5月3日 丙辰
南御堂に於いて、一條殿追善の為仏事を修せらる。導師は信救得業。絵像の阿弥陀三
尊を供養せらる。二位家並びに御台所御聴聞有り。前の少将時家導師の施物を取る。
左衛門の尉祐経同馬を引くと。
5月5日 戊午
今日営中に菖蒲を葺かれず。これ御軽服の間、御悲歎の余りなりと。
5月10日 癸亥
右武衛室家の四十九日、御仏事を修せらるべきの由、佐々木左衛門の尉定綱に仰せ遣
わさる。導師・請僧の布施の事、近江の国田上報恩寺等の乃貢を募り、その沙汰を致
すべきの由と。
5月12日 乙丑
加賀の国井家庄の地頭都幡の小三郎隆家不義の事、仙洞より仰せ下さるるの間、今日
下知を加えしめ給う。平民部の丞盛時これを奉行す。
井家庄内都幡の方、地頭と号し方々に不当を致すの間、領家の所命を用いず、京下
の使者を受けず。所務を押領し、士民を冤陵す。況や自名の課役、一切その勤めを
致さざるの由、院より仰せ下さるる所なり。所行の至り、奇怪極まり無し。直に地
頭職を停止すべきと雖も、先ず下知し遣わす所なり。自今以後領家の命に違背せし
めば、地頭職を停廃せしむべきなり。その上隆家の身も重科を遁れ難からんか。仰
せの旨此の如し。仍って以て執達件の如し。
五月十三日 盛時(奉る)
加賀の国井家庄内都幡の小三郎所
5月13日 丙寅
六條院の修理並びに庄々の年貢の事、院宣を下され、今日到来す。その状に云く、
六條院は、白河法皇の御草創、崇め重んずること年久し。而るに近年荒廃し、住侶
止住の便を失い、その地牛馬の栖と為る。御起請の趣、旁々恐るべき事か。仍って
殊に御沙汰有り。修理と云い年貢と云い、相催せらるる所なり。その内御沙汰の庄
々の注文これを遣わす。殊に下知せしめ給うべきの由、院の御気色候なり。仍って
上啓件の如し。
四月二十六日 右大弁
謹上 源二位殿
遂って啓す
権中納言熊野に参らるるの間、仰せ遣わすべきの由候なり。仍って上啓し候
所なり。
5月15日 戊辰 甚雨大風雷鳴、終日休止せず
大倉山震動す。樹木多く顛倒し、岩石頽れ落つ。その跡俄に細流を為す。これ龍降る
と。
5月19日 壬申
大和の前司重弘京都より帰参す。態と専使に及び、悲歎の中喜悦たるの由、右武衛殊
に御返報を申さる。重弘申して云く、去る月十三日、彼の室家存命の為落餝し給い、
産有りと雖も遂に以て早世す。翌日仁和寺の辺に葬り奉る。彼の日賀茂の祭なりと。
5月20日 [東大寺要録]
**源頼朝書状案
東大寺衆徒申す阿波・廣瀬庄地頭の間の事、義時朝臣請文此の如し。地頭を停止する
の條神妙に候。計り披露せしめ給うべし。謹言。
五月二十日 右大将(在判)
中納言殿
5月23日 丙子
仙洞の女房三位の局、来月台嶺に於いて仏事を修すべきの由、聞き及ばしめ給うに依
って、砂金・帖絹等を遣わさると。
5月29日 壬午
御随身左府生秦の兼平、去る比使者を進す。これ八條院領紀伊の国三上庄は、兼平譜
第相伝の地なり。而るに関東より定補せらるる所の地頭豊嶋権の守有経、事に於いて
対捍し、乃貢を抑留す。早く恩裁を蒙るべきの由訴え申す。仍って先例に任せ済物を
沙汰すべきの旨、御下文を給うの間、彼の使者今日帰洛すと。