1190年 (文治6年、4月11日改元 建久元年 庚戌)
 
 

11月2日 壬子
  近江の国柏原に於いて、前の兵衛の尉忠康を召し取らる。則ち雑色を以て、その由を
  民部卿経房の許に触れ申さると。また山田の次郎重隆・高田の四郎重家等、配流の宣
  旨を蒙ると雖も、各々配所に赴かざるの間、重隆は墨俣より召し具せらるる所なり。
  彼の輩の事並びに路次の子細、内奏せんが為戸部に申すべきの旨、先ず専使を立て、
  御書を因幡の前司廣元(在京)の許に遣わさると。その詞に云く、
   内々の仰せに依って、墨俣の辺に於いて尋ね聞くの処、重隆・重家謀反を発すべき
   の由聞くに依って、重隆には使を付け、父子の来向有り。仍って召し具したるなり。
   子息をば美濃に留めて、重隆をば召し具して参るなり。その故は重隆申状に、九月
   三十日宣旨の御使は出づ。十月一日赦免に行わる。定めてゆり候ぬらむとおぼゆと
   申すなり。縦え赦免候はむからに、爭かゆりぬらむとは計るや。以ての外の次第な
   り。重家申状には、東大寺上人に付けて申すに、免さるべきの由承れば、のぼらじ
   と存る也と申す。此の如くして誠に謀叛の儀を企てけに候へば、重家にも御使上に
   付使て進上し候なり。重家・兼信は先ず京都へ召し上げられ候後に、府の者も請け
   取り候なむ。重隆を配所へ遣わさずして召し具して候事、人も傍らに申す事や候は
   んずらむ。さ候とて、手放しに沙汰すべき者にて候はねば、当時召し具して候。御
   定に随て沙汰すべく候なり。この由を急ぎ民部卿殿に申して、御返事を迎え様に走
   らしむべきなり。兼ねてまた美濃在廰雑事とて、沙汰すべきの由申ししかども、国
   の御目代も下向せざる事なれば、御定は畏み恐れ給われども、当時は申し入るべき
   事無かりしかば、さて有りき。この條ももしあらぬさまの見参にもぞ入ると存ずる
   なり。この由をも能々申し上ぐべきなり。遠江御目代橋本の宿に来て儲けして候し
   かば、領納しをはんぬ。これまた見参に入るべし。猶々重隆・重家等宣旨を忽緒し
   候て、かやうに私使を付け候の刻に、或いは来たり或いはさはぎなどし候。返す々
   々奇怪に候事なり。すでに朝威を忽緒し候。猶以て不敵の事に候。朝威を仰ぎ候は
   ば、身の冥加こそは候はめ。また重隆使を給わりて候なり。申状に、上洛以前流罪
   を被るべきの由を、鎌倉より申し候たりと申す者候なり。廣元を以て申したりと。
   大蔵卿の奉行にて仰せ下さるるの由を申す者候なり。
     十一月二日          盛時(奉る)
   因幡の前司殿
 

11月4日 甲寅
  二品の御入洛今明たるべきの由叡聞に達するの間、度々の追討の賞を以て、拝官の恩
  有るべし。然れば何官たるべきやの由勅問有りと。今日、基清・朝光等御使として先
  ず入洛す。

[玉葉]
  余また頼朝卿授官せらるべきの由を奏す。然るべきの由仰せ有り。その儀人々に問う
  べし。余申して云く、広く問わるべからず。右大臣・民部卿宜しいかてえり。(略)
  今日、右大臣示す事有り。丹三品の腹の姫君、院号有るべきの由、母儀存知る。而る
  に奏聞憚り有り。余発言すべしと。余モ頗るその恐れ有るべきか。且つはこれ后位を
  妨げらるに似たるが故なり。てえれば、右大臣云く、全く然るべからず。彼の本意、
  ただ院号に在りと。
 

11月5日 乙卯
  野路の宿に着御す。前の右馬の助朝房、当国三上社より椀飯・酒肴等を献る。これを
  領納せしめ給わずと。

[玉葉]
  今日また右大臣に触れ、頼朝若くは大将に任ぜらるべし。更に惜しむべからずの由こ
  れを示す。
 

11月6日 丙辰 甚雨
  雨を凌ぎ御入洛有るべきと雖も、道虚並びに御衰日に依って延引す。野路の宿に逗留
  せしめ給う。今日騎馬の勇士門前に在り。無礼なり。下馬せしむべきの由、景時下知
  を加うの処、未だその礼を習わざるの旨答え申す。仍ってその身を召し進すべきの由
  義盛に仰せらる。義盛門外に窺い出る。件の男すでに退去するの程なり。義盛引目を
  挟み追ってこれを射る。則ち落馬す。時に義盛郎従等これを搦め取り、子細を問うの
  処、大舎人の允藤原泰頼なり。鎌倉殿御上洛の事を承り、御迎えの為参向す。且つは
  伯耆の国長田庄得替の事を愁い申さんが為なり。全く御旅館を知らざるの由これを陳
  謝す。指せる緩怠に非ず。早く相宥め召し具せらるべきの由と。

[玉葉]
  頼朝卿今日入洛す。而るに道虚衰日に依って延引す。明日と。
 

11月7日 丁巳 雨降る、午の一刻晴に属く。その後風烈し
  二品御入洛。法皇密々御車を以て御覧す。見物の車轂を輾り河原に立つ。申の刻、先
  陣花洛に入る。三條末を西行、河原を南行、六波羅に到らしめ給う。その行列、
  先ず貢金唐櫃一合
  次いで先陣
   畠山の次郎重忠(黒絲威の甲を着す。家子一人・郎等十人等これを相具す)
  次いで先陣の随兵(三騎これを列す。一騎別に張替持一騎、冑・腹巻・行騰。また小
           舎人童上髪、征箭を負い行騰を着す。各々前に在り。その外郎従
           を具せず)
  一番    大井の四郎太郎    太田の太郎      高田の太郎
  二番    山口の小七郎     熊谷の小次郎     小倉の野三
  三番    下河邊の四郎     渋谷の彌次郎     熊谷の又次郎
  四番    仙波の次郎      瀧野の小次郎     小越の四郎
  五番    小河の次郎      市の小七郎      中村の四郎
  六番    加治の次郎      勅使河原の次郎    大曽の四郎
  七番    平山の小太郎     樟田の小次郎     古郡の次郎
  八番    大井の四郎      高麗の太郎      鴨志田の十郎
  九番    馬場の次郎      八嶋の六郎      多加谷の小三郎
  十番    阿加田澤の小太郎   志村の小太郎     山口次郎兵衛の尉
  十一番   武の次郎       中村の七郎      中村の五郎
  十二番   都筑の三郎      小林の三郎      石河の六郎
  十三番   庄の太郎三郎     四方田の三郎     浅羽の小三郎
  十四番   岡崎の平四郎     塩谷の六郎      曽我の小太郎
  十五番   原小三郎       佐野の又太郎     相模豊田兵衛の尉
  十六番   阿保の六郎      河匂の三郎      河匂の七郎三郎
  十七番   坂田の三郎      春日の小次郎     阿佐美の太郎
  十八番   三尾谷の十郎     河原の小三郎     上野沼田の太郎
  十九番   金子の小太郎     駿河岡部の小次郎   吉香の小次郎
  二十番   小河の次郎      小宮の七郎      戸村の小三郎
  二十一番  土肥の次郎      佐貫の六郎      江戸の七郎
  二十二番  寺尾の太郎      中村の小太郎     熊谷の小太郎
  二十三番  禰津の次郎      中野の五郎      小諸の太郎次郎
  二十四番  禰津の小次郎     志賀の七郎      笠原の高六
  二十五番  嶋楯の三郎      今堀の三郎      小諸の小太郎
  二十六番  土肥の荒次郎     廣澤の三郎      二宮の小太郎
  二十七番  山名の小太郎     新田蔵人       徳河の三郎
  二十八番  武田の太郎      遠江の四郎      佐竹別当
  二十九番  武田兵衛の尉     越後の守       信濃の三郎
  三十番   浅利の冠者      奈胡蔵人       伊豆の守
  三十一番  参河の守       相模の守       里見の太郎
  三十二番  工藤の小次郎     佐貫の五郎      田上の六郎
  三十三番  下総豊田兵衛の尉   鹿嶋の三郎      小栗の次郎
  三十四番  藤澤の次郎      阿保の五郎      伊佐の三郎
  三十五番  中山の四郎      中山の五郎      江戸の四郎
  三十六番  加世の次郎      塩屋の三郎      山田の四郎
  三十七番  中澤兵衛の尉     海老名兵衛の尉    豊嶋兵衛の尉
  三十八番  中村兵衛の尉     岡部の平六      猪俣の平六
  三十九番  駒江の平四郎     西の小大夫      高間の三郎
  四十番   所の六郎       武藤の小次郎     豊嶋の八郎
  四十一番  佐々木の五郎     糟江の三郎      岡部右馬の允
  四十二番  堀の四郎       海老名の次郎     新田の六郎
  四十三番  葛西の十郎      伊東の三郎      海野の太郎
  四十四番  小澤の三郎      渋河の彌五郎     横山の三郎
  四十五番  豊嶋の八郎      堀の籐太       和田の小次郎
  四十六番  山内の先次郎     佐々木の三郎     筥王丸
  四十七番  右衛門兵衛の尉    尾藤次        中條の平六
  四十八番  三浦の十郎太郎    後藤内太郎      比企の籐次
  四十九番  小山の四郎      右衛門太郎      岡部の與一太郎
  五十番   糟屋の籐太      野平右馬の允     九郎籐次
  五十一番  多気の太郎      小平太        宇佐美の小平次
  五十二番  波多野の小次郎    仁田の四郎      桃井の八郎
  五十三番  小野寺の太郎     足利の七郎四郎    足利の七郎五郎
  五十四番  佐貫の四郎      足利の七郎太郎    横山の太郎
  五十五番  梶原兵衛の尉     和田の小太郎     宇治蔵人三郎
  五十六番  梶原左衛門の尉    宇佐美の三郎     賀嶋蔵人次郎
  五十七番  小山田の四郎     三浦の平六      小山田の五郎
  五十八番  和田の三郎      堀の籐次       土屋兵衛の尉
  五十九番  千葉の新介      氏家の太郎      千葉の平次
  六十番   小山田の三郎     北條の小四郎     小山兵衛の尉
  次いで御引馬一疋
  次いで御小具足持一騎
  次いで御弓袋差一騎
  次いで御甲着一騎
  次いで二位家(折烏帽子・絹紺青丹打の水干袴・紅衣・夏毛行騰、染羽の野箭、黒馬、
         楚鞦、水豹毛の泥障)
  次いで水干を着す輩(野箭を負う)
  一番    八田右衛門の尉    伊東の四郎      加藤次
  二番    三浦の十郎      八田の太郎      葛西の三郎
  三番    河内の五郎
  四番    三浦の介
  五番    足立右馬の允     工藤左衛門の尉
  次いで後陣の随兵
  一番    梶原刑部の丞     鎌田の太郎      品川の三郎
  二番    大井の次郎      大河戸の太郎     豊田の太郎
  三番    人見の小三郎     多々良の四郎     長井の太郎
  四番    豊嶋権の守      江戸の太郎      横山権の守
  五番    金子の十郎      小越右馬の允     小澤の三郎
  六番    吉香の次郎      大河戸の次郎     工藤庄司
  七番    大河戸の四郎     下宮の次郎      奥山の三郎
  八番    海老名の四郎     宇津幾の三郎     本間右馬の允
  九番    河村の三郎      阿坂の余三      山上の太郎
  十番    下河邊庄司      鹿嶋の六郎      真壁の六郎
  十一番   大胡の太郎      祢智の次郎      大河戸の三郎
  十二番   毛利の三郎      駿河の守       平賀の三郎
  十三番   泉の八郎       豊後の守       曽祢の太郎
  十四番   村上左衛門の尉    村山の七郎      高梨の次郎
  十五番   村上右馬の助     同判官代       加々美の次郎
  十六番   品河の太郎      高田の太郎      荷沼の三郎
  十七番   近間の太郎      中郡の六郎太郎    同次郎
  十八番   秩父の平太      深栖の太郎      倉賀野の三郎
  十九番   沼田の太郎      志村の三郎      臼井の六郎
  二十番   大井の五郎      岡村の太郎      春日の與一
  二十一番  大胡の太郎      深栖の四郎      都筑の平太
  二十二番  大河原の太郎     小代の八郎      源七
  二十三番  三宮の次郎      上田の楊八郎     高屋の太郎
  二十四番  浅羽の五郎      臼井の余一      天羽の次郎
  二十五番  山上の太郎      武者の次郎      小林の次郎
  二十六番  井田の太郎      井田の次郎      武佐の五郎
  二十七番  目黒の彌太郎     皆河の四郎      平佐古の太郎
  二十八番  鹿嶋の三郎      廣澤の余三      庄の太郎
  二十九番  上野の権三郎     大井の四郎      相模小山の太郎
  三十番   塩部の四郎      同小太郎       中條の籐次
  三十一番  小見野の四郎     庄の四郎       仙波の平太
  三十二番  片穂の平五      那須の三郎      常陸の平四郎
  三十三番  塩谷の太郎      毛利田の次郎     平子の太郎
  三十四番  遠江浅羽の三郎    新野の太郎      横地の太郎
  三十五番  高橋の太郎      印東の四郎      須田の小太郎
  三十六番  高幡の太郎      小田切の太郎     岡舘の次郎
  三十七番  筥田の太郎      長田の四郎      同五郎
  三十八番  廰南の太郎      籐九郎        成田の七郎
  三十九番  別府の太郎      奈良の五郎      同彌五郎
  四十番   岡部の六野太     瀧瀬の三郎      玉井の太郎
  四十一番  玉井の四郎      岡部の小三郎     三輪寺の三郎
  四十二番  楠木の四郎      忍の三郎       同五郎
  四十三番  和田の五郎      青木の丹五      寺尾の三郎太郎
  四十四番  深濱の木平六     加治の太郎      道後の小次郎
  四十五番  多々良の七郎     眞下の太郎      江田の小次郎
  四十六番  高井の太郎      道智の次郎      山口の小次郎
  次いで後陣
    勘解由判官
    梶原平三(郎従数十騎を相具す)
    千葉の介(子息親類等を以て随兵と為す)
  秉燭の程、六波羅の新御亭(故大納言頼盛卿旧跡、この間これを建てらる)に着かし
  め給う。下総の守邦業・前の掃部の頭親能・因幡の前司廣元・宇都宮左衛門の尉朝綱
  ・同次郎業朝・小山の七郎朝光等、予めこの所に候すと。

[玉葉]
  この日、源二位頼朝卿入洛す。申の刻、六波羅の新造の亭に着すと。騎馬弓箭を帯し、
  甲冑を着けずと。院已下洛中の諸人見物すと。余これを見ず。日昼、騎馬の入洛存旨
  有りと。

[愚管抄]
  よの人そうにたちてまち思けり。六波羅平相国が跡に二町をこめて造作しまうけて京
  へいりける。きのふとて有ける。雨ふりて勢多の辺にとどまりて、思さまに雨やみて
  七日入けるやうは、三騎々々ならべて武士うたせて、我より先にたしかに七百余騎あ
  りけり。後に三百余騎はうちこみて有けり。こむあをにのうら水干に夏毛のむかばき
  まことにとを白くて黒き馬にぞのりたりける。
 

11月8日 戊午
  早旦、伊賀の前司仲教六波羅に参る。御直衣を持参する所なり。これ日来整え置くと。
  御馬を給うと。左武衛(能保)参り給う。御参内以下の事御談合と。明日御院参有る
  べきの由、民部卿(経房)に触れ遣わさると。またその間辻々を警固すべきの旨、佐
  々木左衛門の尉定綱に仰せ下され、辻々を注し申す。義盛・景時目録を取り、御家人
  等に触れ仰すと。

[玉葉]
  院より家實の奉行として、頼朝の賞の間の事を仰せらる。所存を申しをはんぬ。尤も
  大将に任ぜらるべきか。而るに忽ち沙汰無きか。右大臣避くべきの由を申すと。而る
  にまた思い返すか。
 

11月9日 己未 天霽
  二品院内に参らしめ給う。御家人等辻々を警固すと。今日民部卿(経房)に付け、直
  衣を聴さるべきの由これを奏し給う。即ち勅許す。蔵人左京権大夫光綱これを奉る。
  民部卿(布衣・平礼)申次として、予め御所に候せらる。申の刻六波羅より御出で。
  先ず仙洞(六條殿、追前せず)に御参り。直衣・網代車(大八葉文)。
  行列
  先ず随兵三騎
   三浦の介義澄(最前一騎)
   小山兵衛の尉朝光       小山田の三郎重成
  次いで御車(車副二人、牛童)
   小山の五郎宗政  佐々木の三郎盛綱  加藤次景廉
                    (以上三人、御車の傍らに歩行す)
  次いで御調度懸け
   中村右馬の允時経(紺青丹打上、御入洛の日着し給う所の水干なり)
  次いで布衣の侍六人(各々調度懸けを具す)
   宇都宮左衛門の尉朝綱   八田右衛門の尉知家   工藤左衛門の尉祐経
   畠山の次郎重忠      梶原平三景時      三浦の十郎義連
  次いで随兵七騎
   千葉の新介胤正      梶原左衛門の尉景季   下河邊庄司行平
   佐々木左衛門の尉定綱   和田の太郎義盛     葛西の三郎清重
   武田の太郎信義(最末一騎)
  六條殿に於いて、中門廊に昇り、公卿の座の端に候し給う。戸部兼ねて奥の座に候す。
  即ちこれを奏せらる(子息権の弁定経朝臣を以て伝奏す)。法皇(御浄衣を着す)常
  の御所に出御す。南面廣廂の縁に畳を敷く。戸部の引導に依ってその座に参り給う。
  勅語刻を移す。理世の御沙汰に及ぶか。他人この座に候せず。昏黒に臨み御退出。爰
  に暫く御祇候有るべし。仰せらるべき事有るの旨戸部示し申す。然れども後日参るべ
  きの由を称し御退出をはんぬ。戸部この旨を奏すの処、大納言に任ずべきの由仰せ遣
  わすべし。定めて謙退せしむか。請文を待つべからず。今夜除書を行わるべきの旨勅
  定有り。また勅授の事、同じく宣下せらるべしと。次いで御参内(閑院)。弓場殿方
  より鬼の間の辺に候し給う。頭中宮亮宗頼朝臣事の由を奏す。主上(御引直衣)昼の
  御座に出御(摂政殿御座の北に候し給う)す。召しに依って簀子(圓座を敷く)に御
  参り。小時入御す。次いで鬼の間に於いて殿下御対面。子の一刻六波羅に帰らしめ給
  う。次いで戸部院宣を下されて云く、
   勲功の賞に依って、権大納言に任ぜらるる所なり。度々仰せ遣わさるると雖も、謙
   退申せしむに依って、今にその沙汰無し。而るに忽ち上洛有り。爭か先規に背かん
   や。参入の時、先ず触れ仰せられんと欲すの処、早出せしめ給うの間、左右無く除
   書を行わるる所なり。今に於いては異儀有るべからず。その旨を存ぜしめ給うべし。
   兼ねてまた勅授を聴すべきの由、同じく宣下せられをはんぬ。てえれば、院宣此の
   如し。仍って執達件の如し。
     十一月九日          民部卿
   謹上 新大納言殿
  この状六波羅に到着す。御請文を進せらる。昌寛これを書くと。その状に云く、
   権大納言を拝任する事、恐れ悦び申し候。但し関東に候すの時、任官の事仰せ下さ
   れ候と雖も、存旨候て辞退申し候いをはんぬ。而るに今仰せ下され候の條、面目極
   まり無く候と雖も、恐れながら辞退を申し候所なり。辞し申すの旨納め候はんを以
   て、朝恩深しと存ずべく候。重ねてまた勅授を聴すべき事、畏み承り候いをはんぬ。
   この旨を以て洩れ達せしめ給うべく候。頼朝恐惶謹言。
     十一月
   追啓
    仰せ下され候の後辞し申し候の條、猶以て恐れ思い給い候。勅授の事、重々畏み
    申し候なり。この旨を以て、然るべきの様披露せしめ給うべく候。重ねて恐惶謹
    言。

[玉葉]
  今夜、頼朝卿初参。先ず院に参り、その後参内す。昼の御座に於いて召し有り。西の
  簀子に圓座一枚を給う。余長押上に候す。陪膳の圓座を用ゆ。少時起座す。鬼の間に
  於いて、頼朝卿と謁談す。この夜小除目を行われ、頼朝大納言に任ぜらるるなり。辞
  すと雖も推してこれに任ずと。
  九日、頼朝卿に謁す。示す所の事等、八幡の御託宣に依って、一向君に帰し奉る事、
  百王を守るべしと。これ帝王を指すなり。仍って当今の御事、無双これを仰ぎ奉るべ
  し。然れば、当時法皇天下の政を執り給う。仍って先ず法皇に帰し奉るなり。天子ハ
  春宮の如きなり。法皇御万歳の後、また主上に帰し奉るべし。当時モ全く疎略に非ず
  と。また下官の辺の事、外相疎遠の由を表すと雖も、その実全く疎簡無し。深く存旨
  有り。射山の聞こえを恐れるに依って、故に疎略の趣を示すなりと。また天下遂て直
  立すべし。当今、幼年の御尊下、また余算猶遙か。頼朝また運有らハ、政何ぞ淳素に
  反かざるや。当時ハ、偏に法皇に任せ奉るの間、万事叶うべからずと。而るに示す所
  の旨、太だ甚深なり。また云く、義朝の逆罪、これ王命を恐れるに依ってなり。逆に
  依ってその身を亡ぼすと雖も、彼の忠また空しからず。仍って頼朝すでに朝の大将軍
  たるなりと。

[愚管抄]
  その後、院の内へ参りなんどして、院には左右なき者になりにけり。先ず権大納言に
  任ず。参議中納言をもへず直に大納言に任ずるなり。さて内裏にまいりありて、殿下
  と世の政の作べきやうはなどふかく申承けり。
 

11月11日 辛酉 晴
  新大納言家、六條若宮並びに石清水宮等に御参り。その行列、
  先ず神馬一疋(鴾毛、直に石清水に引かる。六條若宮に逗留せず)
  次いで先陣の随兵
   小山兵衛の尉朝政   小山田の三郎重成  越後の守義資
   加々美の次郎長清   土肥の次郎實平   梶原左衛門の尉景季
   村上左衛門の尉頼時  武田兵衛の尉有義  千葉の新介胤正
   葛西の三郎清重
  次いで御車
   新田の四郎忠常  糟屋の籐太有季  佐々木の次郎経高  同三郎盛綱
   大井の次郎實春  小諸の太郎光兼  金子の十郎家忠   河匂の七郎政頼
   本間右馬の允義忠 猪俣の平六範経
    (以上十人、御車の左右に歩行す)
  御調度懸け
   武藤の小次郎資頼
  次いで後騎(浄衣)
   参河の守範頼    駿河の守廣経  相模の守惟義  伊豆の守義範
   村上右馬の允経業  北條の小四郎  三浦の介義澄  宇都宮左衛門の尉朝綱
   八田右衛門の尉知家 足立右馬の允遠元 比企の四郎能員 千葉の介常胤
  次いで後陣の随兵
   畠山の次郎重忠  八田の太郎朝重  毛利の三郎頼隆 村山の七郎頼直
   小山の七郎朝光  千葉の次郎師常  佐々木の左衛門の尉定綱 加藤次景廉
   信濃の三郎光行  三浦の十郎義連
  最末
   和田の太郎義盛  梶原平三景時(各々浄衣)
  先ず六條若宮、次いで石清水に参り給う。八幡宮に於いて神馬一疋・銀劔一腰これを
  奉らる。馬場の御所に御駄餉を儲くと雖も、便無きに依って、任覺房に入御す。今夜
  御逗留。寳前に御通夜なり。

[玉葉]
  この日、新大納言頼朝卿八幡に御参詣と。
 

11月12日 壬戌
  夜に入り、石清水より六波羅に還らしめ給うと。
 

11月13日 癸亥 晴
  新大納言家の御別進、伊賀の前司仲教を以て、御解文(凾に入れ、これを封ぜらる)
  を戸部に付けらると。戸部また左大丞(定長)に付け奏覧せらると。
   進上
    砂金 八百両
    鷲羽 二櫃
    御馬 百疋
   右進上件の如し。
     建久元年十一月十三日     源頼朝
  此の如くこれを載せらる。この外、龍蹄十疋禁裏に進せらるる所なり。
 

11月15日 乙丑 霽
  大納言家御所に進すの御馬、諸社に分ち進せらると。
 

11月16日 丙寅 雨下る
  大納言家辛櫃(蒔鶴)二合を御所の女房三位の局に送り遣わす。桑糸二百疋・紺絹百
  疋を納めらると。大和の前司重弘御使たりと。
 

11月18日 戊辰
  亜相清水寺に御参り。御車なり。供奉人は八幡詣での人数を用いらる。但し随兵の中、
  小山の七郎朝光・和田の太郎義盛二人御車の前に相列すと。彼の寺に於いて、衆僧を
  して法華経を読誦せしむ。施物多しと。
 

11月19日 己巳 雨下る。夕に臨み休止す
  未の刻、大納言家(直衣)仙洞に御参り。左武衛(能保)参会せらる。法皇御対面、
  数刻に及ぶと。
 

11月21日 辛未 天晴 [玉葉]
  また家實来たり。院宣を伝えて云く、頼朝卿申して云く、近国の地頭不当の輩停止す
  べしと。職事一人仰せを承り、諸国並びに社寺、その所等の領に尋ねらるべしと。即
  ち奉行すべきの由、家實に仰せをはんぬ。但し近国何国に限るべきやの由、尤も問わ
  るべき旨これを奏す。
 

11月22日 壬申 雪飛ぶ
  大納言家大将に任ぜらるべきの由、院宣(経房奉る)到来す。而るに御請文の趣、不
  慮の外大納言に任ずと雖も、涯分を顧みるの処、重ねてまた大将に任ぜらる。左右を
  申すに及ばずと。これに就いて経房卿を以て殿下に申し合わさる。但し左右無しと。
  任付せらるべきの由思し食すと。殿下彼の御請文を覧て、異儀有るべからざるの由申
  せらると。

[玉葉]
  夜に入り、民部卿経房、院の御使として来たり。頼朝大将に任ぜらるべきの間の事な
  り。辞し申すと。猶任ぜらるべきの由申しをはんぬ。
 

11月23日 癸酉 小雪
  大納言家仙洞に御参り。終日御前に候せしめ給う。また長絹百疋・綿千両・紺絹三十
  端内臺盤所に進せらると。
 

11月24日 甲戌 霽、夜に入り雨降る
  右丞相(兼雅卿)右大将の辞状を上げらる。今夜、亜相右大将に任ぜらるべき事、院
  宣(経房奉る)を下さる。御請文の趣、辞退の志はこれ多し。所望の儀はこれ無し。
  何様奏せしむべきやと。夜に入り除目を行わる。蔵人右少弁家實宣下す。
    右近衛大将源頼朝
  上卿は別当通親卿、執筆は右宰相中将公時卿。幕下の外任人無しと。

[玉葉]
  この夜除目有り。頼朝卿右大将に任ず。これより先、右大臣大将の辞状を上げるなり。
 

11月26日 丙子 晴
  右大将家、番長以下院よりこれを定め仰せらる。右府生秦の兼平番長たるべし。播磨
  の貞弘一の座たるべしと。また拝賀の間御所を先と為すこと、今日仰せ下さる。右府
  勅を承り計り申さると。
 

11月28日 戊寅
  大将の御拝賀有るべきに依って、随兵等の事今日その定め有り。爰に江間殿密々小山
  兵衛の尉朝政に示し送られて曰く、随兵の事、当日御出の期に臨み、左右を定めらる
  べし。同色の甲並びに直垂を着せしむの者を以て、予の合手たるべきの由すでに申請
  しをはんぬ。予は赤革威の甲・青筋懸丁の直垂を用意する所なり。汝この色を着せし
  め、予と番うべしてえり。朝政本より一諾申す事有るの間、殊にこの告げを喜ぶ。仍
  って彼の色の直垂並びに甲冑を用意すと。
 

11月29日 己卯
  夜に入り右大将家御院参。布衣の侍十二人御共に在り。各々狩衣下に腹巻を着すと。
    三浦の介義澄     足立右馬の允遠元  下河邊庄司行平
    小山の七郎朝光    千葉の新介胤正   八田の太郎朝重
    小山田の三郎重成   三浦の十郎義連   三浦の平六義村
    梶原左衛門の尉景季  加藤次景廉     佐々木の三郎盛綱
 

11月30日 庚辰 雨下る、日中天霽
  右大将家の毛車並びに廂車・御装束(束帯・直衣)・劔緒、随臣舎人以下の装束、皆
  悉く院より調え下さる。検非違使則清勅使たり。舎人居飼の装束等、右府の御沙汰と。