1190年 (文治6年、4月11日改元 建久元年 庚戌)
 
 

8月3日 乙酉
  河内の国内庄々の地頭等押領の事並びに糟屋の籐太有季狼藉を致す事、尋ね成敗せら
  るべきの由、院宣を下さるるの間、御請文を献らるの上、子細を彼の地頭に問わるる
  所なり。
   河内国務の事、仰せ下され候の旨に任せ、光輔に相尋ね候いをはんぬ。濫妨の輩、
   公朝・時定・義兼等、消息を以て下知し候所なり。件の状三通、謹んで以てこれを
   進上す。有季の濫行に至りては、不当第一に候。罪科に随って御沙汰候はんを、兎
   角言上すべからず候なり。この旨を以て洩れ達せしめ給うべし。頼朝恐々謹言。
     八月三日           頼朝
  御下文等
   河内の国々領を、時定が陸奥所と云仮名を立て、押領せしむの由その聞こえ有り。
   先ず陸奥所と云仮名、聞く耳見苦しきの上、無礼と存ぜざるや。彼の奥州にて、出
   羽国内を押領せん為には、陸奥所とも云てん。縦え押領して有とても、地頭許にて、
   有限の国事を対捍せずばこそ、過怠を遁る所もあらめ。対捍濫妨先にして、然る如
   き不当を致す事、奇怪の至り、左右に及ばざる事なり。早く有限の国事を、先例に
   任せその勤めを致すべし。また国司の下知に随うべきなり。もし猶懈怠有らば、将
   に地頭職を停止せしむべきなり。仰せの旨此の如し。仍って以て執達件の如し。
     八月三日           盛時(奉る)
   平六左衛門の尉殿
   河内の国山田郷の事、地頭として国命に随うべきの由下文に載せをはんぬ。而るに
   当任国司光輔の時、鎌倉の仰を蒙たり。早く鎌倉に触るべきの由称せしむと。この
   條鎌倉に国司なくばこそ、左右を進止せしめ、如何様に仰せ給けるぞ。また誰人を
   以て仰せ聞けるやらむ。此の如き虚言、以ての外の次第なり。早く先例に任せその
   沙汰を改めらるべきの由候所なり。仍って以て執達件の如し。
     八月三日           盛時(奉る)
   江大夫判官殿
 

8月9日 辛卯
  京御地の事、家實朝臣の奉書到来す。右大弁宰相執り進せらるる所なり。
   二位卿宿所の事、邦綱卿東山の家を用いるべきの由、先日仰せられ候いをはんぬ。
   件の近辺に於いては、御領たるの上、すでに空地多しと。相計り寄宿せしむべきの
   由仰せ遣わされ候べきの由、内々御気色候所なり。仍って上啓件の如し。
     八月三日           左衛門権の佐家實
   謹上 右大弁宰相殿
 

8月13日 乙未
  右武衛の使い京都より参着す。去る月三十日、流人官符を下さる。重隆(前の佐渡の
  守、常陸の国)・兼信(板垣の三郎、隠岐の国)・重家(高田の四郎、土佐の国)等
  なり。別当(通親)参陣す。右少弁親経朝臣これを奉行す。籐宰相中将(公時)、結
  政に於いて請印すと。件の輩違勅重疉するの間、その罪名を仰せ下さるるに就いて、
  聖断在るべき由、二品申し切られをはんぬ。仍ってこの儀に及ぶと。
 

8月15日 丁酉
  鶴岡放生会なり。二品家御参宮。小山の七郎朝光御劔を持つ。佐々木の三郎盛綱御甲
  を着す。榛谷の四郎重朝御調度を懸く。この外随兵以下供奉人前後に列す。先ず供僧
  等大行道。次いで法華経供養。導師は別当法眼圓暁。舞楽有り。舞童は皆伊豆山より
  参上すと。
 

8月16日 戊戌
  馬場の儀なり。先々会日、流鏑馬・競馬有りと雖も、事繁きに依って、今年始めて両
  日に分けらるる所なり。二品の御出昨日の如し。爰に流鏑馬の射手一両人、期に臨み
  障り有り。すでに闕如に及ぶ。時に景能申して云く、去る治承四年景親に與す所の河
  村の三郎義秀、囚人として景能これを預かり置く。弓馬の芸に達するなり。且つは彼
  の時の與党大略厚免に預かりをはんぬ。義秀独り沈淪すべきに非ざるか。斯くの時召
  し出さるべきやてえり。仰せに曰く、件の男斬罪に行わるべき由下知しをはんぬ。今
  に現存すること奇異の事なり。然れども神事に優じ、早く召し進すべし。但し指せる
  堪能に非ざれば、重ねて罪科に処すべしてえり。則ち義秀を招き、この旨を召し仰す
  の間、これを射をはんぬ。二品その箭を召覧するの処、箭十三束・鏑八寸なり。仰せ
  に曰く、義秀弓箭に達するに依って驕心有り。景親に與すの條、先非を案ずるに、今
  更奇怪なり。然れば猶三流作物を射せしむべし。失礼有るに於いては、忽ちその咎に
  行わるべしてえり。義秀またその芸を施す。始終敢えて相違無し。これ三尺の手挟み
  八的等なり。観る者感ぜざると云うこと莫し。二品欝陶を変じ感荷に住し給うと。
 

8月17日 己亥 甚雨
  夜の入り暴風人屋を穿ち、洪水河岸を頽す。相模河の辺の民家一宇河尻に流れ寄る。
  宅内の男女八人皆以て存命す。各々棟上に居ると。奇特の事なり。

[玉葉]
  暴風大雨、暁より更に殊に太だし。終日止まず。鴨川・桂川、各々以て洪水。近年こ
  の類少なしと。
 

8月19日 辛丑
  板垣の三郎兼信、違勅以下の積悪に依って、配科に処せらるるの上、その領所地頭職
  を改めらるべき事。備後の国在廰等申状を捧げ、土肥の彌太郎遠平の不法を訴える事。
  院宣を下さるるの間、両條の御請文、一紙に載せ言上せしめ給う所なり。
   圓勝寺領遠江の国雙侶庄地頭の事、不当に候わずば、何事の候やと存じ候処、兼信
   に於いては、誠に不当に候らん。早く改易せしむべく候なり。但し不当に候はざら
   ん者を、その替わりに補せしめ候はむと思い給い候。この條も御定に随うべく候。
   一向に停止せらるべく候ば、左右に及ばず候。
   備後の国在廰の申状給い候いをはんぬ。子細を相尋ね、追って言上せしむべく候な
   り。この旨洩れ達せしめ給うべし。頼朝恐々謹言。
     八月十九日          頼朝
 

8月28日 庚戌
  院の廰官康貞、内々宿意有るに依ってか。民部卿経房・右大弁宰相定長等の事を二品
  に訴え申すなり。戸部は希有の讒臣なり。諸人彼の為損亡すべし。右大弁はまた大蔵
  卿泰経朝臣に同意するの凶臣なり。三河の守範頼これを執り申す。二品更に承引し給
  わず。両人共良臣の聞こえ有るの上、関東の事連々伝奏するの間、未だその不可を知
  らず。努々この事口外に及ぶべからざるの由、参州に諾せしめ給うと。