりなり。隼人の佐並びに梶
原平三景時等、兼ねて宮中の行事に候すと。御出の儀、
先陣の随兵
小山兵衛の尉朝政 土肥の次郎實平
下河邊庄司行平 小山田の三郎重成
三浦の介義澄 葛西の三郎清重
八田の太郎朝重 江戸の太郎重継
二宮の小太郎光忠 熊谷の小太郎直家
信濃の三郎光行 徳河の三郎義秀
新田蔵人義兼 武田兵衛の尉有義
北條の小四郎 武田の五郎信光
次いで御歩(御束帯)
御劔 佐貫四郎大夫廣綱
御調度 佐々木左衛門の尉高綱
御甲 梶原左衛門の尉景季
次いで御後の人々(各々布衣)
武蔵の守義信 遠江の守義定
駿河の守廣綱 参河の守頼範
相模の守惟義 越後の守義資
因幡の守廣元 豊後の守季光
皇后宮権の少進 安房判官代隆重
籐判官代邦通 紀伊権の守有経
千葉の介常胤 八田右衛門の尉知家
足立右馬の允遠元 橘右馬の允公長
千葉大夫胤頼 畠山の次郎重忠
岡崎の四郎義實 籐九郎盛長
後陣の随兵
小山の七郎朝光 北條の五郎時連
千葉の太郎胤政 土屋の次郎義清
里見の冠者義成 浅利の冠者遠義
三浦の十郎義連 伊藤の四郎家光
曽我の太郎祐信 伊佐の三郎行政
佐々木の三郎盛綱 新田の四郎忠常
比企の四郎能員 所の六郎朝光
和田の太郎義盛 梶原刑部の丞朝景
供養の事終わり、御布施を引かる。先ず錦の被物三重、内一重(赤地)は駿河の守廣
綱、一重(青地、已上仙洞よりこれを下さる)は皇后宮権の少進、また一重(紫地、
師卿進す)は安房判官代等これを取る。この外甄録するに遑あらず。
次いで御馬引手、
一の御馬(葦毛、仙洞の御馬) 畠山の次郎重忠 小山田の四郎重朝
二の御馬(河原毛) 工藤庄司景光 宇佐美の三郎祐茂
三の御馬(葦毛) 籐九郎盛長 渋谷の次郎高重
四の御馬(黒) 千葉の次郎師胤 同四郎胤信
五の御馬(栗毛) 小山の五郎宗政 下河邊の六郎
6月11日 己亥
中納言法橋御所に参る。御招請に依ってなり。塔供養無為の事賀し仰せらる。また献
盃有り。砂金十両・銀劔一腰・染絹五十端を以て御贈物と為す。若宮の別当参会し給
う。終日御談話と。また江廷尉帰洛す。御馬五疋を遣わさると。絹十疋武廉(御厩舎
人)に賜うと。
6月13日 辛丑
泰衡の使者新田の冠者高平、與州の首を腰越浦に持参し、事の由を言上す。仍って実
検を加えんが為、和田の太郎義盛・梶原平三景時等を彼の所に遣わす。各々甲直垂を
着し、甲冑の郎従二十騎を相具す。件の首は黒漆の櫃に納れ、清美の酒に浸す。高平
僕従二人これを荷擔す。昔蘇公は、自らその獲を擔う。今高平は、人をして彼の首を
荷なわしむ。観る者皆双涙を拭い両の袂を湿すと。
6月15日 癸卯
出雲の国杵築大社の神主資忠、この程参候す。而るに御立願有るに依って、本社に帰
参せしめ、丹祈を抽んずべきの由仰せ含めらるるの間、今日上道す。神馬一疋(澤井
黒と号す。御厩の御馬なり)を付けらると。
6月18日 丙午
中納言法橋観性帰洛す。龍蹄並びに金銀已下の重宝、唱導の布施と云い、後日の贈物
と云い、その数を知らず。運送の疋夫長途に列なると。
6月20日 戊申
鶴岡臨時祭なり。長馬(二騎)・流鏑馬(十六騎)・競馬(三番)・相撲(十六番)例
の如し。二品御軽服の日数の中たるに依って、御参宮無し。また奉幣の御使を立てら
れず。宮寺に付けその沙汰有りと。
6月24日 壬子
奥州の泰衡日来與州を隠容するの科、すでに叛逆に軼ぎるなり。仍ってこれを征せん
が為発向せしめ給うべきの間、御旗一流調進すべきの由、常胤に仰せらる。絹は朝政
召しに依ってこれを献ると。晩に及び右武衛の消息到来す。奥州追討の事御沙汰の趣、
内々これを申せらる。その趣、連々沙汰を経らる。この事、関東の欝陶黙止し難きと
雖も、義顕すでに誅せられをはんぬ。今年は造太神宮の上棟、大仏寺の造営、彼是計
会す。追討の儀猶予有るべしてえり。その旨すでに殿下の御教書を献られんと欲すと。
また御厩司の事、免じ仰せらるるに就いて、領状を申しをはんぬと。
6月25日 癸丑
奥州の事、猶追討の宣旨を下さるるべきの由、重ねて京都に申さると。
6月26日 甲寅
奥州兵革有り。泰衡弟泉の三郎忠衡(年二十三)を誅す。これ豫州に同意するの間、
宣下の旨有るに依ってなりと。
6月27日 乙卯
この間奥州征伐の沙汰の外他事無し。この事、宣旨を申さるるに依って、軍士等を催
せらる。鎌倉に群集するの輩すでに一千人に及ぶなり。義盛・景時の奉行として、日
来交名を注す。前の図書の允執筆たり。今日これを覧る。而るに武蔵・下野両国は、
御下向の巡路たるの間、彼の住人等は各々用意を致し、御進発の前途に参会すべきの
由触れ仰せらるる所なり。
6月28日 丙辰
鶴岡の放生会、来月朔日遂行せらるべきの旨、その沙汰有り。これ式月に於いては、
定めて奥州に御坐有るべきの上、泰衡征伐の御祈祷の為、この儀に及ぶと。
6月29日 丁巳
日来御礼敬の愛染王像、武蔵の国慈光山に送らる。これを以て本尊と為し、奥州征伐
の御祈祷を抽んずべきの由、別当厳耀並びに衆徒等に仰せ含めらる。当寺は、本より
御帰依有る所なり。去る治承三年三月二日、伊豆の国より御使盛長を遣わし、洪鐘を
鋳せしめ給う。則ち御署名を件の鐘面に刻まれると。
6月30日 戊午
大庭の平太景能は武家の古老たり。兵法の故実を存ずるの間、故に以てこれを召し出
され、奥州征伐の事を仰せ合わさる。曰く、この事天聴を窺うの処、今に勅許無し。
なまじいに御家人を召し聚む。これをして如何。計り申すべしてえり。景能思案に及
ばず、申して云く、軍中は将軍の令を聞く。天子の詔を聞かずと。すでに奏聞を経ら
るるの上は、強ちその左右を待たしめ給うべからず。随って泰衡は、累代御家人の遺
跡を受け継ぐ者なり。綸旨を下されずと雖も、治罰を加え給うこと、何事か有らんや。
就中、群参の軍士数日を費やすの條、還って人の煩いなり。早く発向せしめ給うべし
てえり。申し状頗る御感有り。剰え御厩の御馬(鞍を置く)を賜う。小山の七郎朝光
庭上に引き立つ。景能縁に在り。朝光差縄の端を取り景能の前に投げる。景能居なが
らこれを請け取り、郎従に取らしむ。二品入御するの後、景能朝光を招き賀して云く、
吾老耄の上、保元合戦の時疵を被るの後、行歩進退ならず。今御馬を拝領すと雖も、
庭上に下り難きの処、縄を投げらる。その芳志を思えば直千金と。二品また朝光の所
為を感じ給うと。